記憶するカネ
お札を折って遊んでいた。
折り紙のように何度も折り目をつけて何かを作っていたのではない。折るのはお札の中の偉人だ。折る部分は二箇所。偉人の目に対して直角に山折りにする。両目なので二本の折り目が出来あがる。
二本の折り目がついた顔を、上から、下から見てみる。すると悲しんだ顔、笑った顔が浮かび上がるのだ。
「お金で遊んではダメよ」
この遊びをやるたびに、母は私に注意した。でも、高校生のあたしは時々、思い出したようにやってしまう。
だって、面白いんだもん。
板垣退助、夏目漱石、新渡戸稲造、福沢諭吉、野口英世、樋口一葉、ワシントン、エリザベス女王、ユソフビンイサークなどなど。皆それぞれお札になるほどの功績を残した人物なわけで、そのような偉人が、現代人でも表に出さないほどの強烈な悲壮感や、思わず気持ち悪いと言ってしまいそうなニヤけっ面をするのが、たまらなく面白い。その顔が「こころ」「武士道」「学問のすゝめ」を書いたんかいとツッコミをいれたくなるほどに。
いったい誰がこれを発見したのだろうか。この折り方は、あたしは小学生の時に教えてもらった。母に。
傾けたお札を、上から覗いた時に表れる偉人の悲哀に満ちた顔が、傾きを戻していくにつれ、しだいに真顔になっていき、さらにそのまま傾けていくと口角をあげ目をトロンとさせた奇人に変わってゆく。この変化を目にした小学生のあたしは、「お金って生きてるんだ」と感じた。
財布という一時的な住処を転々として日本ないし世界を飛びまわる。自分の財布にあるお札はきっと色々な人物を見てきているはずだ。銀行金庫の中に入ることの多い諭吉さんは少し気の毒かもしれないが。
千円札はーー野口さん、というように、あたしたちは記憶している。同時に野口さんも持ち主を記憶しているのかもしれない。
「汚れたカネ」などは「心が汚れた者に汚されたカネ」ということであってカネにとってはたまったものではない。破るなんて言語道断だ。それこそあの悲哀な顔をしているのではないだろうか。きっと深く刻まれた沈鬱な記憶となっているはずだ。だからたとえどんなに短い期間だったとしても、あそこの財布は居心地のいい研究室だったとか野口さんが思い出してニヤけるぐらいの扱いをしてあげるべきである。
こんなこと偉人の顔を折って面白がるあたしに言う資格などないのかもしれないが。
そんなことを考えながら、あたしは折ったお札のシワを丁寧にのばしながら二人の野口さんを電子カードにチャージした。
みなさん、やったことありますか?