7 必要とされる幸せ
集中して絵を見ていた彼女がそれを閉じたので、僕はドキドキしながら閉じていた口を開いた。
「・・・どうかな」
彼女はこちらを向くと、頬を持ち上げて目を細め、小さく「ふふっ」と笑った。いつものその笑い方。
「え、笑えるくらいひどい?」
僕が心配になりたずねると、ううん、と彼女はかぶりをふった。
「その逆。想像以上によすぎて、笑えてきちゃったの」
「なんだ、よかった」
僕は胸をなでおろす。すると、僕の様子が可笑しかったのか、また彼女は笑う。今度は少し長めに。彼女は、うっすらと浮かんだ涙を人差し指の背中で拭った。笑いすぎて涙が出たんだろう。
「やっぱり日比野くんに任せてよかったって思う」
「ありがとう、期待を裏切らないようにこれからもがんばるよ」
「そんなにプレッシャーに感じなくて大丈夫だよ」
僕は早速出来上がった絵を森下さんに見てもらっていた。森下さんのイメージに合う絵が描けているか心配だったけど、予想以上の好評をもらえて僕は安心していた。
「がんばりすぎないでね。まさか一晩で描いてきちゃうとは思ってなかったから、びっくりした」
「描きはじめたら、夢中になっちゃって」
「眼の下、ちょっとくまができてる。睡眠時間を削ったらだめだよ」
たしかに、と思った。昨日は描くのが楽しくてつい寝るのが遅くなってしまったけど、これを続けていたら身体を壊してしまう。
描くのが楽しかったのも寝る間も惜しんで描いた理由の一つだけど、それだけではない。早く森下さんの書く物語の続きが読みたい気持ちもあった。
「これからは、せめて一週間に一枚くらいのペースにしよう?」
彼女は、心配そうな表情で提案する。早く読みたい気持ちを抑え、素直に応じることにした。週刊の漫画雑誌の続きを待つ感覚だと思えばいい、と自分に言い聞かせて、
「そうだね。そうしよう」
と答えた。
「ありがとう。・・・昨日も言ったけれど、部活も大変だろうし」
部活、という彼女の一言に、昨日の練習のことを思い出し、胸の奥がチクリと痛む。
昨日、寝る間を惜しんで描いた理由がもう一つあったことにここで気が付いた。
僕は、昨日の部活で、自分はチームに必要とされるほどの選手ではないことを悟り、
これでもかというくらい無力感を味わった。
そんな気持ちで家に帰り森下さんのノートを目にした時、少し安心した自分がいた。
――自分を必要としてくれている人がいる。
厳しい言い方をすれば、それは『逃げ』だった。部活で味わった自己有用感の穴を、森下さんの絵を描くという行為で埋めようとしていた。
「・・・日比野くん?」
「あっ」
森下さんの声で我に返った。その表情は変わらず心配げだ。いけない、彼女に心配をかけては。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫!部活に影響でないようにしていくよ」
そうしてね、と彼女は笑顔になる。その表情を見て、僕も安心した。
「部活に影響でないように」といいつつ、今は絵を描く方をより頑張ろうと考えていた。
『逃げ』てもいいと思った。
必要としてくれている人のためにがんばるほうが、いい。