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「婚約者の好きな人 #4」と同じものになります。
勝手知ったる人んちの庭、だ。小さい頃にハンスとよく駆け回ったおかげか裏庭の池までそんなに時間をかけずにたどり着いた。相変わらず聖霊の気配がする。好奇心の塊である聖霊が一か所にとどまっているのは珍しいことだ。何かあるに違いない。
その瞬間、またあの嫌な感じがする。背中に氷の棒を押し当てられたような感覚に飛び上がるのを必死に耐えながら足を動かす。
トプン、ピチャン、と、水音がする。
茂った草をかき分けのぞいた時、リリアンは池の中心に向かって池の中を進んでいるところだった。
とりあえず最悪な事態は避けられた、と、安心したが、次の瞬間リリアンが消えた。
全身の毛が逆立ったというのはこんな感覚なのか、そのまま衝動的に池に飛び込んだ。
この池は中心が深くなっていて、大人でも溺れてしまう深さだと聞いていた。このままではリリアンがいなくなってしまう。頭の中でガンガン音がする。
ドレスに包まれて下へと沈んでゆくリリアンは目を開けてこちらを見ている。
大丈夫だ。俺が守る。
水の中に沈んでいくリリアンの指先をつかんで引き寄せる。少しリリアンが微笑んだ気がした。
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木の根元に引き上げるとドレスが水を吸って重くなっている。躊躇したのは一瞬だ。手首を出し脈を図り、弱弱しく脈打つものを確認し、スカートの一部をはぎ取り、首元のリボンとボタンをはずす。飲んでしまった水を吐かせるために後ろから抱えて持ち上げる。リリアンの腹の前で腕を組み、真上に持ち上げる。二回目でリリアンの体が大きく震え、咳き込みながら水を吐き出した。
「 リリアン、リリアン! 」
あお向けにし、息をしているか確認するために顔を近づける。声をかけても反応はないが、顔色は先ほどよりは赤みが差してきているので少し安心した。このままでは体が冷えてしまう。急いで屋敷に運ばなければ、と、リリアンの体を起こし、抱きこみながら立ち上がる。横抱きにし、そのまま歩き出すとハンスがロイドと侍女を連れて様子を見に来た。
俺の腕の中でぐったりとして運ばれているリリアンを見て、ハンスが悲鳴を上げた。
「 な、な、なんだ、その格好はー!!! 」
格好? びしょ濡れの事を言っているのか。
屋敷に向かって歩いていた足が思わず止まる。ハンスの後ろにいるロイドも侍女も不思議そうな顔をしている。だが、ハンスの背後から出ているオーラは怒りの赤だ。
「 なんで! リリアンの胸元がはだけているんだ!! し、しかも足まで!! 」
真っ赤になって怒っているハンス。オーラは恥ずかしさの混じった桃色と赤色だ。そう言われて改めて見てみるとリリアンの服は体に張り付いていて体の線がわかるようになっている。このままでは家人とはいえ、何人もの目にさらすことになってしまう。
「ほら、これを使えたまえ! 」
ハンスが上に着ていたジャケットをリリアンの体の上にかける。正直、リリアンの状態が気になる状況で、そんなことに気が回らなかったのだが、ハンスの言うことも何となくわかるので素直に頷く。ロイドが侍女にいくつか指示を出した後に俺に向かって言った。
「 ジークリオン様、治療師様はリリアン様のお部屋の方へ呼んでおります。そちらまでお願いできますでしょうか。 」
「 勿論だ。 」
頼まれなくても俺が運ぶ。ハンスも寄ってきてリリアンの頬をそっと撫でる。
「 頼むよ。ジークリオン。 」
「 ああ。 」
侍女は池の方に向かっていった。置きっぱなしの荷物などを取りに行ったんだろう。ロイドの先導でテラスの窓から屋敷内に入る。びしょ濡れのリリアンの着替えをすべく侍女長が待ち構えていた。そっとベットの横のソファにリリアンを横たえると侍女長がすぐそばに寄ってきて侍女たちに指示を出す。その様子を見ながら目を凝らしてリリアンのオーラを探す。顔に赤みが差してきたとはいえ、意識がないのだ。
じっと見ていると侍女長が振り向いて言った。
「 ジークリオン様、お召し物を客間に用意しております。このままではお体を壊します。お着換えなさって来てくださいませ。 」
「 だが、リリアンを寝台に運ばなくては・・・。 」
「 お着換えなさってから運ぶときはまたお呼びいたします。申し訳ございませんが、再度お頼みしてもよろしいでしょうか? 」
「 ああ、わかった。 」
「 それではハンス様!ジークリオン様を客間へご案内していただけますか。 」
「 いや、僕は濡れてないし、リリアンを寝台に運ぶからここでまってるよ! 」
「 それではハンス様はここでお召し替えを見ていらっしゃるという事ですか? 」
「 ああ。勿論だとも! 」
「「 ・・・。 」」
いや、ハンス。それはいくら何でもまずいだろ。侍女長の冷たい目線に気付かないハンスは鼻息も荒く胸を張っている。
「 ・・・。ハンス、すまないが案内を頼みたい。 」
「 でも、リリアンが・・・。 」
「 大丈夫だ。その時が来れば呼びに来てくれるとロイドが言っている。 」
そう言ってロイドの方を見ると頷いてくれた。
それを見たハンスは渋々と踵を返し、扉に向かって足を進め、俺はその後についていった。
リリアンの部屋を出た後客間に向かい、ロイドが用意してくれた服に着替えた。シャツとズボンに着替え、濡れてしまった服をロイドに渡す。
「 ジークリオン様、サイズの方はよろしかったでしょうか。」
「 ああ、問題ない。ちょうどいいよ。ありがとう。」
ロイドにお礼を言うと、ゆっくりと頭を下げ、そのまま部屋を出ていった。
ハンスが手際よく目の前に湯気のたつカップを置いた。黙って口をつけると程好い暖かさの香茶が体に染み渡っていくようだった。思っているより体が強張っていたようで、ほう、と息が出た。対面に腰かけたハンスは黙って香茶を飲んでいる俺の様子をじっと見ていたらしい。自分に何かあるのかと思い、身なりを確認しているとまるで心を読んだようにハンスが頭を下げながら言う。
「 違うんだ、ジークリオン。ありがとう。君がいなかったらリリアンは助からなかっただろう。 君の命まで危険にさらすなんて、もしものことがあったら僕はおじさまに申し訳がたたないところだった。それに、先ほどは、その、取り乱してしまって申し訳ないことをした。リリアンと君がずぶぬれなのを見て動転してしまった。」
「 そんなことは気にしなくていい。俺だってまだ震えが止まらない。」
細かく震えている右腕をハンスの前に出すとハンスの顔がくしゃりと歪んだ。
「 本当に、僕の天使は、悪い子なんだから・・・。」
うつむくハンスの方を見ない様にして香茶を飲んでいると、扉をノックする音が聞こえた。
「 失礼します。ハンス様、ジークリオン様、リリアン様の支度が整いました。」