気のせい
91.気のせい
そこへ案内するのを当初ためらったようだが、最後に、部外者と国際スパイは立ち入り禁止となっている、技術開発室へ連れて行った。新製品開発は会社の最高機密だから、そこまで筆者に信頼を寄せた訳である。
何点かの試作中の製品を見せた。 一目で画期的と思える新製品も混じっていた。もしこっちが本物のスパイなら、この会社は潰れただろう。こっちの目をみつめ、ペンの構え方もそれまでより真剣になって社長は意見を求めた:
筆者は勤務していた元の会社の類似の製品は当然の事として熟知していたし、従って製品に関して日頃から頭を悩ませた技術上の問題点(=使い難さなど)もよく判っていた。しかも直近までコピー商品の開発に当たっていたのだから、技術経験と知識は豊かであった。これらを念頭に置いて、比較しながら意見を具申すればよいから、社長から出題された応用問題は簡単で、カンニングペーパーが手元にあるようなものだった。
考え考え慎重に述べた筆者の意見は、ビシッ!と音を立てて問題の中心を射抜いた。傍らで熱心にメモる社長の姿を横目で眺めながら、この時初めて「賭けに勝った!」と確信した:事態がひっくり返る事は最早起きない。
工場案内され始めた直後から、筆者は社長へ様々な意見を具申したり改善のアイデアを随所で述べて来た。どうしてそんな特異な事が出来たのかと人は疑うかもしれない。実は筆者が急に思いついてその場で実行したのではなかった。
前の会社でセールスマンだった時に、顧客を訪問した時に工場内を案内される事がよくあった。正しく言えば、「工場を見せて欲しい」とこっちから申し出たからだが。筆者は知らない事や初めての世界に好奇心が強かったのである。こんな時、相手は貴重な時間を割いて工場を案内してくれた訳である。「お礼」の気持ちとして「お返し」をしたいと思い、筆者は案内されながら「相手に役立ちそうな」価値のあるアイデアを差し上げるのを習慣としていたのだ。単に清潔な工場ですねとか、社員が熱心ですねとか儀礼ばった無意味な事は言わなかった。
例えば現場で三人の作業者が一緒に仕事をしているのを見れば、XXXのように改善すれば(或いはZZZの道具を使えば)、同じ仕事が二人で出来るのではないでしょうか(或いは、女性でも作業が出来るでしょう)、と指摘したのだ。先に紹介した通り、三時間の仕事が一時間で済む、浮いた二時間でホテルに行けるーーー、のと同じ思考である。
筆者が指摘したコメントは大なり小なり、大抵顧客に役立った。結果的に筆者の訪問が顧客に「強い印象・軽い感謝」として残ったのは当然で、後日になっても何かと「筆者を指名」して顧客が相談して来るようになった。事務所内に座してセールスマンとして商品を売った・買った・値引き云々の話だけでなく、無償のコンサルタント行為をやっていた(=「そのように努力」していた)。
当時それを(セールス増進の為に)意識してやっていた訳ではなく、単なる「お礼・お返し」の気持ちだったが、後になって思えば、トップセールスになれたのは、人が案外気づき難いこういう無償の行為の積み重ねだったと思う。ハウツー物のどんなセールスの本にも書いてないと思うが。だからドイツの工場でも筆者は経験としてやり慣れた行為を繰り返しただけで、同じ習慣の延長だった。トップセールスの秘訣は、表面だけを眺めていても分からないかもしれない。
人が成功した時、「あの人は、xxxだったから成功した、ZZZをやったから上手く行った」のように、たった一つのファクターだけを取り上げて言いがちだ。説明がし易いからでもある。時には成功した当の本人でさえ、そんな事を言いがちだ。が、それは間違い。
成功は何か一つのコツがあったというのではなく、筆者の例を見ても、過去の「経験値の総動員」の結果だとわかる:長期失業で舐めた精神的な苦悩・未経験な分野(=セールス)へ飛び込み・販売の定理を作り上げた数理的な思考方法・トップセールスの達成・カミサマになった経験・偽製品の開発体験・工場案内された時の体験・語学力なども身に備わっていた。どの一つが欠けたとしても、未知のドイツまで出かけて、最も気難しい社長をたった二日で説得するのは、達成できなかったと思う。
工場案内から一緒に元のオフィスへ戻った時、筆者を見る目は一変した。こっちへの呼び掛けも「ミスターXXX!さん」から、「陛下!」へと改まった。 いや、これは筆者の気のせいだったかも知れないがーーー。
「勝ちを確信した」筆者は、その日の夜中に日本で結果を心待ちしている配偶者へ、ホテルから国際電話を入れた。当時国際電話は一分間800円の高額。「賭けに勝った!」と十秒間で伝えると、女は地球の裏側で涙ぐんだ。「この男と結婚していて良かったーーー」と思ったに違いない。
が、ひょっとすると、これも筆者の気のせいだったかも知れない。何故なら、次の瞬間女は愛情よりも経済を優先させたからだ:
「早よう電話を切りなさい!」




