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誰かのための物語  作者: 涼木玄樹
23/48

23 最良の別れのために

合宿は、終わってみるとあっという間だった。あの三日目の試合が終わったあと、僕は監督にこう言われた。



――『殻がむけたな、日比野』



監督が言うには、今の僕は、野生児っぽくていいらしい。相手にとって十分『こわい』プレイヤーだと。そんなやつの存在は、チームにとっちゃでかい、と。



 その日のミーティングでは、僕の名前こそ出さなかったが、『お前らもっと、野生児にならなあかんぞ。トライをとるための嗅覚を研ぎ澄ますんや。今日、そんなトライがあったな。そういう野生児的なプレーが、俺らを花園に連れてってくれるかもわからんぞ。』


と言っていた。



僕は次の日から、後半ずっと試合に出るようになり、最終日にはスタートからも出た。





『野生児』。僕には無縁の言葉だと思っていた。でも、自分でも思わぬところに自分の可能性が眠っていることがあるんだということを今回の合宿で実感することになった。







 今朝は、久しぶりに遅く起きた。とは言っても7時だけど(合宿中は5時とかに起きて早朝練習をしていた)。昨日までの疲れがまだ抜けきっていないようで、身体中が痛い。      



でも、僕の気分は今日の天気のように晴れ晴れとしていた。カーテンを開けると、まぶしいくらいの陽の光が部屋中を明るく照らした。



今日は、森下さんと久しぶりに会える。あの話の続きが読めるし、合宿中のことの報告もできる。約束を、果たせる。



 僕は、一つ深呼吸をして弾む心を少し落ち着かせ、毎朝している準備をする。味噌汁と目玉焼きを作り、お茶を入れる。



できあがるころに同居しているじいちゃんが起きてくるので、一緒に朝食を食べる。両親と記憶を失ってからの有一の肉親だ。


「おはよう、立樹。朝ごはん、ありがとう」

 じいちゃんは目じりのしわをいっそう深くし、手を合わせてゆっくりといただきますをした。

「いただきます」



 じいちゃんはもう八〇歳になるけど、足腰もしっかりしてるし、ボケてもいない。いつも僕の顔を見て、名前を呼んで、あいさつをする。僕が用意するのはいつもと変わらない朝食だけど、まるで毎日違うものであるかのように、喜び、「ありがとう」と言い、美味しそうにたべる。




 父さんと母さんがなくなった時、じいちゃんは、別に父親や母親の代わりになろうとはしなかった。ただ、それまでのじいちゃんのままでいてくれた(のだと思う)。

記憶をなくした僕よりも、記憶のあるじいちゃんの方が、父さんと母さんの死はつらく悲しいもののはずだと想像したけれど、じいちゃんが悲しんでいる姿を僕は見たことがない。



 じいちゃんはいつも父さんと母さんのことを明るく語った。『本当に、いい子だった』と。でもそれは、僕に気を遣っているからではないことを僕は知っていた。一度だけ、僕はじいちゃんに聞いたことがある。


『じいちゃんは、父さんと母さんがいなくなって悲しくないの?』と。

 僕は、その時のことを今でも時々思い出す。じいちゃんは、笑いながら、でも、真剣に答えてくれた。



『そりゃ悲しいさ。もっと長生きしてほしかった。愛する息子と娘だもの。でもな立樹。じいちゃんには、心の用意があった。だから、必要以上に悲しむ必要がなくなったんだ』


『心の用意?それって、どんなの?』


 僕がそう聞くと、じいちゃんはあごひげをさすりながら考えだした。



『・・・そうだな。それに答える前にまず、立樹にきこう。お前は、人が何のために生きてると思う?』

 それは唐突な問いだった。その時の僕は中学一年生で、さらに最近までの記憶を失っていた。そんな僕にとってはかなり難解なだ。僕は必死に考え、一つの考えを口にした。



『幸せになるため?』

 じいちゃんはうなずいた。


『うん。立樹の答えは、正しい。人間は幸福をどこまでも追求する集団であり、個人だ。でも、それは完全な回答とは言えないのだよ。人生において約束されているものが一つしかない限りな』


 僕はじいちゃんが立てている人差し指を見つめながら首をかしげる。



『約束されているもの?』

『人間全員に約束されているものだ。』


『全員?・・・うーん、わからないよ。だって、幸せだって約束されてはいないし』


『そうだな。じいちゃんの言い方が悪かったかもしれない。では、「人間全員がさけることのできないもの」と言ったら?』



 それならわかる、と思った。

『・・・死ぬこと?』



『そうだ。死ぬこと。つまり、誰かとの「別れ」だ。では、さっきの話に戻ろう。人間が何のために生きているか。究極的に言えばわれわれは、別れるために生きてるんだ。』



 別れるために、生きている。僕は心の中でその言葉を復唱した。しかしそれだけでは、その言葉の意味を咀嚼しきれてはいなかった。何だかもやもやした。



『残酷な答えだと思うだろうが、このことは、われわれに生き方を教えてくれる』

『生き方?』


『そう。約束されているものが別れだと知った時私は、生き方を選んだ。


それは、「その人との『最良の別れ』のための努力をし続ける」というものだ』



 僕のもやもやが、その言葉を聞いた瞬間にふっと消えた。そして、自分の理解を確かめるために話し始めた。



『こういうこと?いつ、その人との別れが訪れるかはわからない。そのことを意識しないで生きていたら、突然別れが訪れた時に必ず後悔することになる。やり直しのきかない人生だから、僕たちがするべきことは、『最良の別れのための努力』だと』



 僕は、改めて「なるほど」と思った。じいちゃんは、笑顔でうなずいた。



『そういうことだ。そのことに気づいたのは、残念ながらお前のばあちゃんが四六歳の若さで天国に行ったあとだった。私は、その日も当たり前に妻が自分の帰りを待っていて、ただいまと言えばおかえりと言って迎えてくれると思い込んでいたんだ。


でもそれは当たり前なんかじゃなかった。本当にやりきれんよ。人間にとって最大の不幸は死そのものではなく、後悔の残る別れを迎えてしまうことだ』




 じいちゃんは、ふぅと一呼吸をおいた。

『でもな、死や別れと違って、『後悔の残る別れ』というのは生き方次第で防ぐことができるんだよ。

私はそのことを学んで、息子や娘との別れがいつ訪れてもいいように、最良の別れのために努力をし続けたんだ』



 じいちゃんの言うことはすごくよくわかった。でも一つ引っかかることがあった。


『でもさ、自分より先にいなくなっちゃうことなんて、思いもしなかったでしょ?』

 僕は、素直に思ったことを聞いた。



『いいや。自分より先には死なないだろうなんて思いながら接していたら、本当にそうなった時に後悔するだろう。だから、私はそう思うことをやめたんだ』



 じいちゃんが、父さんと母さんのことを明るく語ってくれるのは、僕に気を遣っているのではなくて、本当に、いつ別れても後悔しないように生きてきたからなんだと僕はその時気が付いた。


 僕は素直に、すごいと思った。そんな生き方をしたいと思った。

 

「この目玉焼き、美味しいなァ」

しみじみとじいちゃんが言う。見ると、相変わらず美味しそうに食べている。



じいちゃんはきっと今、今日が僕と過ごせる最後の日だと思っていきているんだろう。

そして、もし明日僕が生きていてまた朝ごはんを作ったならば、じいちゃんは僕とまた会えたことに感謝して、名前を呼んで「おはよう」と言い、おいしそうにそれを食べるんだろう。




 そういえば、と僕はふと思う。

合宿から帰った時、それはもう夜の21時で、じいちゃんはもう寝室にいる時間だったんだけど、僕は寝室に顔を出した。


そして、じいちゃんが生きていてくれることに感謝して、安心して眠りについたんだった。




 じいちゃんの生き方は、僕にも浸透しているのかもしれない。

それは、すごく喜ばしいことだ。



僕は今日森下さんに会った時、きっと心から感謝するんだろう。


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