二十七段目 月は沈みて星影もなし
「少し、歩きましょうか。」
カルヴァが複雑な身の上であることは想像に難くない。フレイスに言いづらいこともあるだろう。
俺は無言で頷くと、眠っているフレイスを起こさないようにそっと寝床を抜け出した。
空は厚い雲が覆い、虫も獣も動くものはない、完全な闇。
森の中の少し開けた場所で、俺たちは向かい合う。
当然だがカルヴァの顔は見えない。ただ気配で、そこにいるのがわかるだけだ。
「……山上様から裏切りの話を持ちかけられた時。あの時はまったく肝を潰しました。」
「ああ、決闘騒ぎの日だったか。」
「ええ、薬が回って動けないフレイス様を寝かせて、話があるというとおっしゃるものですから……」
あの日、俺はカルヴァにこう持ちかけた。
『お前の背後にある組織を裏切って、俺についてくれないか?』
と言って。
「いつから手前を疑っていらしたので?」
「疑っていたのは最初からだ。いくら俺が盗賊退治で名を上げたからって、普通はレーベルみたいにまぐれやインチキを疑う。
そんな奴に弟子入りとか、怪しいに決まってるだろ?」
「まあ、そこで疑われるのは予想していましたが……」
「決定的なのは最初に光食虫と戦った時だ。
あの時使った棒手裏剣は一方にしか刃がついていないものだ。あんなものはよほど訓練しない限り、当てることはできても刺さらない。」
「そこで素人ではないと気付いた、と……」
「どんな天才でも、棒手裏剣の回転は訓練して慣れないと感覚がつかめないからな。」
投擲術の才能があるのは間違いないのだろうが、いくらなんでもあれは出来すぎだった。
「俺からも聞きたい。
あの連中は何者なんだ? そして何故カルヴァはそこにいたんだ?」
カルヴァもこれを聞かれるのはわかりきっていたことだろう。
ためらいなく語り始めた。
「お察しの通り、ウィルフリドも盗賊団の忍術使いも、同じ組織に属する人間でございます。
……時に山上様、この森の向こうには険しい山脈が連なっておりますね。」
「そうだな。」
俺たちがねぐらにしているこの森は探索都市の東部にある。
広大な森のさらに東には大山脈があり、その先については俺は知らない。
「探索都市はこの国、シュテア帝国の南東部に位置する街でございます。
その東端があの山脈で、その向こうは隣国であるヴィラハ王国となっております。」
「ああ、あの山脈が国境線なのか。
で、今その話をするってことは……」
「はい、手前がいた組織はヴィラハ王国の諜報機関でございます。」
隣国の組織が帝国で暗躍していたということか。
「穏やかな話じゃないな。」
「今回の件では、目的は邪魔な冒険者を一掃することだと聞いておりました。
それ以上のことは手前には…… ウィルフリドはもっと深い話まで聞いていたのでしょうが。」
あの後、ウィルフリドはギルドで回収されたと聞いている。
だが、痛みと恐怖で精神が錯乱しており、尋問には時間がかかるとも言っていた。
「それで、カルヴァは何故そんなところにいたんだ?」
「はい。手前、実は王国の生まれでして。
商家の生まれで、この目のせいで将来に困っていたのは本当でございます。」
「それで、諜報機関に?」
「無論、最初からそんな怪しい組織だと知っていたわけではございません。日食眼が役に立つというので、夜警でもするのかと……
そこで1年ほど訓練を受けさせられて、それからここに送られてまいりました。」
その期間なら、詳しい話を知らないのも無理はない。
口止め用と思われる呪いの魔導陣が刻まれていないのも、口止めが必要なほどの情報を持っていないからか。
「お給金もいただいておりましたので、まったく恩がないわけでもないのですが……」
「俺が言うのも何だが、よく俺についてくれたな。」
「……はっきり言いまして、手前は捨て駒でしたので。
ウィルフリドの風の魔導、あれは達蔵様への対策であると同時に、手前の裏切りを防止する為のものでもあります。」
確かに、もしフレイスに魔導を教わっていなければカルヴァの武器は日食眼と投擲術のみ。
あの風の魔導を突破する手立てはない。
「ランプイーターを使った作戦で障害になりそうなのが俺だった。
カルヴァはそこに飛び込んでいき、ウィルフリド側が有利な場所で俺を始末できるよう誘導する…… 危険な役目だからな。」
「たとえ今回の仕事が上手くいっても、スパイを続けていては、いつどんな目にあうかわかったものでないでしょう。」
「だから俺がそれなりに信用できそうだと踏んで、諜報機関から抜け出したというわけか。」
「左様でございます。」
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一通りのことは聞いが、最後にもう一つ聞いておかなければならない。
「で、これからどうする?」
「これから……」
「王国の実家に帰る、ってわけにもいかないだろう。」
大した情報は持っていないとはいえ、向こうから見れば裏切者か、良くて逃亡者扱いだろう。
追手がかかる可能性すらありえる立場だ。
「幸い、この十数日で野外生活にも慣れましたし…… あちこち点々として、冒険者をやりながら逃げ回ろうかと思います。」
「うん? 別に逃げ暮らすだけなら俺たちと一緒のままでもいいんじゃないのか?」
俺たちが野外生活しているのも追手から逃れるためだし、あまり変わらない気がする。
「いえ、流石に今まで騙していた相手にこれ以上負担までかけるわけには……
ご存知の通り、手前はさほど強くはございません。せいぜい夜目が効くのだけが取り柄でございます。
そんな手前を抱えていても、得はございませんでしょう。」
「お前は負担と言うが、俺たちもわずかでも戦力がいた方がありがたいんだよ。
元々フレイスはフレイスで襲撃を受けることがある身の上だから、カルヴァの追手が増えても俺たちの生活にはあまり影響はないし。
それに、カルヴァの技能はカルヴァが思っている以上に便利なものだ。影縫いもあるしな。」
「……野外生活は修行の一環かと思っておりましたが、フレイス様も追われる身でございましたか。」
カルヴァが呆れたような顔をした、気がした。こちらからは見えないが。
「それに、俺もフレイスも人にものを教えるのが楽しかったんだ。」
「それは…… 確かに、お二方に教わった忍術と魔導のおかげでウィルフリドに勝てたわけですが……」
「もし、まだ忍術や魔導を学びたいと思ってくれるなら。俺の弟子でいてくれないか?」
数十秒、沈黙する。
風もない夜、一切の無音、無明の中で、ただカルヴァの気配だけを感じながら時間が流れ、
「……そうまで手前を『評価して』いただけるのでしたら、『お売り』いたしましょう。
手前、カルヴァ・エスクリダオン。達蔵様の弟子として、あらためて御厄介になります。」
「ああ。あらためてよろしく頼む、カルヴァ。」
俺がそう言うと、軽い笑い声が返ってきた。
「ふふ…… なんとも良い心持ちでございますな。人に認められ、求めていただけるというのは。」
カルヴァにそう言われ、少し前のことを思い出した。
フレイスに忍者としての腕を求められ、心底嬉しかったことを。
カルヴァにつられるように、俺も頬が緩む。と、カルヴァが一瞬びくりと動く気配がした。
「……驚きました。山上様はいつも表情が全然変わらないものですから……
笑うとそういう顔になるんですな。山上様が仕事の時にかぶるお面に、よく似ていらっしゃる。」
言われてみて、カルヴァには俺の素の顔を見せていなかったことに気付いた。
「変な顔だろう? 昔、この顔で散々ビビられたからな。できるだけ人には見せないようにしていたんだ。
少し、気が緩んだかな……」
「いえ、手前といたしましては、山上様の表情が変わったというだけで驚きまして……
何しろ人と会うのは普通は日中。闇夜で人の顔をまじまじと見る機会などあまりありませんでしょう?
ですから、人の顔の造形と言うものに、どうにもピンとこないのでございます。どうか、お気になさいませぬよう……」
カルヴァの目はそういう感覚でも他の人と違いがでるものかと、不思議な気がした。
まあ、気にするなと言うのなら、気を使わなくてもいいか。
「なら、カルヴァの前でも顔のことは気にしないことにするかな。」
「そうしてくださいませ。そもそも弟子にそんな気を使うというのも妙な話でございますし。」
そうしてまた少しの間、沈黙が流れる。
風が吹き、木々の間を通り抜けて笛のような音が鳴る。
「なあカルヴァ、そう言えば前に笛を聴かせてくれると言っていたな。」
「そんなこともございましたなぁ。」
姿は見えないが、衣擦れの音がした。
「今夜は良い夜でございます。では久しぶりに、ご披露させていただきましょう。」
初めてカルヴァがここに来た時と同じ、穏やかな曲が流れだした。
二の巻 了
三の巻へ続く




