二段目 ここは地の果て流された俺
美しい、と思った。
月明かりに照らされた女は、客観的に見れば十分怪物に見える姿だった。
左目と左腕は燃え盛っているし、手入れされていない長い黒髪はぼさぼさ。
顔の造形は整っているものの、左半分は赤い傷痕が覆っている。
羽織っているオリーブグリーンのマントはボロボロに擦り切れていた。
背は高めで、スタイルは良い。出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。
黒い革っぽい質感の服は体のラインをはっきりと浮き立たせていたが、しかしそれは、性的魅力以上に『戦う者の身体』であることを強調していた。
脂肪も筋肉も多すぎず、しかし、必要な分は十分にたくわえている、そんな体だ。
野生の獣の如き、走り、跳び、戦うための体つき。性質としては女というよりも化物に近いぐらいだ。
しかし、俺にはそんな化物のような女がとても美しく思えたのだ。
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「ワタシはフレイス・ジャグアーロ。二等冒険者で、戦闘スタイルは魔導士さ。」
炎の左腕を器用に使い、左目に眼帯を付けながら女が名乗った。
その左手で物掴めるんだ、とか、ファンタジックな肩書だな、とか、どう見ても戦闘スタイルは格闘だったよな?とか、言いたいことはあるがとりあえず受け入れておく。
すでに俺の常識は崩壊しているのだ。
「山上 達蔵。会社員だが、戦闘スタイルは忍者。」
とりあえず相手に合わせる形で応じて、俺も名乗る。
それと同時に鬼の面もはずした。
「カイシャイン?
いやそれより、やっぱりそれお面だったのか!? まぎらわしい真似を……」
「いや、当たり前じゃないか……?」
と言ったところで、ここは狼人間が実在する場所だと思い出す。
「そんなお面をつけてるから魔物と間違えたんじゃないか!」
「そっちこそ、声をかけるでもなく襲ってきただろう。そんな燃える腕を見たら化物かと思って当然だろうが!」
そう、だから俺は悪くないはず。
というか直前に別の化物と戦ったせいでもある。また新手の化物かと思って当然だ。
「そもそもなんでこんな時間にこんなところに……急ぎの旅、というわけでもないようだしさ。」
フレイスが俺の格好を見る。
俺の服装は、学生時代に修行で使っていた忍び装束を改造して着やすくした部屋着だ。感覚的にはジャージみたいなもの。
あいにくと足は裸足のままだった。
「そうだ、ここはどこなんだ?
地震が起きて、変な丸い穴に落ちたかと思ったらここで気を失っていたんだ。」
俺がそう言うと、フレイスは「あー……」と、納得がいったという表情をした。
「アンタあれか、日本から来たんだね?」
「その口ぶりだと、ここは日本じゃないみたいだな?」
だろうなあ、とも思う。日本には狼人間はいない。というか狼すらいない。
当然、炎でできた腕を生やした人間もいない。
「普通なら近くの街の名前でも言えば通じるところだけど、アンタにはこう言うべきだろうね。
ここはレファンテ大陸はシュテア帝国。アンタたち日本人の言うところの『異世界』さ。」
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とりあえず狼人間の死骸のそばは危険なので、フレイスのねぐらで話をしようということになった。
付近の洞窟でキャンプしているらしい。
「あ、そこの積んである石は触らないでおくれよ。魔物避けの結界だから。」
見ると、青っぽい石が山積みになっていた。
石を蹴らないように避けて、洞窟に入る。
高さは3mほど、奥行は10m程度の、洞窟というより洞穴だ。
フレイスにうながされ、ござに腰を下ろす。
「さて、聞きたいことは山ほどあるだろうけど……最初に言っておくと、ワタシは日本に帰る手段は知らないよ。」
「やっぱりダメか……」
「だいたい年に1人か2人、こっちに『落ちて』くるらしいんだけどね。
仮に帰る手段があっても、帰るのに成功したやつはわざわざまたこっちに戻ってはこないだろうからねえ。真偽がわかんないだよ。」
「そりゃそうだな。」
そして日本では、異世界から帰って来たなんて言っても狂人あつかいだろうから、本当に帰ってきても話が広まらないだろう。
「で、何から聞きたい?」
「えーとまず……こっちの人間はみんな、あんたみたいなのか?」
「ああ、この腕と目?」
そう言ってフレイスは左手を上げる。
今はもう火の腕は消して、ただの隻腕だ。
「これは特別。魔神と契約して……まあ、細かい話はいいや。
普通はアンタら日本人と同じような姿さ。」
「あの狼人間は?」
「こっちではありふれた動物、ああいう狂暴なのは総じて『魔物』って呼ばれてる。
ワタシみたいな冒険者の飯のタネでもあるね。」
なんとなく、ここがどういう場所かわかってきた気がする。
「どうして異世界なのに言葉が通じるんだ?」
「理由はわからないけど、昔からこの大陸では、日本とほぼ同じ言葉を話してるんだってさ。」
「だがそれだと、何百年も経つうちに別の言葉に変わっていくだろう?」
日本の中でも、明治時代と現代を比較しただけでも結構言葉遣いは変化している。
日本での100年の言葉の変化と、この国での100年の言葉の変化が、常に同じになるとは到底思えない。
「向こうから落ちてくる人間は、どういうわけか何かに秀でた人間が多いんだ。
そいつらは官僚になったり、英雄になったり、時には王にまで成り上がるやつもいる。
で、そういった連中の使う変わった言葉は、市井に流行りやすい。」
「それで常に日本語と同じになる、と……」
もしかして便利な魔法でもあって、それで言葉が通じているのかと思ったが。異世界人が日本語を話しているとは。逆に不思議な気分だ。
「ってことは、俺にこうして親切に教えてくれるのは……」
「無論、アンタが優秀な人間であることを期待して、恩に着せるためさ。
あわよくばワタシの冒険者仲間に引き込もうと思って。」
優秀な人間が多いと言った時点で予想していたが、予想以上にストレートな回答が返ってきた。
まあ、俺としても異存はない。この世界で右も左もわからないのだ。とれる選択肢は少ない。
俺に価値を見出してくれる人間について行くのが得策だろう。
だがその前に、最後の確認が必要だ。
「フレイスは、なぜ冒険者をやっているんだ?
見たところ、相当危険な仕事なんだろう?」
危険な仕事に付き合うなら、これだけは聞いておきたいことだ。
フレイスは頬杖をつき、にやりと笑ってこう答えた。
「ワタシはね、名声が欲しいんだ。
自分でも理由はわからないけど、とにかく名を上げたい。称えられたい。歴史に名を残したい。
何百年も何千年も後の世でも朽ち果てないような、最高の勇名を轟かせたいのさ。」
そう言ったフレイスの口元は笑っているが、目つきは真剣そのものだ。
「名誉欲、英雄願望か。」
「そう。ワタシは完全に自分の欲のためだけに冒険者をやっているのさ。
困ってる人がいるから、とか、病気の家族のために大金が必要、とか、そんな理由は一切ない。
そんな下品なヤツとはつるめないかい?」
「いや。」
むしろ俺は安心を感じていた。
この理由にきっと嘘はない。あまりの俗っぽさがそう確信させる。
俺は右手を差し出して、
「こうして助けてもらった恩もあるが、なによりあんたが気に入った。よろしく頼む、フレイス。」
力強く、握手を交わした。