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誰かのための物語  作者: 涼木玄樹
14/48

14 素直さ

七月の中旬、暑さがだんだんと厳しくなってきた。


それに伴って電車内の冷房はだんだん強くなっていき、この温度差で体調を崩してしまいそうになる。



「日比野くんっ」

「あ、森下さん」



 早朝の電車の中で座っていると、森下さんが声をかけてきた。彼女と会うのは初めてだった。同じ駅から乗っているはずなのだけど、駅でも会ったことはない。


「あの・・・」

「うん?」 



「ご、ごきげんよう」

 彼女は、胸の前で手のひらを僕に向けてそのあいさつをした。


「あの、それ無理して遣わなくていいんだよ?・・・あ、よかったらとなりどうぞ」


「ありがと。でもこれ、ちょっとまだ慣れてないだけで気に入ってるんだよ?」



 彼女は僕のとなりに座ると、はにかんで答えた。


「そう、それならいいけど。それにしても、電車で会うのは初めてだね」

「この電車って、私たちの乗る駅でしばらく停車してるでしょ?」

「うん、そうだね。おれは電車が来たらすぐに乗ってる」

「いつもこの車両?」



 僕が「うん」と答えると、彼女が「やっぱり」と言いながらハンカチを取り出し、汗をふいた。


「私は結構ぎりぎりになっちゃう方なんだ。最近は日比野くんに会わないかな~と思いつつ毎日色んな車両に乗ってて、今日たまたま見つけたの」



「そうなんだ。他の友だちはいないの?」

 僕は、彼女が教室でよく話している数人の女子の顔を思い浮かべた。


「この電車に乗ってる人はいないよ」


 彼女が僕のことを毎朝探してくれていたという。その事実になんだか嬉しい気持ちになったけど、このプラスの感情はさすがに言葉にして伝えることはできなかった。


「昨日、君の物語を読んで、白鳥の場面、最後の一枚を描きはじめたよ」


 僕は話題を変えることにした。僕と彼女をつないでいる、あの物語の話に。



「いつもありがとう。でも最近夜も暑くて、大変だよね?」

「ううん、部屋がけっこう風通しよくて、そんなに暑くないよ。それに毎日すごく楽しく描かせてもらってる。こちらこそありがとう」


 それは本心だった。プラスの感情を今度は伝えられた。

この、素直に言葉にできる感情とできない感情の差はなんなんだろう?


「シベリアとか書いちゃったから、大変じゃない?」

彼女は、申し訳なさそうに尋ねる。


「いや、全然。すんなり頭に浮かんだし、描きやすそうだよ。でも不思議なんだ。僕はシベリアに行ったこともないし、写真でも見た記憶がない。でも、一応ネットで画像を見てみたら、僕の想像通りだった」


「もしかしたら、日比野くんの記憶がない頃に見たのかな」

「そうかもね。」



 僕は、以前彼女に自分の記憶が一部無いこと、両親と死別したことを話した。

彼女は、おおげさに驚くこともなく、ただ静かに話を聞いてくれていた。


なぜか自分の部屋にある分厚い医学書の話には、一緒に笑ってくれた。



「はやく、記憶が戻るといいね」


彼女は、その時の同じことを口にした。今までその言葉を僕に言った人はたくさんいたが、心からの願いがこもっていると感じたのは、有一の肉親である祖父以外では彼女が初めてだった。


 その時の僕は、有一の手がかりだと思っていたあのリアルな夢がずっと同じ(図書館で絵を描いているあれ)で変わらないことに辟易していた。


自分の記憶は戻らないかもしれないと、ほとんど諦めていた。


その感情を彼女に素直に伝えると、

彼女は『だめだよ、あきらめちゃ。忘れていても、確かに日比野くんが過ごしてきた大切な時間だから。その中でしかなかった誰かとの出会いや、思い出があるはずだから』と力強く言ってくれた。


そして、確信をもつ表情でこう付け加えた。



――大丈夫。あきらめずにいる限り、記憶が戻る日が必ず来るよ、と。



「うん、ありがとう。あきらめずに待ってみるよ」


 僕も、その時と同じ言葉で返した。彼女は、安心したような笑顔を見せた。

 森下さんの言葉には、なぜか説得力がある。


「それにしても、君の物語には広がりがあるね。読んでいて、あと描いていてあきることがないよ」


 僕は、また話題を物語にもどして素直に感想を彼女に伝えた。


「それならよかった。絵を描く日比野くんがあきちゃったら作業が苦行になるもんね」


「あきるなんて、そんなことはなさそうだよ。相変わらず、男の子に自分の姿を重ねて読んでる」

「何か、日比野くんに変化はあった?」



「うん。イルカのところを読んで、『自分は誰のためにがんばればいいんだろう?』って考えてみたんだ」


 彼女は「ふふっ」と嬉しそうに笑うと、興味深そうに聞いてきた。


「答えは見つかった?」

「うん。・・・まず、ラグビーは仲間のため。

あと、監督のため。『ごきげんよう』の話をしたあと、監督と話して自分がしてもらっていることの多さに気が付いたんだ。

そうすると一気にさ、この人のためにもがんばりたいって思えたよ」


 隣を見ると、彼女はただ嬉しそうにひざからしたを軽く前後にふりながら聞いてくれていた。なんだか子どもみたいで可愛い。


高校生もまだ子どもか。


「あと、誰かのためにがんばるのも、結局自分の成長とか、新しい気づきとか、自分のためになるんだってことにも。これに気が付いたのは、君のおかげだよ」


「わたし?」


 彼女は目を丸くして、ベージュの眼鏡の位置をなおした。



「うん。森下さんのためにと思って始めた絵本の絵だけど、最近じゃおれが得ているものの方が多いんじゃないかって思うくらいなんだ」



 彼女の方に少しだけ体を向けて小さく頭を下げつつ「ありがとう」と言うと、彼女も礼儀正しく膝を揃えて僕に「こちらこそ」と頭を下げた。その動作が可愛らしい。



「あの男の子が、これから自分のどんな可能性を見つけていくのか、すごく楽しみだよ。


おれも、あの話を読むまで、ただ皆のためにガムシャラにがんばろうとしていたんだ。



でもそれだけじゃ足りないことを学んで、今では自分の可能性についてしっかりと考え

ながら練習していこうと思ってるよ。まだ、それは見つけられていないけどね」



「ふふっ。日比野くんのいいところは、そういうところだね」

「えっ?」



 どういうところ?と表情で僕は尋ねた。


「素直なところ。もし、わたしの物語を別の誰かが読んだとしても、日比野くんと同じように素直に登場人物に共感して、学んで、実行しようとは思わないんじゃないかな」


「それはたまたま君の物語がおれにとって共感できるものだったからだと思うけど」


「ううん、たとえ共感できたとしても、学びを得て実行するまでには至る人はそう多くはないと思う。日比野くんの素直さってすごく大切な才能だよ」



「あ、ありがとう・・・」


 僕は動揺したけれど、森下さんがそう言ってくれるならと、納得することにした。


 僕のよいところは、素直さ?それならせめて、そのよさは失わずにいたい。


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