天台座主になったんだけどお先真っ暗すぎて泣きたい
江戸前ダンジョンの息抜きに書いてた短編です。
なお、一部仏教用語が出てきますが、あんまり気にしないでも問題ないと思います。たぶん。
そして作者自身決して出家の身でもなければ学者でもないので、解釈が間違ってたらごめんなさい。
人生何があるかわかったもんじゃない。だから、いつどんなことが起きてもいいように毎日を一生懸命、悔いの無いように生きよう。
それが俺の人生訓だった。仏教系の高校に通っていたことで得た教訓だから、仏教くさいのはわかってる。
けど、この教訓を胸に生きてきたからこそ、俺はそれなりに成功して大往生できたんだと思ってる。
就職した会社でたたき上げ、専務職まで登り詰めて、会社を当初の何倍も大きくした。定年してからは悠々自適に、嫁さんと一緒に日本はもちろん海外も旅してみたりと、幸せな時間を過ごした。
幸いなことに、お互いに大病も認知症も発症することなく、穏やかに七十七歳で天寿を全うした。
そのはずなんだけどな……。
何で俺、生き返ってんのかね?
おまけに元の俺じゃなければ、新しい人生が始まったわけでもない。なんと、他人の身体に憑依してるんだから、マジで人生何があるかわかったもんじゃねえよ。
たださ、思うんだけどさ、憑依するにしても転生するにしても、普通もっと若い人にするのがこういう時のセオリーなんじゃねえの?
俺が評したのって、おっさんもおっさんよ? おっさん主人公にして何やらせるつもりだよ?
しかもただのおっさんじゃなくて、最高クラスの坊主ときたもんだ。
なんでって、そりゃこいつの記憶がなんでか覗けたからなんだが、その立場がもういろいろとやべぇの。
「……よりにもよって覚恕法親王とか、俺の前世そんなに功徳足らなかったかねえ……」
日も落ちて、ろくに明かりのない質素な部屋で思わず愚痴が口をつく。
覚恕法親王。あの第六天魔王信長に焼き討ちされた天下の名刹、比叡山延暦寺を拠点とする天台宗の僧侶で、その長である天台座主を務めた戦国時代の人物だ。
そして、その信長が焼き討ちしたまさに当時の天台座主でもある。
これだけで、いかに俺の立場がヤバいかご理解いただけると思う。
正確に言えば覚恕法親王自身は当時、延暦寺にいなかったから直接被害にあったわけじゃないんだが、その後流浪の果てに甲斐の武田信玄に身を寄せるんだから、とてもまっとうな暮らしができてたとは思えねえ。あんまりすぎるわ。
おまけに記憶の辿ったところ、今日まさにその天台座主に就任したばかりって言うから運がなさすぎる。
それはつまり、今が元亀元年(1570年)であることを示している。これはヤバいなんてもんじゃない。
何がダメかって? 信長の延暦寺焼き討ちが来年なんだよ! ヤバいってレベルじゃねーから! 目の前って何だよバーカ!
おまけに史実通りだと俺、4年後には死ぬんだよね。一度も京都に戻ることなく!
転生ってさ、普通もっと余命あるもんじゃね? タイムリミット4年って何事?
何が悲しくて四十代半ばの坊主(余命4年)に転生せにゃならんの? 仏様もまったく酷なことをなさる。
何事も原因があって結果があり、悪い結果は悪い行いが原因とする仏教の教え(因果応報)に従うならば、俺は前世でかなりアレな人間だったことになる。
そんな自覚ないんだけど、そんなにアレだったかなあ……。確かに蹴落としたライバル会社は多かったがよ……。
まあ、畜生道とか餓鬼道じゃないだけマシなんだろうが、それでももうちょっと他にあったんじゃね?
どうせ坊主に転生するなら、生まれたばかりの本願寺顕如とかになって戦国時代を現代知識で無双したかったわ……。
「……あれこれ考えても仕方ねえわな。とりあえず、今後どうするか考えねえと……」
不思議なことに、これが夢だって感覚はなかった。なぜか現実って実感していた。
だからまあ、腹をくくるしかねえ。
そう、俺の人生訓は一つ。人生何があるかわかったもんじゃない。だから、いつどんなことが起きてもいいように毎日を一生懸命、悔いの無いように生きよう。
翌日から、覚恕としての生活が始まった。
朝も明ける前から仏事を複数こなし、質素な食事を摂ってはまた仏事、あるいは修行……そんな生活なわけだが、存外苦労はなかった。
たぶん、覚恕としての感覚は残ってるんだろうな。
ただ、頭では現代日本の生活を求めて不満をためてる。特に飯はまずいし風呂はない、トイレもろくなもんじゃねえってのがきっついな。布団がないのも最悪だ。
やっぱり、人類ってのは日々進歩してるね。600年の時間の経過は伊達じゃねえよ。昔は良かったなんてのは、こと技術に限って言えば絶対ありえねえよな。
そんなこともあるし、ヤバすぎる未来が目前に迫ってることもあって、俺はとにかく行動を開始した。このまま覚恕としての生活を続けても、真っ暗なお先は絶対に変わらないからな。
ってことで、俺が最初にやったのは延暦寺全体の確認だ。
延暦寺、って一言で言ってもこれは寺一つのことじゃない。比叡山という山の各所に散らばる無数の寺(と、それに関係したもの)すべてをひっくるめて、延暦寺って呼ばれてるのさ。
だからその全体を見て回るのは、もうそれ自体が一つの修行みたいなもんだ。何せでっかい山の中を、現代日本と違ってろくに整備されてないまま歩くんだからな。
そんな修行じみたことをなんでするのかって言えば、主に綱紀粛正が目的だ。
寺で? って思ったあんたは、立派な現代日本人だ。その時代に生まれた幸せをかみしめて、人生を全うしてくれ。
まあ叡山だしな……って思ったあんたは、立派な戦国時代人だ。よう兄弟、明日の食事より今日の食事だぜ。今日の食い扶持は手に入ったか?
まあそれはさておきだ、多くの同時代人がそういう認識だったらしいぜ。つまるところ、この時代の延暦寺ってのは、相当乱れてたって話だ。
どれくらい乱れてるかっつーと、女人禁制なはずの敷地内に普通に女が出入りしているどころか住んでる、って言やあ察してくれるだろ。これ以上おっさんに言わせんなよ。そうだよ、そういうことだよ。
あとある種の治外法権的な権力持ってるから、朝廷や幕府の権威もあんま効かない。それでもあちらの権威が振りかざされると、テロまがいな方法でそれを棒に振ろうとする。
強訴っつーんだが……本来は御上の理不尽に対抗するための手段だったはずなんだが、自分の意見をごり押しするためのものになっちまってるんだなあ。
おまけに、こいつら酒も自作して飲みまくってるし売りまくってんぞ。
まあ酒造については当時の複雑な時代背景も関わってくるから、一概に悪いとは言えねえんだが……。それでも仮にも出家の身で飲酒はまずかろうよ。
あと、必要以上に金儲けすんのもどうかと思うぜ? 多少は維持管理にいるだろうけどさ。
そんなだから、割と俺の視察は歓迎されなかった。
だからここは、前世で培った八方美人っつーリーマンとしてのスキルを活かして、一見穏やかな顔して各所を見て回って見せたわけだが……。その裏では伊賀や甲賀から来た信者や坊主見習いたちに、隙をついて不正や破戒に関する情報を集めさせていた。
彼らは言わずもがな忍びの関係者だが、俗世に嫌気がさしてうちや本願寺と言った寺に入り込むやつは往々にしているもんだ。うち、わりと近場の大御所だしな。
そうやってせっかく門をくぐった叡山なのに、あまりの堕落っぷりに呆れて帰ろうとしてるやつも多かったんだけどな。だから、新任の俺がこの腐敗は正すからってなだめすかして口説き落とした。この辺も、前世のリーマンとして培った腕だな。
で、そうやって一ヶ月くらいかけて調べた結果……いやあ、集まる集まる黒の証拠物件。前世で俺が持ってた戦国時代の延暦寺の概略知識、わりとガチだった。事実は小説より奇なり、とはよく言ったもんだぜ。
そりゃな、坊主が全員そんな堕落しきってるわけじゃねーんだけどさ。一部のバカのせいで、真っ当にやってるやつがとばっちり喰らうのはこの時代でも同じだ。まったく呆れてものも言えねえよ。
「これほど御仏の教えに背く輩が蔓延っていたとは!」
「まったく嘆かわしい! 叡山の顔に泥を塗る不埒者どもめ!」
「覚恕様、即座にこやつらを破門してやりましょう!」
俺から証拠を見せられた真っ当な坊主たち(白と確定してる、口の堅いと見たやつら)は、真っ赤になって俺に言い募る。
おいおい、仮にも出家の身がそうあっさりとプッツンすんなよ。四苦八苦に囚われてちゃ、悟りは開けないぜ。
「もちろんそのつもりですが、その前に各所に文を出しましょう」
そう答えると、不思議そうな顔をされた。
「送る先は天台宗の各寺に限らず、その他の寺社仏閣、公家、大名家などです。もちろん、朝廷にも。先に破門、追放の旨を通達することで、頼る場所を失くすのです」
次の言葉には唖然とされたが、今度はすぐになるほどと返ってきた。
「なるほど、目の届かぬところで誤った教えを流布されたりするのを防ぐわけですな」
「下手に反動的な勢力を組織されても困りますし……」
「そういうことです。ですのでまず、皆さんには文をしたためる手伝いを願いたく」
意味を理解してもらったところでそう切り出せば、彼らから否はなかった。
すぐに全員で手紙を量産。全員の名前と特徴も全部箇条書きにした上で、数日後にそれらを各地へ一斉に散布してやった。
と同時に僧兵たちを動かして、破門該当者を軒並み捕縛。全員を捕まえて集めて破門を言い渡したうえで、延暦寺から追放に処してやった。
手紙の発送から追放までには一日半ほど時間があったから、追放された連中は行く先々で広がってる噂に辟易することだろう。最悪すぐにでも死んじまうかもな。
もしその後で輪廻転生したら、来世でまっとうになってくれることを祈るよ。せめて修羅道辺りで許されるといいな。それ以下は……まあがんばれ。
「覚恕様……」
「ええ……これはさすがに想定外です」
破戒僧どもを追放して次に俺が取りかかったのは、連中が隠し持ってた財産の接収と確認だ。
これが想定を大いに上回り、かなりの量の額がため込まれていた。まったくふてえ野郎どもだぜ。
あまりにもありすぎたせいで、早く真っ当な修行に戻りたい坊主たちに頼み込んで経理作業をする羽目になった。これについては素直に申し訳ない。
そうして把握した金子は、延暦寺の維持管理や修繕費用に充ててもなおかなりが余ったので、常に財源不足で困ってる朝廷の正親町天皇に贈ることにした。
『仏道から外れた坊主たちの成敗、見事。また自らの分をわきまえ、過分な財貨を朝廷に寄進するそなたの行いこそ座主に相応しい』
なんて、大仰な手紙が届いたりした。
まあ要約すると、「よくやったな兄として鼻が高いよ!」ってところだ。あと、「お金ありがとうマジ助かる!」もあるか。
京の都でも、天台座主が辣腕をふるったってことで噂になってるらしい。地に落ちかけてた延暦寺の株も、少しは上がったことだろう。
そんなこんなで、寺の中の掃除が大体終わったところで、遂に歴史が動いた。
元亀元年9月14日、本願寺顕如が信長へ蜂起。これによって大坂周辺に釘付けにされた信長の後背をついて、浅井・朝倉連合軍が南下。後世、志賀の陣と呼ばれる一連の戦の始まりだ。
この戦いに置いて俺は当初、寺が当事者になるまで傍観に徹するつもりだったんだが……この戦で宇佐山城を守っていた信長股肱の家臣、森可成が討死してることを思い出して、首を突っ込むことにした。
もちろん人助けじゃなくて、信長との交渉のためにな。ここでうまくやれば、焼き討ちは回避できると思ったんだ。
まず、連合軍が動き出したことを信長に密告だ。
史実では、連合軍が宇佐山城へ攻め寄せてから信長に連絡が入るまで、一週間近い時間がかかっている。このことが彼の動きを遅くし、宇佐山城への救援が間に合わなかった理由の一つにもなっているからな。史実より早く伝われば、少しは好転するだろう。
真意を疑われるかもしれねえが、信長にも先日の掃除は伝えてある。その上で「近所でドンパチ騒ぎがうるせえ、おめえのまいた種だろなんとかしろ」と素直に(もちろんオブラートに包みまくってだが)伝えることにした。
見返りを求めてもよかったかもしれねえが、先日の掃除で俺の評価は清廉潔白な敬虔な信徒ってなってるから、やめといた。イメージは大事にしねえとな。
次に、連合軍側に参戦するようにという本願寺顕如からの依頼を拒否する。
掃除の終わった今の延暦寺にいる人間は、僧兵も含めそのほとんどが真っ当な仏教徒。寺領を奪った信長に対する隔意はあれど、参戦に関してはさすがに忌避感が強かったので反発はほぼなかった。
近江周辺の天台宗の寺が一部本願寺に同調して、連合軍に参陣しようとする動きもあったみてえだが……これについては「んなことしたら破門だからなコラ」と脅しをかけて封殺した。
史実では、ここで延暦寺が連合軍に参戦。人数の膨れ上がった連合軍は、数に任せて宇佐山城に押し寄せるのだ。それでも城は落とせなかった辺り、連合軍が弱いのか守将の森可成が強すぎたのか……。
っつーか、そもそも仏教徒にとって殺生は厳禁だ。おまけに一時の感情で動くとか普通、出家の人間がやっていいことじゃねえんだよ。そのハゲ頭は何を捨てた姿だと思ってんだ。
「覚恕様、また本願寺から要請が参りましたが」
「却下なさい」
「はっ」
なんか毎日のように本願寺から要請が来る件。これだから信長に敵視されるんだよ。坊主なら坊主らしく、念仏でも唱えとけっとけっつーの。それがあるべき姿だろが。
いやまあ、本願寺も自主性をはく奪されそうになったから蜂起した面はあるんだけどな。最初は連中も信長に従ってたんだよ。だから信長もやりすぎたんだろうな。
でもそのために戒律破って、自発的に殺生に手染めんのは本末転倒だと思うぜ。
ま、それはさておき、その後連合軍と可成の戦いは一進一退となり、連合軍は遂に城を落とすことができないまま信長が襲来。可成もかろうじて討死を免れ、信長との合流に成功したという。
こうなれば、史実より数の少ない連合軍は、史実より数の多い信長軍に散々押し込められることになる。
で、遂に延暦寺焼き討ちの直接のきっかけになった出来事が迫る。
「覚恕様、朝倉左衛門督殿が叡山にて籠城戦を行いたいと申し入れが……」
「却下なさい。神聖なる叡山を血で汚す行いは許しません。まあ、武装解除して単に逃げ込むだけなら受け入れましょう。ただしそれは織田弾正忠殿の者も同様ですが」
「はっ」
かくして延暦寺が中立を貫いたことで、信長軍は史実と異なり早期決戦を仕掛けることができた。叡山に逃げ込めず右往左往している連合軍に襲い掛かり、早々に撤退に追い込んじまった。この辺の早すぎる用兵は、さすが信長ってところか。
史実なら彼はこの後、二ヶ月に渡って比叡山を包囲するんだが、その隙をついて各所で反信長勢力が次々に蜂起して、第一次信長包囲網が結成される。その後はピンチに次ぐピンチの連続だ。
だがこの世界では、早急に連合軍を叩きのめしたことで反対勢力の蜂起はほぼ起こらず、包囲網は結成されずに終わった。
この感じなら、延暦寺焼き討ちは逃れられるだろう。史実における信長の焼き討ちは、この志賀の陣における延暦寺の対応があまりにも連合軍側に寄りまくったものだったからだからな。
これだけ信長の助けになるようなことばっかりやったんだ、ひとまずは一安心ってところでいいんじゃねーか? これだけやりゃあ、せめて「お先ちょっと暗い」程度にはなったんじゃねーか?
がんばったよ、俺。
そう思ってた俺だったが、翌年の一月、正月三が日も明けて少し下ある日、俺のところにいきなり信長が訪ねてきた。
使いじゃねーぞ。信長本人だ。連絡に来た修行僧から聞いた時は耳を疑ったぞ。
慌てて出迎えに行ってみれば、なるほどそこにいたのは信長だった。
鋭い視線を隠そうともせず、鍛え抜かれた身体から迸る覇王のオーラ。現代のイケメンとはちと趣は違うものの、決してブサイクじゃねえ。もうね、なんっつーか、見て「あっ信長だ」ってすぐ理解できたわ。
その後ろで構えてるのは誰だろーな。幸薄そうな、ブラック企業のリーマンみたいな顔してるけど、明智光秀か?
しかし、俺とて一応は天台座主。ここでビビるわけにはいかねえ。
一応礼儀として遅れたことは謝っておいて、会談の場に着いた。
「その方が覚恕であるか」
第一声はそれだった。記録にある通り、男にしては高い声だった。なかなかのハイトーンボイス。V系のバンドでボーカルやったら似合いそうだ。
「左様に」
「……その方が天台座主に着いて以降、叡山の対応が変わった。此度の戦にあっては中立を貫いきながらも、裏では儂に敵の侵攻を伝えたな。何故だ?」
うわあ、この階段を常に二段跳び三段跳びで会話する感じ、わかりづれぇな。せっかちってのはマジみたいだ。
なるほど、これについてこれるやつじゃなきゃ出世できんわけだ。これでどういうことかって聞いたら怒られるんだろ? そりゃ周りからビビられるわ。
俺にそれはしねえだろうが、使えない奴って思われるのも嫌だな。うーん、どう返したもんかね。
「結論だけを申せば、この戦乱の世を早く終わらせていただきたいのですよ」
「…………」
信長から返事はない。ただ、相変わらずの眼光を投げてくるのみだ。
「今の戦乱の世は、我々にとって地獄とさして変わりません。毎日のようにどこかで血が流れ、苦しみ抜いて人々が死んでいく。これを地獄と言わずして何と言いましょう」
「…………」
「この地獄を終わらせるため、我々は念仏を唱えます。しかしそれだけでは足りぬと常々思っておりました。王法……すなわち在家の世をしかと治められるだけの為政者が必要だと」
この発言に、後ろに控えていた坊主たちが色めきたった。
お前らの気持ちはわかるよ。これ、本願寺の教えだからな。でもすまんが、ちと抑えてくれ。
「そしてその立場に今最も相応しいのが、織田殿であると考えた次第。今後日ノ本をしかと治め、安んじ、本邦より戦を失くしてくださるのは、貴方であると。故に、陰ながら助勢いたしました」
「であるか……」
おお、生であるかだよ。ちょっと感動。
でも、一言付け加えておくかな。
「ですが貴方のやり方は、いささか早急です。それでは反発も大きくなって当然でしょう」
「…………」
あ、眉がしかめられた。
「拙僧は天台宗の者ですが、本願寺の王法為本という考え方には一理あると思っています。しかしだからと言って、本願寺に度重なる矢銭を要求したのは、やりすぎではありませんかな? 確かに、坊主の下には富が集まるものですが」
「…………」
「右にも左にもぶれることなく、常に正しき道を……中道を行けというのが御仏の教えの一つではありますが。これは優柔不断だとか、日和見であるということではないのです。要するに、何事もほどほどが一番、ということなのですよ」
「……で、あるか」
苦虫をかみつぶしたような顔で、絞り出すように信長が言った。こんな説教のされ方をするとは思っていなかったのかもな。
彼はそのまましばらく、無言だった。俺も言うことは言ったので、無言を貫く。
それなりの間、沈黙が両者の間に広がっていたが、やがて信長の方がそれを破った。
「……以前、天子より賜った綸旨の件。遅くなったが承知した。叡山の寺領はすべて返還しよう」
これは事実上の、論功行賞だろうな。
史実でも、連合軍をかくまう延暦寺への妥協案として提示していた内容だし、さして驚くことはねえが。後ろに控えてる連中はどよめいてやがる。
信じてやれよ。信長はこういう損得勘定はちゃんとする奴だよ。たぶん。
だがな。
「謹んでお断りいたします」
俺のその言葉で、場は遂に喧騒に包まれた。
「覚恕様!?」
「どういうおつもりか!?」
なんて声が聞こえる。
目の前では、さすがの信長も目を白黒してるみてえだな。
「織田殿もご存じの通り、恥ずかしながら叡山では一部の破戒僧が長きに渡って私腹を肥やしておりました。寺領の件は、その仏罰と思っております」
「…………」
「か、覚恕様……」
しおらしいことを言ってるようだが、実はそうでもない。
一度掃除を敢行して、金銭のことを徹底的に洗ったから明らかになったことだが、要するに破戒僧どもが私腹を肥やしていなければ、それだけでそこそこ寺の経営は成り立つんだよ。なんだかんだで寄進は来るしよ。
つまり、信長がぶんどった寺領がなくとも、真っ当に経営すれば今のままでも十分黒字なのだ。寺領が全部ぶんどられたわけでもねえからな。
何より……俺は現代日本での知識がある。今後俺が死ぬまでのおよそ3年間で、何かしらのことはできるだろう。田んぼの植え方とかな。それだけで、相応に稼げると踏んでいる。
だから、寺領は受け取らない。何せ俺は、清廉潔白な仏教徒様だからな。
恩は売りまくるけどな?
「で、あるか……。再び返せと言われても、返さんぞ?」
「構いません。その分を、民のために使っていただけるのであれば」
「……ふ、ふふふふ、まったく口の減らん坊主だ」
俺の物言いに、信長は不意に相好を崩すと、くつくつと笑い始めた。どこにそんな要素があったかね。
だが笑う彼のその様子からは、覇王の気配は和らいでいた。かつて大うつけと呼ばれていた男らしい、悪がきのような笑みだ。
なんだ、良い顔で笑うじゃねえかよ。
「いいだろう、その方の口車に乗ってやる。寺領は確かにもらっていくぞ」
「はい」
ひとしきり笑うと、信長はすっくと立ち上がる。そして大股で入口へと帰っていく。
が、戸に手をかけたところで振り返ると、
「今日は面白い説教を聞かせてもらった。その礼として、叡山に土地を寄進しよう。場所は後日伝える」
そう言い放って、にやっと笑ってみせて去って行った。その後ろに、付き添いの男が慌てて続く。
……やれやれ、やり返されちまったな。
あの野郎、寄進する土地って絶対うちの元寺領だろ。寄進と言われりゃ断れねえんだよなあ、仏教徒って。お釈迦様も、寄進された肉は食ってたって話あるくらいだしよ。
ま、仕方ねえな。なんとかするとしますかね。
そうさな……まずは布団が欲しいから、綿花の育成だな!
『その後信長は、史実より5年早く本願寺を平らげ、天下に覇を唱えた。
元亀2年の会談以降、信長の宗教(正確に言えば仏教)対策は多少和らぎ、殺された一向宗の数は史実に比べかなり少なかったが、これが覚恕の説教の効果なのか、史実と異なり家臣や身内を多く殺されなかったからなのかは、誰もわからない。
しかし結局、史実より1年早く本能寺の変が起こり、彼の天下統一は成し遂げられなかった。
だが彼の嫡男信忠は、史実より長く生きていた覚恕の手配で救出され、織田政権は辛くも存続する。
以降、織田家は延暦寺を丁重に扱い、信長、信忠親子の墓が建てられるに至ったのだった。
なお、この世界の覚恕は実に慶長5年(1600年)まで生きた。その間、御仏が夢枕に立ったとうそぶきいくつかの農業改革を実施、成功させ、人々からは名僧と慕われたという』
とりあえずの完。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
本作は、ノリと勢いと仕事からの逃避によるナチュラルハイで構成されています。あちこち粗はあるかもしれませんが、そういうものとしてご了承ください。
なので、別にこれを元に長編を書くつもりはなければ、続編を書くつもりもないです。これはこれでおしまいです。
いやその、ある日ふと「そういやなろうの歴史ジャンルって、寺社をコテンパンにするやつはたくさんあるけど、寺社が活躍する作品ってなくね!?」というお告げを受けて、ついカッとなってやった。反省はしてるけど後悔はしてない。
でも、案自体は悪くないと思うんですよね。宗教界を舞台にした、逆行転生物。うまく料理できればかなり面白くなると思うんです。
なので、どなたか本願寺顕如とか覚恕法親王とか快川紹喜とかルイス・フロイスとかガスパール・コエリョを主人公にして、逆行転生もの書いてみませんか?(丸投げ
※8/11追記
歴史とはまったく関係ないですが、昨日も短編を投稿しました。
今までとちょっと方向性の異なる作品で、「我ら異世界調査員!」というお話です。
歴史ものではありませんが、異世界での職業ものとしてご覧になっていただければなと思います。
(http://ncode.syosetu.com/n7562dl/)