35 別れ際の約束
私達の別れの時は、唐突に決まった。
理由は、シンプルだった。病状が悪化したから、少しでも病院の近くにいくため。
もちろん、立樹くんにそれを一番に伝えた(と言っても他に伝える人なんていないのだけど)。
彼は、じゃあそれまでに絵本を完成させなきゃね、と笑った。
あの事件があってから、クラスメイトは私だけでなく彼からも離れていった。いじめにまで発展してはいないのがせめてもの救いだ。
私は、彼に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも、私が謝ると、彼はこう言った。
『華乃は、何か悪いことをしたの?・・・全くしてないでしょ。だから、謝らないで。それに、華乃のことを悪く言う人のこと、僕は好きじゃない。だからいいんだ、これで』
立樹くんの言葉には不思議な力があった。私のことを包み込んでくれるような、あったかい言葉。それと、笑顔にも。普段がちょっと無表情っぽい(一度言ってみたことがあったけど、彼にはその自覚がなかった)だけに、笑顔を見せてくれた時の喜びは大きい。
私たちは、残された時間を惜しむように、一緒にい続けた。たくさん、話をした。
そんな中で彼が絵本を好んで読むことを知った時は、うれしくてわくわくした。
私は、どんな彼が小さいころからどんな絵本を読んできたのか、知りたくてしょうがなかった。
立樹くんが、どうして今の立樹くんのように(言葉で言い表せないほど素敵な人という意味だ)なったのか。そのヒントが、そこに隠れている気がした。
印象深いのは、お気に入りの絵本が、どうしてお気に入りになったのかという理由だった。幼いころの彼は『絵本をつかって家族と交流するプロ』だと、話を聞いて思った。
「今は流石にもうやんないけど。きっと僕は甘え上手だったんだと思う」
そのとき聞いた絵本は、読んだことがないものだった。私はとにかく早く読みたくって、近くの書店に急いで、咳がしばらく止まらなくなったのを覚えている。
帰って、布団の中で彼が好きだと言った場面の絵をじっと眺めていた。
彼が、私のためにあなをつくって入れてくれるところを想像したら、急に恥ずかしくなって布団をかぶった。
『ビロードのうさぎ』は、それ以来、私にとってもお気に入りの一冊になった。
先生には、『クラスメイトには転校当日まで言わないでおいてください』と頼んだ。
もう、必要以上に波風を立てたくなかった、というのがその理由だ。
その日は、あっという間に訪れた。立樹くんと過ごした時間が加速装置になって、その間の時間もビュンビュン過ぎていった。彼がいなかったら、きっとまだ私は一週間前くらいにいるんだろう。
クラスメイトは、特に驚いてはいなかった。ああ、やっと目障りなのがいなくなる、という感じ。
彼らは、これからも新しい誰かを標的にしていじめをするのだろうか、とそんなことをふと思った。
誰かをいじめることでしか弱い自分を守れない。
すごく悲しいことだと思った。私の病気なんかよりも、ずっと。
誰が、治せるんだろう。みんなが、立樹くんみたいだったらいいのにと思う。
せめて次の転校先にいる人達が、その病気にかかっていないといいな。
放課後、私たちは公園で会った。また、彼の方が早かった。今度は、立樹くんの方から手をふってくれた。少し寂しげな笑顔を見て私も一気にさみしくなった。痛いほどに。
でも、なるべく明るい笑顔を作って前より大きめに手をふった。
ベンチに座ると、彼はまたあのノートを取り出して私に渡した。
『終わったよ』
『うん、ありがとう』
彼は、最後の絵を描き終えて、持ってきてくれた。私たちの絵本が、完成した。
最後は、教室の絵だ。女の子と男の子の、別れのシーン。
教室の中に舞い込む桜の花びらが、それはもう、息を飲むような美しさだった。
『ありがとう。本当に素敵。言葉にならないくらい』
『僕も、この物語に出会えて本当によかったよ。ありがとう』
彼は、また笑顔を見せてくれた。
『このノート、私が持っていてもいいの?』
『もちろん。それはもともと、華乃のだ』
『でも、もう二人のだよ』
『二人の・・・そうだね、そう言ってもらえるとすごくうれしい。でも、僕は物語に絵をつけただけだ。それに、ノートの表紙を見てよ』
私は、表紙に目をやる。
『「だれかの」って書かれてるでしょ?この絵本は、だれかのものなんだ。僕はそれでいいいと思う』
彼は今までみたこともないような真剣な表情で私を見た。
なんだか、ドキドキした。
『僕はこの物語を読んで勇気をもらったよ。同じように、この物語を読んで救われるだれかが世界中にいると思うんだ』
そして彼は言った。これは、『だれかのための物語』だ、と。
『僕の絵はまだまだだけどさ、たくさん練習して上手くなるよ。そしたら、もう一度君の物語に絵を描かせて。そして、応募しよう。たくさんの人に読んでもらえるようにさ』
彼の勢いに、私は押され気味だった。こんなことは初めてだった。
『だれかのための物語・・・』
彼が言ったその言葉をただ私は小声でつぶやいた。
確かにそうだ。私は、夢であの女の子から教えてもらった物語を書きうつしたにすぎない。これは、私の物語じゃない。これは、だれかのためにあるものなんだ。
『夢の中で女の子は、未来から来たって言ってたよね。そして、未来で私はあなたに助けてもらうことになるって』
『うん、そうだね』
『その未来は何も、男の子のものだけじゃないと思うんだ。まだそれは訪れてないから、わからない。でも、身の回りの誰かが困ってるとき、助けを求めてる時っていうのは、だれにだって訪れるよね。』
私はその時、立樹くんの言おうとしていることが理解できた気がした。
『それはつまり、主人公は、読んだひと全員っていうこと?』
『うん。少なくとも僕は、そうだと思う。華乃が夢の中で出会った女の子がこの物語の作者なんだとしたら、彼女はこの物語の続きは自分でつくってくださいっていうメッセージを君に伝えたかったんじゃないかな。女の子が未来からくる設定にしたのはそのためだよ、きっと』
立樹くんの言葉には、説得力があった。
それは、彼の言い方によるものでもあるけど、一番の理由はきっと、こうだ。なぜ私はこのことに今まで気が付かなかったんだろう。
『・・・立樹くんはもう、この物語の続きを自分でつくっちゃったもんね』
『えッ』
彼はきれいな目をぱちくりさせていた。
私は、立樹くんと今まで過ごしてきた時間を思い返しながら話した。
『だって立樹くんは、私っていう誰かのためにがんばろうとしてくれたし、』
私へのいじめを見てきっと、なんとかしようと思ってくれた。
『自分の可能性を見つけて、できることをやってくれたし』
私の物語だと知ってこっそりと絵を描いた。僕はこの物語が好きだよっていうメッセージを伝えるために。また、隠されたものを探して私のわかるところにおいてくれた。絵は得意なのに不器用で、バレバレだったけど。
『最後には、勇気をふりしぼってくれたし』
ノートを奪い返すために、大きな相手に立ち向かってくれた。その時の『僕らの宝物』と言う叫びは鮮明に残っている。
『だから本当にありがとう。立樹くん。』
私の願いは、立樹くんが、この立樹くんのままでいてくれることだ。不器用だけど、だれよりも優しくて、勇気があって、すごい力を秘めてる、彼のままで。
立樹くんは、恥ずかしそうに下を向いていた。
『・・じゃあ、立樹くんがまた絵を描いてくれるの、楽しみにしていてもいいの?』
その言葉に彼は、顔を上げる。そして、ウンと大きくうなずいた。
『もちろん。約束するよ』
『ありがとう。それともう一つ、いいかな』
『なに?なんでも言って』
『これからの一か月は、入院することになるの。だからその、できたらでいいんだけど、一度でいいから会いに来てほしいんだ。』
彼はまたうなずく。今度は小さくゆっくりと。笑顔で。
『何度だって会いにいくよ。』
『やった。・・・じゃあ、あれ、しない?』
あれ?と彼は空に向かってつぶやき、すぐに「あ、あれか」と言って手を差し出した。
それで通じたことが嬉しかった。私も、手を差し出す。
『ゆびきりげんまん』
私たちはお互いの鏡だった。
彼は満面の笑みを浮かべていて、きっと私も同じ顔をしるんだと思った。
私はこの時、本当に幸せだった。




