ツワイク
16. ツワイク
話を戻す: ーーーとまあ「自分に不向き」と愚痴を百篇並べた処で、外に働き口が無いのだから仕方がなかった。雇われたのは、ネジを締結する為の機械を売る、社員十数人の販売会社。それでも生意気に外資系と来たから、ネジ回しの親玉みたいな製品だが、セットで数百万円もする。
値段を聞いた時、数万円の聞き違いかと思った位だ。たかがネジ回しに馬鹿高いから、馬鹿以外は買うまい。「亀が空を飛んで」これを売りさばこうかというのだから、売り付けられる側はさぞ迷惑だろう。逆立ちしても自分にやれる仕事とは考えなかった。
話が変わるが、大学一年の教養課程時代にS・ツワイクの「運命の星の輝く時」というドイツ語の本が、語学教程の教材になった。ドイツ語は苦手だったが、内容が面白かった:
歴史を揺るがすある大事件が起きたのは、事前にそれらしい予兆や準備があって首尾よく起きたのではないのだと言う。何の関係も無く見えた小さな出来事、それは目立たず取るに足りない出来事だったから、誰も一顧だにしなかった。例えば道端を歩いていて、目の前の小石を一つ軽く蹴とばした位なものだった。が、小石が昼寝をしていたライオンの鼻先に命中したのである。
ツワイクに拠れば、この小石こそ後に歴史上の大事件を引き起こす伏線だったというのである。伏線にタッチした時、良くも悪くも神のみぞ知る「運命の星が輝く瞬間!」なのだ。そんな歴史秘話をツワイクは、ドキュメンタリータッチで生き生きと描いていた。
筆者の場合、生活に行き詰まり「最も不向き」なセールスマンの道へ尻を押し込まれるようにして、人生航路の舵を切ったーーー。嫌々であった。長年のキャリアと学歴を捨てて、初めて「丸裸となる決心」だった。人生という名の船は大きくかしぎ、直角に近い急カーブを描いて航路を変更した。
もし筆者の頭上に「運命の星が輝く瞬間」があったとすれば、正しくこの時だった。ずっと後になって知った。
給料が欲しかったのだ。新しい仕事は、泳ぎを知らない人間が水中に投げ込まれて、浮き上がろうと必死で水を蹴ったようなものだった。息も絶え絶え何とか岸に取り付くや、又水に落ちないかと筆者は恐怖した。
ここを起点にセールスマンという茨の道をまっしぐらに駆け始め、以後疾走するように出世して行く。誰も追い付けなかった。




