器の大きさ
67. 器の大きさ
好きこそ物の上手なれの通り、女はこの商品の販売数で何時も社内ダントツで、他の社員を足元にも寄せ付けない。ついには、「Y製品の女」という名誉ある称号を与えられた。
話が前後するが、彼女が達成したこの製品の年間数千万円の販売記録は、彼女が定年退職して七年が過ぎた今になっても破られず、話は伝説化している。二番手の人のY製品の売上げ額が最高で年間三百万円程度に過ぎないから、女のダントツ振りは桁が違った。
彼女はある時、大手企業K社の神戸工場から、この商品の大きな受注に成功した。一件でそんな大型受注は会社始まって以来だった。「社長、一緒にデートしましょう」と言って誘ったから、筆者はそこの担当部へ女と一緒に、受注のお礼に伺ったことがある。
御礼の挨拶が済み、事の序でに工場構内の他の部署へも女と一緒に挨拶に回った。それぞれの部署で「ウチの(キツネ目)が、毎度お世話になっております」と筆者は型どおり礼を述べた。正しく型通りであった。そうする内に、おかしな事に気づいた。回る先々どの部署の人も、判で押したように同じような返事を返したからである:
「いやいや、助けて貰って世話になっているのは、こちらの方ですよ。有り難い事です」
丁寧な挨拶を返されて、初めの内は外交辞令だと思った:流石に一流大企業だけの事はある、社員の皆さんはやっぱり紳士達なんだなーーー。が、どうやらそうでもないと気づいた。中には、本気かどうかこう言う人さえいたからだ:
「ここに専用の机をウチで用意するから、彼女をここへ常駐させてくれませんか?」
一緒に仕事をしたいと言うのだ。これは型どおりの返事どころではない!
スタッフも係長も課長でさえ、まるで仏様を拝むみたいに外の言葉を知らなかった。ウチの社内で不潔なバクテリアの如く嫌われる女が、大手K社内で「女神のようにあがめられている!」 「そこまで感謝されるような」キツネ目は一体何をやっているのか?? 彼らはまるでK社全工場が、女一人の細腕で支えられているみたいな口ぶりである。訳が判らず、判らないなりに女の営業手腕に筆者は舌を巻いた。
12.女への評価
女は社内と社外とで、付き合い方を分けていた。売上成績が上位にランクされ同僚たちに畏敬の目を向けられるようになったが、依然として一部の人から毛嫌もされるのは相変わらずである。こんな事があった:
顧客K社の担当者が、技術打ち合わせの為にウチへ来訪したことがある。実験装置がウチにしかないためだ。担当である女は、顧客を下へも置かない対応をした。無論責任者として筆者も丁寧に挨拶にまかり出たのは言うまでもない。顧客が帰った数日後に、こんな話を伝え聞いた:
K社の人も傍にいる時に、手が離せなかった女が、自分より年配の倉庫係へちょっとした走り使いを頼んだ。普段から穏やかな人柄だったから頼みやすい。処が、女の頼みは「露骨に」断られたらしい。日頃女へ「良い感情」を持っていなかった倉庫係は、女へつい「嫌がらせ」をしたのだ。これに敏感に気が付いたK社の人が「社内で貴方も大変なんだねえーーー」と、女へそっと同情した。
女が成績を上げれば、当然社内の評価が上がり褒められる数も増える。妬まれた。上司の目の届かない処で「仕返し」をされていたのだ。男の妬みはある意味汚く、女がその中で互角に生きるのが難しい事の証明である。人とはそういうものであるようだ。
筆者は、倉庫係りの評価を下げた。
けれども、なに彼女も負けてばかりはおらず、こんな風にやり返している:
売上成績が良いだけに、毎日女は超多忙である。終業は18時であるが、たまたま普段より早めの15時頃、女が外出先から社へ戻って来た事があった。こうなると恐ろしい事が起きる。
この時同僚営業マンの一人が机に座って仕事をしていた。彼の座っている直ぐ後ろを歩きながら、女がこう呟いた:「こんな時間に営業マンが事務所に居って、一体何をしたいんかいなーーー」
実に嫌味である。女はわざと辺りへ聞こえがしに言ったから、離れた筆者の耳にもちゃんと届いた。
15時前後と言えば営業マンにとってゴールデンタイムで、本来は顧客の前に座って商談の真っ盛りの大切な時間帯の筈。そんな時間に事務所で「時間潰し」をしている男の同僚を眺めて、女が(お前は遊んでいるヒマがある・ロクデナシ)と暗に皮肉ったのと同じ。日頃から売上成績がパッとしない男だったから、本人にすればキツ~イお灸であった。「(女を)殺したろか!」と思ったろう。素知らぬ顔をして筆者は内心でニヤニヤしていた。
だから、女が周りから嫌がらせを受けるのも日頃の言動に問題があり、どっちもどっちで、ある意味自業自得な処があった。が、先に書いたように、他方でこの嫌味たっぷりで超個性的な女を「可愛い」と見てゾクリとする同僚も、数ある中には居たのだから不思議ではある。
「可愛い」と「毛嫌い」で評価が百八十度割れるが、割合は先に述べた「2:8」の原理に沿っているように見える。人を「どう見るか」は、実はその人の「器の大きさ」なのだろう。
序の事に、「鬼か蛇か!」と事ある毎に女は筆者へ悪口を投げつけたが、筆者は決して蛇ではない。実は「鬼」なのである。
憎まれたり・敬愛されたり・Y製品の女と言われたり、マゾ男をゾクッとさせたり、そんな事がありながら女は良く働いた。何時しか定年の60歳(今は65)になり、会社を退職する時が来た。辞めずに居続けてくれるように筆者は説得した。
が、「もう二人の娘も一人前になりましたしーーー、それに疲れましたから」の言葉を残して、女はあっさり会社を去った。送別会も断った。後日ファックスで短い書信を、送って寄越した:
社長殿
長くお世話になりました。
これからも仕事は何かして行く積りにしていますが、六十を迎えて、ひとまず終止符を打ちたいのです。正直、壮絶な日々でした。けれども、その間自分の持てる全てをお客様へ尽くしたと感じていますので、悔いはありません。
「ひたすらに 駆け巡る嵐 その行く末は塵と消ゆるとも」
貴社の発展を祈ります。
有難う御座いました。
*
書いてある通り、彼女にとって「壮絶な日々」だったのは間違いない。文面には、陰で支え続けて最も評価してやった鬼へ、格別なお言葉は無い。そこがまた、如何にも彼女らしい。
手書きの文章を眺めて、あの女は案外字が上手だったんだなーーー、と筆者は改めて思った。タヌキはやっぱり嫌いだが、以来筆者はキツネを好きになった。名を近下良子( よしこ)といった。




