俳句みたいな求人募集
4. 俳句みたいな求人募集
大学で造船工学を学び、元々定規と製図台を商売道具とする造船技師。と偉そうに書いたが、客船や貨物船の代わりに難破船を主に設計していたから、大した成績ではない。人生の半ば過ぎでコンコロと転んだ中古の技術屋は、人間が堅いだけで砥石以外に使い道が無い。冒頭の中年男と決して仲間に成りたくはないが、用途は同じ。
固執していた大企業から頭を切り替えて、今度は中小企業を中心にしたのに、応募してもあちこちで断られた。
社員十人ほどの零細な鉄工所の面接で、二万トンの貨物船の設計が出来ますと、伏し目がちに胸を張った。難破船と言わない処が、こっちのハッタリ。相手はニヤリするや、「そんなに大きなのはウチでは要らない」と軽くいなされた。相撲の世界ではないから、大きい方が勝ちとはならないのだ。
別の会社では、「技術知識があって語学が出来るから、とても優秀です」と強調したら、これが裏目に出た。天邪鬼な面接官から「ウチの社長より偉い人は、要らない」と一蹴された。何でも自分処の社長を優先する人で、きっと、こっちが優秀過ぎて会社を乗っ獲られては堪らないと考えたに違いない。
敵方の気持ちをやわらげる為に、今後は「優秀でない振り」をしなくてはいけない、と反省した。
面接官というのは立場を傘に着て生意気なのが特徴で、応募者を落とすのに快感を覚えるサドまがいのタイプが多い。さわやかな触れ合いを求めたいというのは滅多に居ない。金こそ取らないものの、応募者から強引に自信をはぎ取る。こっちが「こう言えば」、「ああ切り返す」タチの悪いのが多いと知ったが、問題の深刻さを憂えても仕方が無い。採否の権限は、嫌でも向こうにある。
難破船専門で学校の成績がイマイチであっても、今の時代よりは大卒の肩書きに少しは値打ちがあった。零細企業に応募すると、相手が恐れ入る場合がある。ここが難しい処で、相手が考える程には「偉い人でない」と証明する必要があった。小さな会社へ応募する時には気を遣って、履歴書から大卒の肩書きをわざと削除するようにした。かっては大手のエリートコースを走っていたのにと思うと、情けなかったが相手に合わせざるを得ない。
他方で面接試験で次々断られるのは、口が重く無愛想な私を、誰も好きにならないせいだと考えた。瞳も細目で、決してつぶらではない。親譲りで目から鼻へ抜けそうに賢く眼光鋭いのは、アレキサンダー大王みたいで男として好ましい特徴だが、少なくとも面接官にとっては心地良いものではない:
美男子と見えなくてもせめて好男子と思われる必要があり、こぼれる笑みこそ大切である。改善する為に面接日の朝、鏡の前でにこやかに笑う練習を重ねた。筆者は何でも徹底するタイプだ。こうして面接に臨んだ処、効き目が有り過ぎて笑いが止まらなくなった。
眼光鋭くニヤニヤした作り笑顔を眺めて、気の弱い面接官は気色悪がり、こっちの顔をよう正視しなかった。アレキサンダー大王に婚外恋愛でも仕掛けられるのは堪らんと思ったかどうか、矢張り採用されなかった。
何処からも断られ続けて、神戸での失業は実質一年半以上も続いた。当時は束の間を食いつなぐにしても、今のような派遣社員というものが無かった。今でこそ派遣といえば悪への奔りとか、臨時・季節労働者みたいに言われるが、見方を変えると、簡単に稼げる「便利な仕組み」でもある。
職探しに(現代のような)インターネットも無く、年齢制限や性差別も立派に通用した時代。例えば新聞の求人広告なら、「求む男子業務社員・年三十以下・乞職歴送付C社」とまるで俳句だ。ユーモアもへったくれも無い。
年齢が問題だったが、それでも念の為に「四十一なんですがーーー」と遠慮がちに電話をしてみた処、女事務員が出て、「広告に書いてある通りです」とすげなく断られた。「お前は俳句と日本語が読めないのかい!」と言われた気がした。丁寧に電話してやったのに、失業者を救おうという使命感が無いのだ。「どうせ、ロクでもない会社だ、採用されなくてよかった!」と、電話を切ってから内心で負け惜しみを言ってやった。
高知市に建てていた家は、柱に頬ずりしたい位に愛着があったが、泣く泣く叩き売ってローンの返済に充てると、手元に幾らも残らなかった。十数年前に激安で買った中古の日産ブルーバード一台を保有していた。必要で已む無く乗る時は、アクセルは何時もそっと踏んでゆっくり走り、長い信号待ちではエンジンを切って、ガソリン代の節約を図った。今のけちけちした性格はこの頃に養われたから、将来何が役立つか分からない。
晩御飯のカレーライスは幼い子供達の好物である。 配偶者は具に肉を使わなくなった。代わりにチキンかミンチとなり、やがて缶詰のコンビーフを工夫した。人参とジャガイモがやけに多いカレーを頬張りながら、「地べたまで」落ちて行く気がした。
失業保険とささやかな蓄えで食いつなぎながら、資産の無い一家が一年半の不充分な収入に耐え、追い詰められて行く失意と精神的な苦痛、経験した者でないと判らない。
長く続くと「失業者」の看板がすっかり似合って来て、筆者は次第に元気を失くした。「元気を出せ!」と言われるのが苦痛になった。