想定外のシベリヤ
30. 想定外のシベリヤ
親分は「買うのはバカ」と言って感動し、こっちは「たぶらかし易い」と感動したから、感動の相乗効果で人生観が一致した。以後二人が急速に心安くなったのは、「類は友を呼ぶ」という昔からの美しい格言の通りだが、「蛇の道はヘビ」と言ってくれてもよい。
数ヶ月が経つ内に、他の部署でもぼつぼつ注文が決まるようになり、これが二人の間を一層親しくさせた。ツーと言えば、カーと応えるようになったから、親分は自分が他の仕事で忙しい時でも、筆者との予定をキャンセルせずに、こう言うようになった:
「今日ワシはXXXの用事があって忙しくて同行出来んから、アンタ一人で行ってや」
「ーーーー」気弱な筆者は弱った。
「いやなに、ワシが電話でアポを取っといたるさかい、何も心配せんでええ! 時間通りに行って、いつも通り喋ったらええだけの事や」と、親分は度量の広い処を見せた。
こうして親分がアポを取っておいてくれた先へ、筆者が単独で訪問する機会も多くなった。そんな時は例の「ウッス!」の呪文が通用しなかったから、「M部署のXXXさんへ、二時にアポあり」と関所の門番へ正直に申告し、申請紙を記入してから、入構する正攻法を取った。後で報告書を作り、写しを矢張り親分へファックスで回付して、上役を「小躍り」させたのは言うまでもない。
安井親分にしてみれば、「子飼いの配下」が一人出来たようなもの。自分はA部署で仕事をしながらB部署へ筆者を行かせるようになったから、同じ時間に「二倍の仕事」を片付けられる。味をしめた親分は、この手を積極的に繰り返すようになった。
そんな時の筆者は、「よしゃ、任しときっ!」と二つ返事で言われた通り、単独でB部署へ訪問した。ついでにC部署やD部署へも訪問し、帰社後に毎回感動的な表現をちりばめた報告書を作って、安井親分の上役を何度も「小躍り」させた。これをピタゴラスの「任しとき!の定理」と名付けて、筆者はノートにメモした。
このピタゴラスの定理は一見利他的行為に見えるので、第三者に理解されにくいが、「情報を収集する」のに最有力な手段の一つである。後に他の販売店と一緒に同行訪問する時にも、積極的にこの定理を活用した。
大いに見込みがありそうに見える部署だけに限らず、筆者が腰軽く嬉々として何処へでも指示された通り出掛けるものだから、やがて「アソコは見込みが無いなーー」と親分自身が内心で危ぶむ怪しげな処まで、勝手にアポ取りして、筆者を行かせるようになった。
筆者を使うのはタダだったし、人脈が豊かな親分は筆者と違って、アポ取りなんかお茶の子さいさい朝飯前。筆者のスケジュール手帳は、親分のお陰でアポだらけになってしまった。
依然として筆者は自分単独では電話をようしなかった。図書館時代の苦しさを思えば朝飯前でも昼飯前でも、親分によるアポ取り済みの訪問先が有るだけで、幸せ一杯ルンルン気分。アポがあるなら、怪しげで見込みが薄いシベリアの奥地まがいの処へでも、元気盛んに一人で出掛けた。そこで雪をも溶かす千度の熱烈な一席をやったら、何処でどう間違えたか、案外数ヶ月後に受注に漕ぎ着けたりした。そんな様子を見て親分は大いに驚き、こう褒めたものである:
「ワシも、シベリア地区のアソコは絶対に注文が決まると元々思とったんや。昨夜の夢にも見た位や。そやからアンタに、一人やったけど、わざわざ行ってもろたんや!」
これが全然不自然に聞こえない位、親分にはどっしりした風格があった。
こんな経験が、よい方向へ弾みが付いた。味をしめた親分は、自分が同行しようがしまいが、ボルトとネジに関係してボとネが付けば、有望であろうとガセネタであろと「あらゆる情報」を筆者へ回付するようになったからだ。
親分も「こんな高いもん」が、手品みたいに次々売れるのを不思議がった。思慮深げにこう呟いた:
「こんな高いもんが売れるのは、アンタには「ソレしか後が無い」からやなーーー」筆者に格別な才能と技量があるからだ、とは決して言わなかった。そこが親分の偉い処で、「ソレしかない」の言葉は、商売のコツをしっかり筆者へ叩き込んだのである: 専門店が何故デパートに勝つかの解答だった。
親分の言葉を終生忘れず、筆者は後年会社をこしらえた時、商品数を「少数に絞った」(=ソレしか無い)販売戦略に特化したのである。バタフライをやる一流選手は、バタフライばかり練習するから一流になれる。けっして、デパートみたいにクロールや平泳ぎへ手を広げない。ソレしかない、第三者にも分かると思う原理である。
冒頭の「情報のある処」にセールスがある、の基本原理が図らずも機能し始めた: 「情報のある処→セールスがある→受注に至る→味をしめた親分が又情報を呉れる→セールス→又情報を呉れる」
この仕組みに弾みが付き、スパイラルのようにクルクル回転した。筆者はおかしなセールスマンだった、売り込みをする為に一度も何処へもアポの電話を掛けた事がついに無かったからだ。そんな必要が無かったし、そうするヒマも無かった。