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剡旗伝  作者: 司弐紘
第一回 遺言屋、追われる
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弐 遺言屋、追っ手がかち合う

 大帝国だった楼が倒れて後、五十年あまりが経つ――

 

 元々のその王朝末期には節度使の割拠著しく、地方政権へと転落していた楼であったが、権威は権威だ。大結国皇帝を名乗る修仙抽しゅうせんゆうによって楼にとどめが刺されると、天華は千々に乱れた。


 修仙抽しゅうせんゆうによる王朝も十年も持たずに倒れると、天華に立つ国家は十以上を数え、互いの存亡をかけて争う大乱世に突入した。


 しかし今、その動乱が収束に向かいつつある。


 皇帝に“祭り上げられた”潮獅音ちょうしおんという男が立てた泰という国が、しぶとく生き残り天華の西半分を抑えつつあったからだ。


 軍人一家に生まれた獅音はその生まれを裏切らぬ軍事的才能で近隣の諸国を併呑。さらにはその生まれを裏切るような文官を中心とした施政を掲げ、併呑した国々に平穏を築き上げてゆく。


 戦乱の中を生き抜いてきた民は、その心情のほとんどが希望的観測と呼ばれるものであったとしても、今度の皇帝には期待しても良いのではないか、と感じていた。


 もしかしたら天華の中央を悠々と流れる龍江の流れのように、自然のままに天華は治まっていくのではないか、とそんな予感を覚え始めていたのだ。


 皮肉にも泰の拡大していく方向は、龍江を流れを遡るかのようではあるのだが。


 今も昔も変わらず龍江は東から西へと流れ続けている。争乱著しい時期には、この大河も五つに分割され、血と炎によって赤く染め上げられた事もあったが今では、そのほとんどが泰の版図に収められていた。


 晩春の空は青く、それを写す龍江の水面もまた穏やかで、規則的に現れる波頭の行進までもが安寧を謳歌しているかのように見える。


 そんな穏やかな龍江は物資の運搬、流通の要としての機能をも取り戻しつつあった。


 向こう岸が見えないほどの大河であるだけに、人の眼で見渡せる範囲だけでも大小十隻あまりの運搬船が龍江を行き来している。


 その中の一隻、十間ほどの大きさで、折りたたみ式の帆一枚を持つ、代表的かつ中程度の運搬船が西に向けてゆるゆると進んでいた。


 喫水線がずいぶんと深い。積み荷が満載であるらしい。東から西へと向かっている事と季節から考えると、岳林がくりん州辺りでとれた胡麻を運んでいるのかもしれない。


 果たしてその船の上には麻袋が山と積まれていた。


 そしてその麻袋の上には、緋、白、藍と目立つ格好をした人影。恐らくは娘であろう。


 高輪こうりん村に呂笈賛りょきゅうさんの遺言を届けた娘、翠燕すいえんである。


 今は傍らに行李と棍を投げ出して、麻袋の上に身を横たえていた。あの時とは違って、色は同じでもこざっぱりした格好に変化している。


 白いだぶだぶの着物は汚れや破れは何もなくなっており、それどころか明らかに絹織物の光沢を放っていた。頭巾と肩掛けに使っている緋色の肩掛けは、牡丹の刺繍が浮き彫りに施されており、藍色の腰巻きには錦糸で飛び鳳凰。手甲、すね当ても銀で縁取りされた、実用よりも装飾性に重きを置いた作のものに変わっている。


 全身くまなく非常に贅を尽くした出で立ちである。


大姐ターチェ

「もう浪安?」


 船頭の呼びかけに、翠燕は間髪入れずに応じた。


「今日は潮の流れが良い塩梅でしてな。予定よりずっと早く着きましたわ」


 船頭の年齢は見たところ四十代の半ば。それがまだ十代であろう小娘相手にえらく腰が低い。そもそも“大姐ターチェ”という呼びかけ方からして尋常ではない。


「じゃあ、しばらく時間潰してくるわ。双園には日が暮れる前に着けそうね」


 桟橋に接舷しかけていた船から、翠燕は身を躍らせて大地へと降り立った。目の前には積み上げられた麻袋。


 この浪安ろうあんという街は龍江と北へ向かう運河の分岐点に位置しており、龍江に運搬船が増えてゆくのに比例して、積み荷の集積所としての価値も増大していた。


 翠燕が乗ってきた船も、ここで積み荷のほとんどを降ろすことになる。


 彼女の目的は泰帝国の首都、双園そうえんであるのでこの街に用はないが、代わりの船を探すほど先を急ぐほどの旅ではない。


 そこでこの船が積み荷を降ろす間、浪安を冷やかして歩いて回るつもりのようだ。


 荷物の積み卸しを手伝ったりはしない。黙っていても双園に運んでもらえるだけの代価はすでに支払い済みだ。


大姐ターチェ、今なら茄子が……」

「わかってる。でも暇つぶし程度の時間じゃなぁ。凝った物は食べられそうもないし、煮浸しには心惹かれるけど、今日は串焼きで我慢しておくよ」

「なるほど、こりゃあ何とかに説法でしたな」


 船頭の言葉に送り出されるようにして、翠燕は積み荷の谷間を抜けて浪安の中心部へと向かう。


 もっとも中心部といっても、元が炊き出し場のような街だ。人通りの多さに比べると、しっかりと屋根の付いた建物は数えるほどしかない。


 街の目抜き通りを彩るのは、左右に立ち並ぶ様々な種類の屋台達。食欲をそそる香りと、火事と見紛うばかりの煙を盛大に吐き出している。


 翠燕は目抜き通りを右に左に彷徨いながら、屋台を冷やかして歩いている。


 その内の一つで、豚肉の串焼きを買った翠燕。甘辛いたれが焦げて、翠燕の鼻を刺激的にくすぐっていた。翠燕は幸せそうに、にんまりと笑みを浮かべた。


 そして、いよいよその串焼きにかぶりつこうとしたとき、翠燕の肩が押された。人混みの中でのこと、翠燕はさほど気にとめず、気を取り直して再び大きく口を開ける。


 が、そこでさらに押される。体勢を崩す。そこをさらに押され、翠燕はそのたびに体勢を立て直すが、蹈鞴たたらを踏み続ける足は勝手に翠燕の身体をあらぬ方向へと運んでいく。


 やっと翠燕の足が止まったとき、そこは浪安でほとんど唯一といってもいい、建物の間の路地裏だった。


「いよう、姉ちゃん。随分懐が温かいみてぇじゃねぇか」


 さすがに身の危険を感じ始めたところで、誰かが勝手に事態の説明をしてくれた。声のした方へと振り返ると、ひげ面の水夫と貧相な水夫。


「見たことある顔ね。えーーーっと……」

「姉ちゃんが乗ってきた船に一緒に乗っていてな」


 ひげ面の方が、下卑た笑みを浮かべながら翠燕の疑問に答えてくれた。


「あ、だいたい事情はわかったわ。要は強盗。伯声はくせい殿も頑張っているのに、いい加減大人しくしなさいよ。着る物も食べる物も不自由してないくせに。簡宗かんそうが知ったら泣くわよ」


 いきなりあふれ出す翠燕の言葉。その言葉に圧倒されかかった水夫改め強盗達であったが、翠燕の右手が何かを探すように動いているのを見て、再び安心したように笑みを浮かべた。


「おおっと、あの気休めの棍は船に置きっぱなしだぜ。何の用かはわかってるみたいだし、出す物、出してもらおうか!」


「待て待て待て~~~~!!」


 強盗がすごんだ正にその瞬間に、さらにその後ろから制止の声がかかる。翠燕、強盗共に声の方向に目を向けるとそこには槍を携えた背の高い一人の娘の姿。


 馬に乗るような軽装ながらも立派な甲冑姿で、高い位置で結んだ髪を風になびかせる姿は若武者のようだった。携えている槍も、柄の部分はさすがに木製だったが、穂先は冷たい鋼の輝きを放っている。


「その女には、私の方が先に用がある。狼藉は後回しにしてくれ」


 女にしては低めの周囲を圧倒するような声が、無慈悲な言葉を口にした。しかし、燃え上がる瞳はまっすぐで、がっちりとした顔つきに太い眉毛はどこからどう見ても正義の味方。


 強盗達は敏感に危機を感じ取った。槍を持つ相手に狭い場所で一直線に並ぶ愚は犯せない。翠燕を追い詰めていた地の利を放棄して、通りへと飛び出す。


「強盗がかち合うっていうのは、なかなか珍しい経験ね」


 串焼きを噛みちぎりながら、翠燕が強盗達の後に続いて通りに姿を現した。状況をわかっているのか、危機感のかけらもない声だ。


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