18 思い出の絵本
縄とびの回し役を担うことになった男の子だけど、縄をたるまないようにしっかりと張りながら大きく回すそのやり方は、予想以上に体力を消費するものだった。
本番と同じように二回連続で回すと、どうしても後半に縄が失速して引っかかる。
話し合いにより、本番で跳ぶ二回のうちの一回を担当することになる。
・・・つまりもう一回は、男の子も跳ばなくてはならないということだ。
今日は、一学期の終業式だ。
昨日森下さんからもらった物語の続きを読んで、僕は、なかなか一筋縄ではいかないもんだな、
と思った。
この感覚は、二回目。一回目は、たしかイルカの話を聞いてガムシャラに頑張っても上達しなかった、という時だ。
『絵本だけれど、対象年齢は少し高め。小学校の高学年以上かな』
そう言っていた森下さんの言葉が今更ながら理解できた。それ未満の対象だったら、イルカの話を聞いた時点でピョンピョン跳べるようになったりするんだろう。
でも、僕は嫌いじゃなかった。むしろ、現実っぽくて好きだ。夢の中で昔助けた女の子が自分を元気づけるってところは非現実的だけど。
・・・ということを、今日も電車で一緒になった森下さんに話してみた。
「確かに、小さい子向けの絵本って、一回で状況が好転して、それでハッピーエンドになるよね」
彼女はハンカチで汗を拭きながら答える。もう完璧に夏だというのに、彼女の肌は白い。
汗をふくために後ろ髪を持ち上げた時に見えた首筋なんて、雪みたいに真っ白だ。綺麗だと思った。
「小さい子はあまり長い話だと飽きちゃうから、必然的にそうなるんだろうね。森下さんは長い話の絵本も好きだった?」
ここ最近は毎日電車で一緒になっている僕らの会話はたいてい、絵本の話だった。
いわゆる世間話にはなったことがない。それよりも森下さんのことが知りたいと思って、森下さんのことを知るには彼女がどんな絵本を読んできたかを知るのが近道だと思って、いつも僕はこんな質問をしている。
「うん、好きだったよ。たくさん読んでもらっていたら、もっと長い話が読みたいと思うようになって。でも、短い話が嫌いなわけじゃなかったよ。ただ短いと、その物語の世界に浸っていられる時間も短いからなんだかさみしい気持ちになるっていうか」
「なるほどね」
物語の世界に浸っていられる時間の長さ。それも大切なんだな、と僕は思った。
そういえば今の僕は、すごく長い間彼女の物語の世界に浸っている。得してるな、なんて思った。
「そうやって両親にせがんで読んでもらったお話は、すごく心に残ってるよ」
「・・・わかるよ。おれ、小学生の時の記憶がないせいで親のことほとんど覚えてないんだけど、小さい頃に読んでもらった結構長い一冊の絵本は、うっすら覚えてるよ」
「その絵本のタイトル、覚えてる?」
「うーん、タイトルは覚えてないんだけど、話の内容なら」
彼女は、教えて?と目で促した。
「おもちゃのうさぎが男の子にすっごく大切にされて、最後には本当のうさぎになる話だったと思う」
彼女の目が、輝いた。
「それってもしかして、『ビロードのうさぎ』?」
彼女が口にしたその絵本のタイトルには、聞き覚えがあった。首に青いリボンを巻いた、緑色の目をしたおもちゃのうさぎが思い浮かぶ。
「・・・きっとそれだ。森下さんも読んでいたんだね」
「うん。大切な友達に教えてもらって、本屋に走って買いに行った思い出の絵本なんだ。それを読んでからね、くまのぬいぐるみを心から大切に思って、常に一緒にいるようになった。
そうすれば、いつかこのくまも本当のくまになれるんだって信じてね」
「子どもらしいね。そうやって絵本のマネする森下さんだって、すごく素直だ」
僕は少し冗談めかして言った。僕にそう言った君の方がずっと素直だって。
「子どものころはみんな素直だよ。日比野くんは?何か大切にしたりしなかったの?」
「うーん、おれは子どものころから超常現象みたいなのは信じてなかったから、そういうことはしなかったよ。ただね、あのページの真似はした。というか、両親にしてもらった」
「どのページ?」
「えっとね、夜寝るとき、ぼうやが布団の中でひじついてさ、うさぎのための空間をつくってやってるページがあったんだ。『うさぎのあな』とか言ってさ。その絵を見てね、すごくいいなあって思ったんだ。
うさぎ、うらやましいなあって」
僕は手で頭の上に三角をつくり、布団をかぶるジェスチャーをして見せた。
それを見て彼女は「ふふっ」と笑う。
「それで?」
「それで、両親に頼んだんだ。絵本読み終わったあとでそのページ開きなおしてさ。ねえこれやってって。両親はおれの両側に寝て、ひじついて空間を作ってくれたよ。『じゃあこれは、立樹のあなだね』って言って」
「素敵だね」
彼女は、口元に手をやってこぼれる笑みを隠した。隠しきれてないけど。
その穴は、僕だけのもの。守られている、と感じて、安心した。抱きしめられるよりもずっと、本当に、幸せな時間だったと思う。
「もしかして、日比野くんがその絵本のこと覚えてたのは、その思い出があったからなのかもね。」
彼女は、そのままのポーズでそう言った。
「森下さん、笑いすぎ」
「だって、なんだかうれしくて」
――そうなのかもしれない。
久しぶりに、両親との思い出をありありと思い描くことができた。
今までは、思い出さないようにしていた。一人で両親との過去を想った時、自分のさみしさが際立つから。
でも、なぜ今は、こんなにも幸せな気持ちなんだろう。
――ああ、そうか。
今は、一人じゃない。僕の思い出を、共有してくれる人がいる。だから安心して思い出せるんだ。
「日比野くんだって、ほっぺたすごい上がってるよ」
「えっ」
とっさに口元に手をやる。
僕らは、同じポーズで顔を見合って、もう一度笑った。