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誰かのための物語  作者: 涼木玄樹
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9 主人公と、自分

気が付くと、もう七月になろうとしていた。


僕は、通学中の電車の中で塾の夏期講習の広告を見てそのことに気づいた。


ここまでに描いた絵の枚数は、五枚だ。


 初めのシーン、女の子が登場するシーン、現実の男の子が大縄で失敗しているシーンでそれぞれ一枚ずつ。そしてイルカのシーンで二枚。



 森下さんの絵本の絵を描きはじめてから、もう一か月以上経っていることになる。

 僕は、森下さんの言うとおりにきっちり一週間に一回のペースで絵を描いていた。



部活では春の大会があったけど、僕はスタメンになるどころか、交代で試合にでることすらできなかった。悔しかったけど、今は森下さんに必要とされているから、と何とか自尊心を保っている自分がいた。



 僕は、いつも月曜日に出来上がった絵と、ノートを渡していた。彼女はそれを一度持ち帰り、家で続きをノートに書いて火曜日にもって来て僕に渡す。「今まで描いた絵もあった方が描きやすいだろうから」と言って、絵も一緒に。



 いつもは朝練が終わったあとの教室(人数が比較的少ない時間帯だ)で、人目をはばかってそのやり取りをしていた。



 今日は月曜日。今日も彼女に絵を渡すべくノートと絵を鞄に入れてきたのだけど、一つ問題があることに気づいた。


そういえば、先週の金曜日に、席替えをしたんだった。今までは隣だったから自然にやり取りができていたけれど、今週からはそれができない。


 どうしよう、いつ渡そうと不安に思いながら登校し教室に入ると、すぐにその不安は解消されることになった。



「おはよう、日比野くん」

 いつもこの時間にははまだいない、森下さんが教室に一人。


「おはよう、森下さん」

 僕は驚きながら、目だけで時計と彼女を交互に見る。



「席、となりじゃなくなっちゃったから」

 彼女は僕の意図を察し、「ふふっ」と小さく笑って言った。



「おれもそれで、どうしようって思ってたんだ。ありがとう」

「こちらこそ。いつもありがとう」



――このために、早い電車で来てくれたんだ。


僕は彼女の気遣いに感謝しながら、教室に他に誰も入ってこないのを確認し、絵とノートを手渡した。


 彼女はありがとう、と言ってそれを丁寧に両手で受け取り、早速絵を広げて眺めた。

 何回かこのやり取りは繰り返したが、未だに緊張する。僕は決まって彼女がそれを見ている間、下を向いていた。



 そして彼女も決まって、顔をあげて「ふふっ」と笑ってこう言う。



――ありがとう。すっごく素敵。



 言うことは変わらないけれど、一回一回にすごく気持ちが込められているのが分かった。なんだか、むずがゆい。


その一言に、僕は毎回一喜一憂、もとい『一喜一喜』していた。



 この時間に彼女といるのはすごく新鮮だった。隣だった時も大して多く会話をしていなかったのに、朝練が始まる時間まで、僕らはいつも以上に話をした。



 多くは、物語の内容のことだ。この時僕は、初めて『主人公が自分に似ていると思う』ということを話した。


 彼女は特に驚きもしないという様子だったが、少し嬉しそうにも見えた。「ふふっ」とまた笑って、

「物語の主人公と自分が重なって見えることって、あるよね。


私もね、小さいころ両親にたくさん絵本を読んでもらったんだけど、そう感じることがけっこうあって。

そのほとんどは、自分が今抱えてる悩みと、主人公がぶつかってる壁が同じに見えるって感じだった。


 そんな時、主人公が壁を乗り越える姿から、自分がこれからやるべきことのヒントをもらっていた気がするんだ」


・・・と話してくれた。僕は、すぐにこう答えた。




――それはもしかして、君のお父さんとお母さんが、その時君が抱えていた悩みに合わせて絵本を選んでくれていたのかもしれないね。



 森下さんのことを君、と呼んだのははじめてで、自分でも驚いた。森下さんと僕がかいている絵本の主人公のことが思い出された。



 彼女は、「そうかもね」と言って、また「ふふっ」と笑った。


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