近づく転換点2
ミャウシア南岸沖合 ミャウシア海軍駆逐戦隊
ミャウシア暫定政府軍の駆逐艦数隻が沖合に向かって航行していた。
艦種は排水量2200トン、55口径122mm砲4門の汎用砲駆であるミッチェナー級駆逐艦であり、ミャウシア海軍の何でもこなせるバランスの取れた主力駆逐艦の一種だ。
「目標視認!距離8(キロメートル換算)。高さ、およそ5(メートル換算)。水平線一杯に展開しています」
「艦を波に対して直角に立てる。方位167ヘ変針。両舷前進、原速」
副官が艦長の指示を復唱する。
指示の後で艦のスロットルを操作する時に発せられる鈴のような高音が鳴る。
艦隊は12ノットの巡航速度で津波に対して垂直にぶつかっていく。
「総員、姿勢を保持せよ」
艦が津波の上に乗り上げると姿勢が振り子のように上下に大きく揺さぶられた。
「おお!」
「はー」
乗員たちの驚く声が漏れる。
内海の向こうで起きた津波は数時間後にグレースランド、次いでミャウシアの沿岸に到達した。
発生地域では何十mもの津波が襲ったそうだが、内海は狭い海峡の存在や海盆が比較的浅いという条件もあり、内海の反対側のミャウシアに到達したころには津波は5m程度の規模になっていた。
しかし、それでも海岸から最大で500m以内の沿岸の都市や漁村を浸水させた。
津波によってグレースランドで数百人、ミャウシアで千人以上の犠牲を出す。
船舶に関しても停泊させていた小型船が横転したり陸に乗り上げてしまった。
海軍で沈没した艦船は無かったが機関の不調や人員不足、整備中、当直がいない、伝達がなかったなどで沖に出せなかった艦が桟橋に接触したりして損傷した。
元々、ミャウシアは元の世界で大きな地震がほとんど発生したことがなく、海についても津波がまったく到達したことがなかった。
そのため、通報を受け取った軍と将兵でさえ、事態の深刻さを十分に認識できずに後手に回った。
あくまで津波は遠い国で起こる災害で、知識として一定数の人が知っている程度のものだった。
一見すると被害は少ないように見えるが、それでも暫定政府勢力圏を混乱させるのには十分な災害だ。
内海洋上
第二次世界大戦のイギリス軍爆撃機ウェリントンに似たグレースランド軍の爆撃機が内海の洋上を飛行する。
その爆撃機からは海一面が真っ赤に染まっているのが見渡せた。
所々、潮の流れで通常の青い海が見受けられるが基本的には何百キロにもわたって真っ赤に染まっていた。
これはミャウシア沿岸でも発生していた。
ミャウシア南部のとある海岸
NATO加盟国から派遣された軍人と科学者が海水のサンプルを集めていた。
その中にはナナオウギの姿もある。
横にはトラ模様の髪で胸の大きい女性軍人の姿があった。
久々にミーガルナがナナオウギの下に付いていたようだ。
「隊長。あたし、現地民に嫌われてるんですけどいいんですか?」
「ん?別にいいよ。協力を拒否られてはいないんでしょ?」
「それはそうだけど。わざわざあたしをご指名したから何なのかと思えば現地ガイドだし。あたし、ニャーガ族だからこの辺りの奴らに目の仇にされてもおかしくないんだよ?それに兵卒のあたしよりもっと適任者がいたと思うけど」
「んー。知らない人より良く知ってる人に任せられるならそっちの方がいいじゃん?気疲れしなくて済むし。支障がないならヘーキヘーキ」
ミーガルナは腕を大きな胸の下に組んみ、ナナオウギを呆れた様子で見る。
「それはそうとさ。今度、ミャウシア人の調整役と連絡役をまた設けるらしいんだよね。良かったらだけど、ミーガルナにまたお願いしてもいい?」
「それこそ専属の士官の方が有能に立ち回ってくれるんじゃないの?」
「あーねー。でもまあ、そこをうまくやればミーガルナだって一気に昇進できるかもだし。やって損はないんじゃない?ダメだったらその時だし」
「んー。まっ、隊長がそこまで言うならあたしがやってあげなくもないんだけどね」
ミーガルナはそう言って少し嬉しそうにナナオウギを見返す。
ナナオウギもよろしくと言いたげな様子でミーガルナを見やる。
ナナオウギとミーガルナの関係だが、はたから見ると男女の関係なのかと見られてもおかしくない。
けれどもナナオウギはミーガルナを気の合う女友達として見ているところがあった。
チェイナリンのことはしっかり異性として意識しているのだが、ことミーガルナに対してはチェイナリンと出会った後のどったんばったんな初対面だったこともあり、友達以上に意識することはまだなかったようだ。
しかし、ミーガルナはそうでないことをナナオウギは後々知ってしまうことになる。
そして二人の視線は調査団に向けられた。
「ところであの人たち何やってるんですか?」
「津波で赤くなった海水に何が入ってるのか調べるらしい」
「でもこれって赤錆でしょ?」
「概ねね」
ミーガルナは「この世界の海、鉄臭いんだよね」とどこかのタイミングで小言を言ってしまう。
この世界に人々が転移してその日のうちにわかったこの世界の特徴はいくつかある。
そのひとつがこの赤錆だ。
赤い海はミャウシアの元の世界の海と比較してもとても異常であり、津波による天変地異なのではないかと囁く人々も大勢いるが、結局のところは海底に溜まった赤錆が津波による海底海流で巻き上げられただけなのだ。
問題は何故これだけの量の赤錆、正式名称 酸化鉄(III)が海底、特に海盆に眠っているかである。
堆積物は何も酸化鉄だけではない。
90%以上は鉄だが、その他にもニッケル、スズ、銅などあらゆる金属がいろんな酸化物や塩の状態のまま兆トン規模で堆積しているのだ。
また、これらは基本的に大陸棚には堆積していない。
科学者たちは大量の沈殿金属の中に含まれる鉛やクロム、ヒ素といった毒性の強い元素を懸念していて調査している。
幸いなことに毒性のある元素に限って存在量は少なく、生物への影響は少なかった。
それでも深海の生き物には大ダメージが出ているとの調査報告もある。
津波の影響でそれらが攪拌されて大陸棚などの浅瀬に流れてきたのだから調査しないわけにはいかなかった。
「おい、お前!ミャリヴ語(通称ミャウシア語)が上手いそうだな!こっちへ来い!」
「はい?ミーガルナ、あれ誰?」
「ミャウシアの著名な学者らしいですよ。あのペトロヴァ一族本家の一人だとか」
「ペトロヴァ一族?」
「ミャウシアで一番金を持ってる一族ですよ」
「ミャウシアって社会主義じゃなかったの?」
「そうだけど、あいつら権力者に媚び売るの上手いから」
「ふーん。社会主義が志半ばで矛盾しまくる法則は別世界も例外じゃないのか。でも、なんで学者?」
「さあ。金持ちの道楽かな?」
「なるほどね」
「何もたもたしてる!早く来い!」
ナナオウギは微妙な表情で声の主に近づく。
「ナナオウギ・ショウタ軍曹です。お呼びですか?」
ナナオウギはヨーロッパ防衛戦時の上等兵から3階級も昇進していたようだ。
このままいくと近いうちに准尉に到達しそうである。
「そうだ。この地球人科学者たちの見解が聞きたい。通訳するんだ!」
科学者は三毛髪のミャウシア人女性で、くせ毛の強いペイシャル族を上回るぼさぼさ髪と丸メガネが特徴的だ。
地球人が調査するということでならば我々もということで対抗する様に参加したらしい。
「調査してるんですから見解はまだないのでは?」
「生態系への影響の話ではない。この赤錆の出所についての話だ!」
「はぁ...」
ナナオウギは上官に事情を説明するが、任務外だとして聞き流していいと指示された。
しかし、学者は食い下がる。
「なぁ、頼むよぅおおお。ちょっとだけ話を聞いてもらうだけでいいからさああ。海に金属が沈殿してるのはこの世界の海が元々溶解性の金属塩で満たされていて、それがつい最近一気に酸化したと考えれば辻褄が合うんだ。だが、そんな量の金属塩が何で溶けていて何で一気に酸化した理由もわからないんだ。私らの世界には縞状鉄鉱床ってやつがあるんだが、何億年も掛けて形成されたものだし、これも形成理由がわかってないんだよぉ。地球人なら知ってるんじゃないのか?金なら払う!」
学者は両手でナナオウギのセンターユーロ迷彩の戦闘服わし掴みにしてせがむ。
ナナオウギは困るが振りほどこうとはしなかった。
最初は高圧的なのか思っってムッとしたが、単に社交性のない金持ちの科学オタクなだけのようだ。
そして、ナナオウギは話している内容が専門的過ぎて理解できずにその点でも困る。
宇宙の話ならある程度受け答えできるのだがと悔やむ。
「ペトロヴァ氏、お下がりください。今回は諦めましょう」
ミーガルナが学者とナナオウギの間に入って引き離す。
「一般兵は黙っとれぃ!軍部の許可をもらっとるんだぞ!」
「ですが彼の軍隊の許可は取ってないですよね?」
「なんだとぉ?」
「なんでもですよ!」
ナナオウギをよそに猫耳娘二人によるメンチ対決が始まってしまった。
二人とも尻尾を左右に速めに動かしているのでイライラしてるのが見て取れる。
グレースランド人の場合は逆に楽しいという感情表現になる。
地球人のにらみ合いと違い、やたらと肩に力が入っている点が印象的であり、まるで猫の威嚇態勢のようだ。
そして学者が手を少し上げて振り下ろせる態勢をとる。
あっ、ネコパンチ来るなとナナオウギは直感する。
どうやらミャウシア人の喧嘩は猫の喧嘩にさえ似ているらしい。
だが喧嘩をさせるわけにはいかなかった。
それに恐らくだが学者さんはニャーガ族のミーガルナに勝ち目がないと考えられる。
ミャウシア人の中で最も筋力や体格が良いニャーガ族の出身であるミーガルナが相手ではどうしても分が悪い。
「わかりました!何とかします!」
そのセリフに二人は姿勢を変えずに首を動かしてナナオウギを見た。
学術調査はしばらく続き、水生生物の死骸がないかも調査された。
その間に参加していた学者にナナオウギは話を伺う。
その学者は地質学は専門ではないようだが、それでもペトロヴァ氏の求める知識は古生物学的にも基礎的なことでもあり、異世界についての学者の間で共有されている仮説と一緒に教えてもらうことができた。
まず、地球もミャウシアの世界も鉄鉱石は縞状鉄鉱床という赤い石の地層から採れる。
その形成の仕組みはこうだ。
太古の惑星は無酸素であるため、惑星誕生時から海に溶けていた大量の金属塩がそのまま何十億年も海に溶け残り続けていた。
惑星誕生から数十億年後、そこに光合成を行う生物が誕生したことで、大気の二酸化炭素が酸素に変換された。
酸素は元素の中でも最も反応性に富むガスの一つであるため、直ぐに海水に溶けていた金属を酸化して沈殿させた。
それが数十億年の時を経て鉱山で採掘される鉄鉱石になるのだ。
世界で産出される鉄鉱石はほぼこのメカニズムでできており、それ以外の鉄鉱石は小規模で不純物の多さから採算上商業化はほとんどされない。
この学説を聞いたペトロヴァ氏は理にかなっているとして見るからに満足な表情をした。
ナナオウギはずぼらな(ケモミミロリの)リケジョの笑顔に見えた。
眼鏡属性が好きな人には結構刺さりそうだなと思う。
本題はここからだ。
この惑星の海底に沈殿している大量の金属の出所だ。
地球人の学者たちは皆、縞状鉄鉱床と同じ原理で沈殿したと考えていた。
そして沈殿物に含まれる炭素を年代測定にかけて、これらが僅か4000年前(地球時間)の非常に短い期間に形成されたことを確かめていた。
これを説明できる説がいくつも唱えられたものの、有力視されたものが人為的に作られた大量の酸素を使った強制な沈殿が原因ではという説だった。
つまり、テラフォーミングである。
実際、海に溶けたすべての金属を酸化させるのには光合成バクテリアだけで3億年くらいは掛かるだろう。
それが数十年で達成されているという調査結果と矛盾させないようにするには、これくらい突飛のない仮説しか思い当たらない。
しかも、地殻の調査によってもこの惑星の大気がどの年代でもほぼ無酸素だったこともわかっている。
4000年前に大気の組成が一瞬にして変わり、海の組成も一変したとしか言いようがない。
だが学者たちは意外なことにこの突飛もない仮説を強くは拒絶しなかった。
なんせ”異世界転移”なんて空想科学的な現象が起きているのだから何でもありだ。
それが科学者たちの間で広まっている認識だった。
これはこの世界の真実の一端を物語っていた。
それを聞いたペトロヴァ氏は子供の様に目を輝かせる。
一方で科学にあまり興味の沸かないミーガルナは置いてけぼりを食らったようにつまらなそうな表情をしていた。
ナナオウギは面白い雑学が増えたという具合に悪い気はしなかった。
「凄い!もうそんな仮説を導き出しているのか!これは地球の書物を買い漁って常識も研究方法も更新しなくてはならんなぁ」
ミーガルナはそれをはぁ、そうですかと言わんばかりの微妙な表情で見る。
「満足してもらったようで何よりで」
ナナオウギはそう言って苦笑しながらミーガルナを連れてその場を離れようとする。
「ナナオウギ殿、どこへ行かれる?まだ話は終わっていない」
「いやー、流石にこれ以上は...」
「まぁ、そう言わずに聞いてくだされ。もし、ナナオウギ殿が貴国の政府や財界に掛け合ってくださるのであれば、その後で我が財閥が貴国をお得意様として歓迎し経済的な関係を築くよう私が尽力しましょう」
「え?」
「ナナオウギ殿は単なる兵卒とお聞きするが、人が良さそうだ。ここでもう一つ骨を折っていただければ、友好関係を築くという国を守るのと同じくらい有意義な功績を作れるということ。悪い話ではない。今は政府が機能してない故、実利的なことは我々をまず通した方が何かと便利ですぞ」
「...はぁ、言いたいことはわかりました。でもなんで私にそれを?」
「それはもう、早く地球の学術書が欲しいからに決まってますよ。ふふふ。それに戦争と言語の高い壁のせいもあって財閥を経営している我が一族では地球人と関係を築く機会が全くないことを嘆いているのをふと思い出しました。今は軍にあまり相手にされてないこともあります。だからナナオウギ殿を利用しない手はないというもの。話を取り付けてパイプを作ってくださるだけでいいんですよ。後はその手の人達がやり取りしますから。私、いつもは商売に興味を持てないでいるんですが、すねかじりの身としてはたまに働かないと当主もといクソ母にまた嫌味を吹っ掛けられちゃいますもんでね」
ナナオウギは悪い話ではないと考えて上と掛け合おうと考えるが、いささか現金な奴だなと、いい奴か悪い奴か印象を評価しずらかった。
「それに戦争なんてくだらないことで大勢の民が明日食う飯もない有様。それをなんとかできるのもまた商いしかない。我が国は社会主義ですがそれでは救えないものがたくさんある。民を救うには商売できる環境をできるだけ早く立て直せるかにかかってる。違いますかな?ナナオウギ殿はそういうのに興味ありそうですし」
「なるほど」
「まっ、一族当主が最近ほざいてる説教の受け売りですけどね!ハハハ」
ナナオウギとミーガルナはペトロヴァ氏のテンションにとにかく流されるしかなかった。
いい奴ではあるんだろうという認識以外はまだ許容できていない。
「まぁ、そういうことです。私はペトロヴァ・ラビスクニャ・メルルゥ。よろしくお願いします」
彼女がそう言うと手を差し伸べ、ナナオウギも握手して応えた。
その場で思いついたキャラを投入。
前に投稿してその後で削除した話に登場したアルルゥの姉に当たる設定。
アルルゥもそのうち出しなおします。
あとこの話も書き直すかもです。
スイマセン。
地球の歴史の参考動画
4:30当たりの赤海が例の奴です。
それまでは緑色の海になります。
https://www.youtube.com/watch?v=Q1OreyX0-fw