28 待ってたよ
僕は、もうあの夢を見ることはないのだと思う。
あのあと、あの転校生の女の子は、また、別の学校に転校していくことになる。その時僕は約束したんだ。君に必ず、会いに行くって。
ゆびきりだって、した。
僕と森下さんが通う高校のあるあの町に。僕がそのあと記憶を失ってさえいなければ、いくらでも会いに行けるところにいたんだ、彼女は。
僕は唇をかみしめながら、電車に揺られていた。
鞄の中にはあのノートと、分厚い本が一冊だけ入っている。
昨日かおるくんからノートを預かり、今朝見た夢で記憶を取り戻してから、僕の中ではたくさんの思いが渦巻いていた。記憶がなかったころの僕は、いなくなっていたわけではない。ダムみたいなものに、せき止められていただけなんだ。
そのダムが決壊した今、僕の中では洪水が巻き起こっていた。
電車を降りて向かったのは、高校ではない。あの、病院だ。彼女はきっと、そこにいる。
夏休み前、彼女が持っていたビニール袋。あの中身は風邪薬なんかじゃない。なんで、あれを見ても思い出せなかったんだ。
病院について、受付の人に彼女の病室の番号を教えてもらった。エレベーターを上がっている間、妙に心臓の鼓動が大きく聞こえた。
気が付けば、そこはもう病室の目の前だった。深呼吸を一つして、僕はノックをする。
「・・・はい」
聞きなれた、でもいつもよりもか細い声が聞こえて、心の奥がチクリと痛んだ。僕は、ゆっくりと引き戸をスライドさせた。
「ごきげんよう、日比野くん」
彼女は、ベッドの上で上体を起こし、こちらを見ていた。まるで、僕がここに来るのを知っていたかのように。
「ごきげんよう、・・・華乃」
僕は、下の名前で彼女を呼んだ。彼女は、驚かなかった。
そして、「うん、立樹くん」と言い直して、ベッドわきの椅子を引いた。
ありがとう、と言って僕は座った。
「立樹くんのこと、待ってたよ」
「・・・うん。本当に長いあいだ、待たせたね。」
「あれからだと、6年間だね」
「いくらなんでも、待たせすぎだよね。」
「うん、わらっちゃうくらいに」
そう言って彼女は、「ふふっ」と笑った。
「その笑い方。昔から変わってなかったんだね」
そう?と彼女はまた笑う。
「そうだよ。それ、小学生の時もすごく好きだった。そして、高校生の僕も、また好きになった。なんだか、クリスマスを楽しみにしてるちっちゃい女の子みたいだと思った」
「なにそれ。」
僕はもう、彼女に気持ちを隠したりしない。昨日、そう決めたから。
「記憶を取り戻す前のことだよ?僕ね、夢の中で君にあった時、こうおもったんだ。『この女の子が、森下さんだったらいいのにな』って。」
華乃は目を丸くして、まるでプレーリードックみたいにしゃきっと背筋をのばした。
「本当に、そうだっだね」
「うん、本当に。笑っちゃうよね。あと、指切りした時。もし自分が失ってた記憶の中に指切りしてるシーンがあるんだったら、思い出したいなって思ったんだ。嘘じゃないよ?」
「知ってるよ。立樹くん、嘘が下手だもん。・・・よかった。思い出せて」
僕が合宿前、華乃とした指切りは、二回目だったんだ。
「一回目にした指切りの約束、果たせなくてごめん」
「今、立樹くんは果たしてくれたよ?」
6年間も待たせていては果たしたとは言えないと思ったけど、彼女はずっと待っていてくれたんだ。
彼女は上体を倒してずいと僕に顔を近づけた。なんだか、小学生のころの彼女にもどってないか?
「じゃあ、二回目の約束は?合宿、どうだった?」
僕は一呼吸おいて、華乃の目をみてゆっくりうなずいた。
彼女はまた、背筋を伸ばす。そして、座ったままぴょんと軽く跳ねた。
「やったね、立樹くん! あ、あと怪我してない?」
「相良が僕の力になってくれたんだ。もう大丈夫だよ。怪我もしてない」
よかった、と笑う彼女を見ながら、どうしよう、と思った。
――話したいことが、伝えたいことが、ありすぎる。
僕は、目の前に華乃がいることに、この上ない幸せを感じていた。
こういう気持ちは、伝えなきゃ。
ほら、イメージしただろう。
こういうときは、素直に言うって決めてただろう――。




