1話 吉田(一年生)
世の中にはいろんな部活があるけど、放送部ほど楽な部活はないと思う。
その楽な部活に、僕は所属している。
放送部員には僕と加村しかいない。
正確にはもうひとり幽霊部員がいるのだが、幽霊なのでいないようなものである。
加村と僕の共通点は、まず大のスイーツ好きであるということ。 そしてお笑いが好きということ。
とくにスイーツに関しては僕も加村もとてもうるさい方である。 こだわりもつよく、それでもめることをしばしばあった。
この日も加村は、僕がオススメする駅前に新しくできたケーキ屋のオリジナルケーキに辛口評価を下していた。
「まぁ、しょうがないよな。 あそこの店のパティシエはこのあいだ専門学校出たばっかりなんだし。 このケーキにはいわゆる経験値というものが足りない」
加村の評価はいつも抽象的であった。
彼は、右脳で考えるというか、なんとなく芸術肌というか。 直感で考えるタイプだった。
「なにいってるんだよ、加村。 おいしいじゃないか。 たしかに挑戦的な味はないかもしれないけど、こういう原点に戻った味がじつは一番安定してていいんじゃないか」
僕はそう加村にいった。
加村と違い、僕はどちらかといえば、調和を重んじ、段取りを大事にする性格だった。 たまに人からは石橋を叩いて渡るタイプだとか、安全運転バカとか言われたりする。 たしかどちらも加村が言ってたことだったが。
「おいおい、挑戦をしないでどうするんだ」
加村はそう言ってさらに付け加えた
。
「そんなに調和が大事かね。 みんながみんな甘く溶けて一体化してしまっては、ゴッホは生まれなかったし、エッフェル塔も建たなかったんだぞ。 挑戦をせんか、挑戦を」
「でもそれじゃ経営は成り立たないよ」
「だったら一生雇われパティシエで過ごすんだな」
たしかあの店は、フランチャイズだったような。
加村はなにか勘違いをしているのだろう。
昨日駅前にできた新しいあの店に行ったとき、とても気の弱そうな男のパティシエが慎ましく作業している姿を僕は見ている。
彼には挑戦という文字はとても似合わなかった。
どちらかといえば調和という文字がしっくりきた。 そして僕はあのパティシエにとても好感を抱いた。
「ま、おいしいけどな、これ」
加村はそういってコーヒーをすすった。
あれだけいろいろ訳わかんないことを言っておきながら、出されたスイーツはどれも残さず食べるのだった。
「俺は別にまずいなんて一言も言ってないぜ」
つまり彼は少し変わってるところがあった。
加村から言わせると、僕も相当変人だと言うが、それは違う。
まったくもって僕はごく普通の常識人であり、普通である自分にとても感謝している。
僕はそんな自分が大好きだった。
僕らはいつものように、放送室でそのような議論を交わしていた。
いつもとかわらない放課後である。
すると、放送室の扉の向こうに人の気配を感じた。
加村も同じ気配を感じたらしく、コーヒーカップを持ったまま静止した。
僕らは目を合わせた。
放送室には、コーヒの香ばしい空気とケーキの甘い余韻が調和し、不気味な静寂を作っていた。
ノックの音が聞こえた。
入ってきたのは一人の男子生徒だった。
「じつはお願いがあってきました」
その男子生徒は、見れば一年生で僕らよりひとつ下の学年だった。
僕らの学園ではネームの色によって学年がわかるようになっていた。
その男子生徒のネームは黄色だった。
僕と加村は無言で、その男子生徒が話すのを聞いていた。
「じつはおれ、好きな人がいるんです。 告白したいんです。 ここに来れば、心置きなく男女ふたりっきりになれると聞いたんですが」
胸のネームを見ると吉田とあった。
彼は色白で、身長はあまり高くなく、頼りなさそうなほっそりした男だった。
「執行委員のやつら、ホントうざくて。 この学園が恋愛禁止だというのはわかってます。 自分もそれを知って入学しました。 ですが人が人を好きになってしまうのはしょうがないですよね。 来る日も来る日も、僕は彼女のことが頭から離れません。 どうかこの僕に、彼女に告白する場を設けてください。 お願いします」
吉田は、まるで演劇部員のように高らかといった。
そんな彼を尻目に、加村はコイントスをして、僕に、裏か表かこっそり聞いた。 僕は表と答えた。
コインを弾くと結果は表だった。 加村の負けだった。
加村は後輩の吉田に向かっていった。
「さっきから何をいってるかわからんな。 告白したいんだったら、わざわざ学園内でやらなくたっていいじゃないか。 その彼女とやらに連絡先を聞いて、早朝4時とかに公園に呼び出してさっさと告白すればいい。 きっとフラれるから」
加村は口が悪いところがあった。
しかし、吉田も食い下がらなかった。
「それがですね、加村先輩。 彼女は連絡先を教えてくれないんです。 聞けばケータイをあまり使わないようでいつも家に置いてあるそうなんです。 家をつけて回るようなストーカー行為はしたくありません。 僕は正々堂々と彼女に告白したいんです」
放送室でコソコソと告白することが果たして正々堂々だろうか。
僕はそう思ったが、とりあえず黙っていた。
「おそらく彼女は恥ずかしがり屋で、僕が告白するのをまっているんですよ。 ええ、きっとそうです。 だから僕はどうしても告白しなければならないんです。 ですから!」
「だまれ、バカ!」
加村はどこからか取り出したタウンワークで彼の頭を叩いた。
「あのなー、誰にそんな話を聞いたのかしらないが、この部は理事長が大変気に入ってくださっているんだ。 お昼のラジオがおかげさまでとても好評でな。 そんな理事長が掲げる恋愛禁止を、俺たちが裏切るわけがないだろう。 うちはそんなお遊戯会みたいな恋愛劇に場を貸すような安い劇場じゃないんだよ。 やるならどっかのウサギ小屋にでもいけ」
なかなかひどいことをいう。
そんな罵声を浴びせられても、一年の吉田には響いてる様子はなかった。
「どうかお願いします」
「しつこいぞ、飼育小屋のクセして。 早く出て行け。 お前は早朝4時にニワトリ相手に愛の告白でもしてろ。きっとフラれるから」
加村にそういわれて、さすがに吉田もうなだれて、わかりました、といって帰っていった。
なんだか、本当に鶏小屋で告白したりはしないだろうか。 僕は若干それが心配になった。
「さすがに言いすぎなんじゃない」
彼が扉から出て行ったのを確認して、僕は加村にそういった。
「もっとやんわりできたと思うんだけど。 あれじゃ、ただ悪口を言ってるだけじゃないか」
加村はコーヒーを入れ直していた。
挽いた豆の香りが部室中に広がった。
目視はできないが、その渋く好意的な香りが僕らの周囲をベールのように包んでいるようだった。
「あんなに高圧的でいいの?? そもそもラジオのキャラとは全然ちがうじゃん」
僕らはお昼休みにラジオ放送をやっている。
10分間だが、楽しみにしてくれる人もけっこういる。
加村の今の口ぶりは、おおよそラジオの時とは似てもにつかない。 まったく違い人物といってもいいだろう。
「あれでいいんだよ。 別にラジオのときのようにずっと振舞うことなんてできないだろう。 俺は芸能人じゃないんだ」
「僕はラジオの時の自分のキャラを大事にしているよ」
「だからお前は変人なんだ」
そういって加村は再びコーヒーのある世界に戻っていった。
彼は目を閉じ、足を組んでいた。
僕も突然の来客にヒヤヒヤしたせいか、コーヒーを飲んで落ち着きたかった。
ビーカーの残ってるコーヒーをカップに注いだ。
「それに」
加村はコーヒーカップを握ったままそういった。
「この放送室の、裏の存在を知られるわけにはいかんだろう」
そういって、コーヒーをすすった。
そうだね、と僕はいった。
ここは、校内放送をするだけの場所じゃない。
第2校舎の3階、その一番角に忘れ去られたように存在する放送ブース。
本来、その場所はまったく使われていなかった。 放送用マイクが職員室に設置され、この放送室はもう10年も前から使われなくなっていた。
しかし1年前に僕と加村で放送部を結成し、お昼のラジオ放送をしたいと当時の理事長に直談判した。
最初のころは教師たちも難色を示していたが、僕らの努力の甲斐もあって、教師や生徒たちもお昼の放送を楽しみにしてくれるようになった。 僕か加村のどちらかが風邪で休んでお昼の放送が中止になると、わざわざ心配して教室まで来てれる人もいた。
学校案内のパンフレットにも載るようになり、今ではすっかり学校の名物になった。
そして、あの日。 僕らが2年生になった始業式で、今の恋愛禁止を掲げる理事長が就任した時にも、僕らはラジオを続けていきたい旨を理事長に告げた。 前任の理事長はフランクな人でとても話しやすかったが、新しい理事長はなんだかきっちりした緊張感のある人だった。
そして僕らは、恋愛の話をしないことを条件に、ラジオの続行を約束された。
恋愛禁止。
この学園はかなり厳しくそれを取り締まっている。
先生たちの社内恋愛も禁止したほどだった。
しかし、生徒も教師も人である。
みんな恋愛をしたいし、イチャイチャしたいのだ。
それが禁止されればなおのこと。
そこで僕は、この放送室を校内恋愛する人たちが秘密裏に逢瀬できる場として、理事長や執行委員にはバレないように秘密裏に手配してあげることにした。
この放送室は、人目に付きにくく、そもそも忘れ去られた場所であるだけに執行部たちの監視の目が届きにくい。
恋人たちが逢瀬をするにはもってこいの場所である。
そしてなにより僕は、そういう人たちを応援するのが大好きだった。
恋人たちの逢瀬を手伝う代わりに、見返りとして彼らからスイーツをもらうことにしている。
僕は見返りとか別にいらないのだが、加村は違った。
危険を犯しているのだから、それ相応の報酬はあっていいはずだ。
そう加村はいった。
そうして、僕らは放送室のラジオパーソナリティという表の顔と、密会場所の提供者という裏の顔を使い分けている。
だからこそ、そう簡単にこの場所の存在を明かさないようにしている。
どこで足がつくかわからない。
なので、この放送室を秘密裏に利用したい場合は、ある人物に話を通してもらうようにしている。
「長野から返事は来たか?」
そういったのは加村だった。
「まだ、あ、今来たよ」
僕のケータイが微動し、着信を知らせた。
「さっきの一年、たしか吉田という名前だったな。 いったい、どういう経緯でここの情報が漏れたか。 おそらく長野ならわかるはずだ」
「うちの利用は、主に2,3年生だからねー。 1年生はあまり知らないはずなんだけどなー」
「どっかで繋がりがあるはずだ。 長野はなんて?」
長野とは、僕らと同じ2年生で、特進クラスの男子生徒である。
剣道の特待生で、高校剣道界では有名な腕前の持ち主である。
特待生のクセに、あんまり練習してる様子はなく、いつもフラフラしていて部活もよくサボっている。 本人もいつもヘラヘラと笑っている。 そして人によっては不快感を与える。 小柄の体型で、おおよそ剣道が強そうに見えないのだが、ひとたび竹刀を握ると鬼のような強さを誇る。 そのギャップは、人によっては絶大な不快感を与える。
「例の吉田も、どうやら特進クラスみたいだよ。 成績は優秀で、スポーツもそこそこできる。 少し真面目すぎる性格だけど、演劇部には入っていない」
僕は長野からの情報を読み上げた。
長野の情報網はとても広い。 ただし、学園内のことに関しては。
主に僕らの放送室での逢瀬を行う上で、その窓口となっているのが長野だった。
僕らは自分たちからは営業をしない(営業って)。
長野からもらった情報をもとに、僕らが取捨選択をし、信頼できそうな相手なら長野に接触してもらい、交渉が成立すれば場所を提供する。
まずこの場所の秘密を他者に口外しないこと。
放送室に入るときはひとりずつ入ること。 出るときもひとりずつ出ること。
セックスはしないこと。
まぁ、提供するといっても、昼休みの30分間だけなのだが。
それでも、学園内で秘密裏に恋人と会えるというのは、なかなか楽しいコンテンツらしく、利用したい人がたくさんいて、予約は1ヶ月先まで埋まっている。
大方の客はリピーターが多い。
そりゃそうだ。
秘密を守るなら、その秘密を知ってる人間が少ない方がいいに決まってる。
こちらも、知ってる顔の方が安心できる。
そんなわけで、さっきみたいに知らない人間がここの情報を知っているとなればかなりの大事だ。
秘密をバラした人間がいるということになる。
これはなんとも由々しき事態なわけである。
「早急な対処が必要だ」
加村はそう呟いた。
「そして、その吉田と繋がりがある人間となると」
学校というものはとても閉鎖された空間である。
当然、交友関係を探るのはそれほど困難ではない。
しかし、僕らが所属する普通科と、吉田が所属する特進科では校舎も離れているし、カリキュラムも違うので普段はまったく面識がない。
出身中学が一緒だったりしたら別だが、よほど用事がない限り、違う科の人間との絡みはまったくないといっていい。
ところが長野は違った。
彼はなぜか科を超えた交友関係を持っている。
しかも同級生だけではない。 下級生や上級生、果ては教師や用務員、自動販売機の業者とも顔見知りなのである。
これはある意味すごいし、ある意味ちょっと変だ。
というより、どうやって知り合うのだろう。
僕にはちょっとできそうにない。
僕は普通でいいと思う。
「秘密をバラしたのは、おそらく特進科3年。 香川だね。 敬称は省略するよ」
「香川か。 あの、デブ」
加村は噛み締めるようにそういった。
香川。 うちをよく利用してる特進科3年生の男子生徒だ。
よく太っていて、いつも首にタオルを巻いている。
歩くときに、微妙に横に揺れながら歩くので、僕らは密かに振り子と読んでいる。
「あいつめー。 一年にバラしやがったな。 クソデブピザ野郎のくせに」
「加村、とりあえずどうする?」
「こうしちゃおられん。 そいつはいまどこにいる?」
長野の情報だと、香川は放課後よくゲーセンにいるとのことだった。
ボタンでリズムを取る、音ゲーが好きらしく、最近よく通っているとのことだった。
しかし長野はどうしてこんなことまで知っているんだろうか。
「すぐ行くぞ」
加村は立ち上がり、カバンを取った。
「あ、ちょっと待ってよ」
僕は急いでコーヒーのカップを流し台に持っていき、スポンジに洗剤をつけた。
「おい! そんなの明日でいいだろ」
「コーヒーの黄ばみはすぐに落とさないとなかなか落ちないんだよ」
「おばちゃんか! おまえは」
加村が苛々と待っているのを尻目に、僕は食器を洗い終え、残りのケーキを冷蔵庫にしまい、テーブルを拭き、ついでに花瓶の水を取り替えた。 ついでに掃き掃除もやっておこうとほうきを手に取ったら、加村にタウンワークで頭を叩かれた。