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「婚約者の好きな人 #3」と同じものになります。
翌朝、昨日のうちに購入していた手土産を従僕に持たせ、フリューゲルス家に馬車で向かった。馬車内では新婚の従僕が幸せオーラをまき散らしている。彼のオーラは幸せの黄色と好意のピンク色の見事なグラデーションだ。
「 ・・・。」
最近人の幸せを素直に喜べない自分がいる。そんな自分に自己嫌悪なのだが。
聖霊と同化した俺には聖霊が寄ってくる。仲間の気配はするのに半分だけ、という不思議な気配を確かめに、本能の塊でできている聖霊たちはグイグイ来る。聖霊のもとは人間の強い祈りや呪いなどからできているのだから、本能に忠実というのは、まあ、仕方がない気もする。
今も幸せオーラの従僕の頭の上に一人、気持ち良さそうに寝転んで俺を見ている。
しばらく俺を観察したあと、なーんだ、という風に一瞥して消えていく。この聖霊は俺をお気に召さなかったようだ。
*******
俺の母は俺が小さいころに病気で亡くなった。リリアンが騒動を起こしたすぐ後だ。
俺は大きな岩に潰されて瀕死の大怪我を負った。その時に俺はリリアンを助けたかったから・・・いや、違うな。結局は俺自身もあがいて、生き残りたかったのだろう。その場にいた聖霊様の一人と同化した。それが命の聖霊、プルシャン様だ。
俺自体が重傷を負っていたために同化するまで物凄い痛みを感じたんだが、そんなのは生きることに比べたら我慢できるものだった。ただ一つ誤算があったとするならば、同化が上手く行き過ぎたってことだ。
普通なら同化して、お互いの意識が混ざりあうか、反発するかで結果は違ってくるそうだが、俺の場合は半々で混ざり合ってしまった。
意識が混ざり合うという事は、別々のパン生地をこねあげて一つのパンを作るという事だが、俺とプルシャン様の場合はちょっと事情が違う。生地が混ざらずにそのまま俺の周りをプルシャン様が包んだようになった。そのせいか、心の中では色々感じて思っているのにも関わらず感情が表に出なくなってしまった。
それと変わったことがもう一つ。俺の瞳の色だ。母親譲りの赤朽葉色だったはずなのに、プルシャン様の体の色である瑠璃紺色になってしまったのだ。そして瞳の色が変化した後、不思議なものが見えるようになった。人の感情がその人の周りに漂って見えるようになったのだ。
最初は目がかすんでいたのかと思ったがその人によって色味が違う。暗かったり、明るかったりで強さも違う。
我が家に母の見舞いに来て、悲しそうに父に話しかけていても喜びの感情を見せていたり、病状を聞き残念がっていても面白がっている感情を見せていたり・・・。
そんな大人たちを見ていたらなんだか心が乾いてしまった。
浅黒い肌の聖霊にリリアンを頼まれたのもあって、高熱でうなされているリリアンの見舞いに行った。枕元に立ってリリアンの額に手を置き、熱を測るふりをしてプルシャンの力を使ってリリアンの聖霊に好かれる性質を包んで隠した。上手くいけばこのままリリアンは聖霊に出会うこともなく生きられる。余計なトラブルにも巻き込まれずに穏やかな人生を送るに違いない。少し暗示のようなものもかけてみた。今回の事故に関しての記憶もあいまいに忘れたまま思い出すこともないと思う。
念には念を入れてあまりリリアンとは接点を持たない様にしようと思った。何かがきっかけになって細工が解けてしまっては意味がない。
また心が乾いていくような気がした。
母親の葬儀で涙も流すこともなく無表情でいる俺に皆が同情し、目の色も変わったことも成長期によくあること、で済まされてしまった。
壊れ物を扱うようにされていたおかげで誰も俺には近づいてこなかった。いや、正確に言うとハンスだけは何を言ってもどこ吹く風で、変わらない態度で俺の横にいた。どんなに追い返してもまたいつものようにやってきて俺の横にいるんだ。ハンスのおかげで人間らしさを取り戻していったんだと今なら思う。
文官になるための訓練所に入って2度目の長期休暇に入ったとき、俺は父に呼び出された。リリアンとの婚約を進めてもいいのか、と。
瞳の色が変わったころから悲しげな眼で俺の事を見るようになった父。この時も何か言いたそうにしていた。そんな父を見てもなんとも思わない自分が嫌になる。
「 この婚約が嫌だというのなら、撤回することもできる。 」
「・・・いえ、進めてください。小さい頃からの約束ですので。 」
「 だが、あの時と今は違うんだぞ。 」
「 大丈夫です。約束は守ります。 」
この時のリリアンは以前の事を忘れているはずだった。忘れさせてのは俺だからどんな様子かもわかっていた。だから六年前にハンスに紹介された時も、リリアンに初対面のように挨拶されても、ああ、やっぱりな、としか思わなかった。
なぜ記憶を消してしまったのか、記憶を消さなければ今でもリリアンと一緒に笑いあえたんじゃないか、などと考えてしまうことはあったが、記憶を『消さない』という選択肢はなかった。
瞳の色が変わったころから少しずつ少しずつ聖霊の記憶が流れ込む。
目の前の現実の景色に被せるように記憶の景色が映っては消え、映っては消え。
『お気に入り』の人間をなくしてしまった聖霊の末路。
聖霊に気に入られて段々とおかしくなってゆく『お気に入り』と周りの人たち。その中には聖霊と同化し、人間社会で孤立し死んでいった者の記憶もあった。聖霊と同化した人間はどうしたって聖霊を引き付けてしまうらしい。同化自体、聖霊が進んですることはほとんどなく、聖霊、人間、どちらかが強制された同化は失敗のち、消失だ。
記憶が入ってくるにつれて、怖くなる。リリアンに怯えられ、リリアンの目に化け物のように俺が映るなんていうことに俺が耐えられない。小さい頃に俺の事を慕ってくれていたリリアンはもういない。俺とリリアンの間にあるのは、『兄の友人』と『友人の妹』だ。それでもリリアンに嫌われるのは嫌だと思ってしまう。年月が経つにつれてどんどんと綺麗になっていくリリアンはだんだんと俺の目には眩しくなってきた。
ハンスは同化の事はわからなかったようだし、俺も何も言わなかったが何かを察していたんだろう。
「 リリアンの事を大切に思ってくれているのはわかっているよ。もうリリアンと会ってもいいんじゃないかい? 」
「 いや、俺は・・・。」
「 なんだい! 僕の天使が君の事を嫌うわけがないだろう? 今は忘れているかもしれないが直に元のリリアンに戻るさ! 」
俺はリリアンに嫌われるのが怖くて、思い出して欲しいが思い出して欲しくないという矛盾した気持ちを抱えて前にも後にも進むことが出来なかった。
*******
ガタン、と振動して馬車が止まる。フリューゲルス家に着いたようだ。
今日はこの後ハンスと出かける予定だ、と、馬車を帰し、フリューゲルス家の執事のロイドに案内されてサロンに向かう。
サロンにはお茶の用意がされていて待っていたのはハンスだけだった。俺の気持ちをくみ取ったようにハンスはニヤリと笑って言った。
「 やあ、よく来たね。待っていたよ。 」
「 ああ。 」
「 相変わらずの不愛想だね、君は。そんなだからいつまでたってもリリアンが戻らないんじゃないのか? 」
「 そうかもしれんな。ところで、この間言っていたヤツはものになったのか? 」
「 ああ、あれね。実は大変なことになったんだよ。君の言う通り調べてよかったよ。 」
強引な話題転換でハンスも気付いたのだろうが何も言わずに乗ってくれた。そのまま世間話をしてしばらくしてからだった。
妙な感覚がした。
小さいけれど確かに聖霊が力を使ったのがわかった。それだけなら特に気にすることもないが、まだ妙な感覚が消えないどころかますます強くなっていく。
掌と背中にじっとりとした汗がにじんでくる。心に浮かんでくるのはリリアンの事だ。
「 おいハンス。今リリアンは何をしている? 」
「 え? なにって、もうそろそろ家庭教師が来る時間だから自室にいるんじゃないか? 」
一瞬ハンスにからかうような態度が出たが、俺の様子がおかしいことに気付いたらしい。話してくれた後にロイドをリリアンの部屋に確認に行かせた。
「 部屋にいないらしい。 」
戻ってきたロイドに報告されたハンスは少し考え込む。その間にも妙な感覚は途切れることもなく嫌な感じになってきた。
「 最近のお気に入りは庭の端にある池のほとりなんだが・・・。入ることはないと思うが、池は中心が深くなっていて、大人でも溺れてしまう深さだと聞いている。」
そこまで聞いた俺はサロンの窓から庭に飛び出した。