コロンボ刑事!(1)
10. コロンボ刑事(1)
特に印象深かったケース二件を、続けて紹介する。
神戸国際ホテルのロビーが面接場所と指定されたので、背広とネクタイをパリッと決めて出掛けた。新聞の求人欄の二行広告で見たのだ。丁度午後二時で、五十少し前とおぼしき男が一人で待っていた。面接場が一流だから、会社側も一流の人物が待っていてくれる筈であった。けれどもーーー、男の着ている物が如何にもパッしない。生活の色が濃く出ている感じだ。
広告への応募者は筆者一人だったらしく、「まあ、ケーキでも食いながら、話そうじゃないか」と向こうから友好的に誘った。筆者をロビーに隣接する喫茶室に引き連れて行ったから、塩垂れた服装に似合って気さくな男である。
それでも金はたっぷりあるようで、こっちを歓待するかのように男は、ガラスのショーケースに並んでいる中で一番高価なケーキを選び、コーヒー付きで二つ注文した。今の筆者がよく使う手だが、愛を告白する前の買収作戦と見えなくもない。一緒に食べた。
「このケーキは、やたら美味いな」と、男は自分が選択した値段と味について自賛しながら同意を求めたから、「美味しいですね」と応えた。問われるままに話したのだが、語るも涙の筆者の身の上話を丁寧に聞いてくれた:
「そうかい、そうだね、家族が居て失業は大変だろうな」と、同情した。暖かい言葉に誘われて、長く失業中のこっちはつい涙ぐみそうになったものだ。
前置きの会話が済んでから、やおら男は手の平に載る位の、しかし大変分厚い小冊子を鞄から取り出して、自分のやっている仕事を紹介した。昼休み時間を利用して会社や工場に入り込んで、女物のハンドバッグや男物のベルトなどの小物を、一つ一つ売って回る仕事であった。一人でやっているが、これが「よく売れるんだ」と男は語った。
そんな小物がぎっしり掲載された価格付きの冊子を眺めながら、世の中には色んな商売があるんだと思った。
一日の労働は、工場やオフィスの昼休みたった一時間が勝負である。残業も無く過労にもならないから、天国に一番近い楽な仕事だと男は強調した。ケーキに目の無い筆者がうまそうに食う様子を眺めて、大いに脈ありと男は見込んだらしい。おもむろに、「ワシの手下になれ」と言った。直ちに副社長待遇の提示だから、破格な出世。語学も出来る大学出の筆者を、丁稚奉公で仕込もうと考えたのだ。
男の風采の上がらない処は、TVドラマで有名なコロンボ刑事風で、人柄は朴訥として何か人なつっこさを感じさせた。期待を掛けてくれて、有り難いとは思った。他の事ならペアで仕事をしたら馬の合う人だが、仕込まれて生涯抜けない変なクセが身に染み付いても困るしーーー。
「毎日どっさりケーキが食えるから」ともし言ってくれたら結果は又違ったかもしれないが、それでも高貴な血の流れる筆者には不向きな仕事だと感じた。高価なケーキを馳走になった手前、悪いと感じつつ丁寧に辞退したら、果たしてコロンボ刑事は大層落胆した。こっちは必死になって仕事を探しており、相手は副社長として是非とも雇ってやろうというのだから、世の中はなかなか皮肉に出来ている。