キツネ目の女
62. キツネ目の女
先の「2:8の原理」(= 二割のトップ社員が全社の利益の八割を稼ぎ出している)を思い出して頂きたい。 この原理から言えば、全社員をトップセールスに鍛え上げる試みは、初めから「不可能に挑戦」するかに見える。ダメな八割は、やっぱりダメかーーー、そう思って弱気になりかけた。
「あげマンとは何か、販売力とは何か?」を考え続けながら、結局それから実に7年の歳月を待たねばならなかった。初めて筆者に「正しい回答」に気付かせたのは、7年目に出会った中年過ぎの「キツネ目の女」である。結論を先に言うと、筆者と社員らの違いは、筆者独自の「クセ」にあった。キツネ目の女のクセと共通していたのだ。
何十年と身に付いた自分のクセに、本人は気付き難い。今朝あの横断歩道を渡った時に、右足から歩き始めたか左足だったか、その時カバンは左手に持っていたか右手だったか、覚えている人はいまい。人は自分が「当たり前にやる事」には注意を払わないし、「値打ち」に気付かない。
けれども、スレスレを通過した車が、右手に持ったカバンを引っ掛かけて、貴方が転んで大怪我をする事は有り得る。 もし左手に持っておれば避けられた事故だったーーーと後で悔やむ。 これは無意識の「小さな」クセが、「重大な結果」に結びつく例。「重大な結果」とは、ここでは「トップセールス」に成れるかどうかの違いを意味する。このクセに初めて気付かせたのが、先の女。
当時「営業マン急募!に呼応して、女が応募して来た。当社のような小さな会社では応募者が大量にある訳ではないから、余程の事情がなければ応募の人全員を差別なく面接する事にしている。
面接に現れた女は、四十半ば過ぎで短髪の中肉中背で体は頑丈そうだが、目つきが狐みたいだった。短髪は好きだが、筆者は狸と狐が嫌い。
ウチが販売しているボルトの締結機械は小分けにして持てるが、総重量が20数キロ。これを担いで工場へ出かけて、実演するのがウチの営業活動なのだから、実に肉体労働真っ盛りの仕事。長さ1m程の大ハンマーを、勇ましく振り上げて大型のボルトを叩き締めしている喧噪な現場へ出掛ける。そんな作業をしている男たちの間に割って入って実演するから、女の口上は:
「バカねえ、アンタたち。こっちの方が、ハンマーより安全で楽よ!」てな、具合になろうか。
と言えば簡単そうだが、営業マンの服装は上下つなぎの作業服でヘルメットを被り、重苦しい安全靴を履き、安全帯を身につけーーー、となる。スカートのひらひらは無縁の世界で、夏は汗びっしょりになるし、ヘルメット内の髪は汗にむれてペッタンコ。口紅だって流れて血をすすったようになるから、人が見たら背筋も凍る。
こうして、実に「野蛮で・男らしい」仕事なだけに、勝手に女人禁制みたいな業界。同業他社を含めて女の営業マンは存在しない。面接時に、これを念入りに語って聞かせた。が、「キツネ目の女」はビクともするどころか、これを「女向きの仕事」と見たから世は様々である。
他方で女の経歴書に拠ると:「高卒」→「和菓子屋の店員」→「設計事務所でトレース(=図面の書き写し)の仕事」→結婚して「専業主婦業」→(夫が失業)→「スーパーでレジ打ちのパート職五年」。 冗談じゃないぜ、こんなゴミみたいな経歴に、一体何の値打ちがあろうや! 面接官をナメとんのか? 血迷うて逆立ちすることはあっても、ウチへだけは来るな!
こっちの腹はもう決まった。断固、死刑である。
夫は鉄工所で腕ききの溶接工だったが、失職中との事。そんな同情話は世間に聞き飽きたが、女はこう訴えた:
「私を雇ってください!」
「うむーーー」
「この会社は私を雇うべきです!」
「雇うべきだってーーー? どうして?」
「スーパーのレジ打ちの仕事ならありますが、月7~8万円にしかなりません。二人の娘が高一と中二で、私は経済的に困っています。月30万円は要ります。頑張りますから、雇って下さい」
自分本位な理由を一方的に挙げた。
女の切羽詰った様子は、昔の苦しかった自分の失業時代を思い起こさせた。心情として助けてやりたいが、彼女には到底無理な仕事。穏やかに断る為の言葉を探しつつ、女の様子を眺めた。断りの第一声を発しかけた時、こっちの気を察知したか見返す女のキツネ目が一瞬ギラリと光った。
気押されたように、ハッとなった。自分と「同種の人間」が目の前に居る!とピンと来た。発しかけた言葉を呑みこんで、即答した:
「よし、採用しよう。明日から来たまえ!」




