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無意識の偽善者

作者: 末哉枸杞

 ――私は何を望むのか。

 私という存在が一体この世界にどんな影響を与えるのだろうかと、私は常日頃思い悩む。それが途方もなく無意味な疑問であるということを知りながら、それでも私は悩まずにはいられないのだ。

 悩む。ある人はこう言った。悩むとは、答えはすでに自分の中にあるのに気づかぬふりをして、くよくよといつまでも前に進まないことである。そう、答えはとうに分かっているのだ。分かってはいても、私は悩むという快楽に浸り、決断を先送りにしている。それにより私は消極的になり、自信を持てなくなり、人を信じられないようになるのだ。そして、無になりたいと望まずにはいられないのである。

 無というものが悩む以上に心地良いと思うのは私だけだろうか。何もないところに立ち、ぼんやりと思考を停止させる。それだけで無になれるわけではない。なる、という表現は正しくない。一体化する、が適当だろう。

 私は無と一体化するのである。それはある感覚が私をそうさせることによって可能になる。ある感覚とは、郷愁であり、既視感であり、「何か」である。

 郷愁も既視感も元を辿れば、「何か」に帰結する。その「何か」はある空間、つまり無である。無という点では、まさしく宇宙でいうブラックホールなのだ。

 人々は「何か」を感じ、一体化することがない。それが普通である。なぜなら彼らは無というものを必要としないのだ。私と全く異なる彼らには。私は無を感じたとき、少しほっとする。「あ、まただ、この感じ」と空を見上げたり、匂いを嗅いだり、空気を思いっきり吸い込んだりする。屋外での無は私を郷愁に包ませ、既視感を感じさせる。だが、屋内の無は私を限りない絶望のどん底に落とす。足掻いても無駄だと頭を抱えて、ひたすら涙を流す。嫌な何かにまとわりつかれて、私はひどく疲労困憊する。

「S――」S.N に捧ぐ

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