悪い知らせ
露店の賑やかな空気に包まれた広場で、リディアは色替わりポーションを手に笑顔を振りまいていた。
「見て見て、こんなに鮮やかな青髪になったよ!」
と、露店の隣でパンを焼いている店主が頭を誇らしげに振る。
「まるで空みたいだね!」
とリディアが感嘆すると、客たちも次々に試してみようと集まってきた。
髪の色や目の色が次々と変わる様子に笑いが絶えず、リディアもその光景に満足げだった。
そんな和やかな時間を切り裂くように、金属の響きを立てた重い足音が近づいてきた。
顔を真っ青にした衛兵が息を切らせながら叫ぶ。
「スタンピードだ!非戦闘員はすぐに冒険者ギルドの地下へ避難しろ!」
その一言が場の空気を一変させた。
「スタンピードって、魔物の群れが押し寄せてくるってことだよね?」
リディアは背筋に冷たいものが走るのを感じながら衛兵に問いかけた。
衛兵は頷き、さらに説明を続ける。
「魔物たちが森の方向から集団でこちらに向かってきている。
この街の冒険者たちが迎撃に向かうが、万一を考えて住民を避難させているんだ!」
周囲の人々は顔を見合わせ、急いで露店の品を片付け始めた。
リディアもポーションの瓶を箱に詰め込みながら、手が震えるのを止められなかった。
魔物の群れが来る──そんなことは神殿にいた頃でも想像すらしたことがない。
「どうしたら…」
声が震えて出てしまう。
すると、アラニスが隣に来て、リディアの肩に優しく手を置いた。
「大丈夫よ、リディア。私たちは一緒に避難すればいいの。怖がらなくていいわ。」
その穏やかな声に、リディアは少しだけ落ち着きを取り戻した。
しかし、その時ふと箱の中のポーションたちに目を向けたリディアの脳裏に、ある考えが浮かんだ。
「もし、私のポーションが役に立つなら…」
小声で呟いた彼女の言葉に気付いたアラニスが、心配そうに尋ねた。
「まさか、何かするつもり?」
リディアは静かに首を横に振ったが、心の中では違う感情が芽生えていた。
この街の人々を笑顔にしてくれたポーションたちが、今度は命を守るために使えるかもしれない。
安全な場所へ避難するべきだという理性が彼女を縛る。
「さあ、急ごう!」
アラニスが声をかけ、二人は避難する人々の列に加わった。
リディアは箱の中に手を伸ばし、いくつかのポーションをそっとポケットに忍ばせた。
魔物が迫るという恐怖と、役立ちたいという気持ちの狭間で、彼女の心は揺れていた。
地下避難所は、石造りの頑丈な空間で、外の騒ぎが嘘のように静かだった。
リディアはポーションの箱を足元に置き、避難してきた人々の不安げな様子を見ていた。
空気は重く、魔物のスタンピードという未知の脅威が人々の心に影を落としているのが感じられる。
突然、重い足音が響き、リディアの目の前に熊のような体格の騎士が現れた。
その顔は血の気を失い、肩には深い傷を負っている。
「露店でポーションを売っていた娘だな!」
彼の声は切羽詰まっていて、リディアの肩を力強く掴んだ。
「治癒ポーションを、今すぐ作ってくれ!」
リディアは驚いて顔を上げた。
「え、でも…治癒ポーションは気休めの携帯用で…。
私が直接治癒の魔法をかけた方が早いし効果も強いわ!」
そう言って手を伸ばそうとするが、彼は怪訝そうに眉をひそめた。
「治癒の魔法だと…?そんなものがあるわけがないだろう!」
その一言に、リディアは息を飲んだ。
「えっ…?でも、普通は怪我をしたら治癒の魔法で…」
言いかけて、彼女ははっとした。
この世界には魔法使いがあふれている。
それなのに、誰も治癒の魔法を使っていないことに気づいてしまった。
「この世界には…治癒魔法がないの?」
彼女は声を落として呟いた。
その言葉に、騎士は苛立ちを見せながら続けた。
「治癒魔法だと?おとぎ話の中だけのものだ。
怪我をしたら、薬草で作った粉薬や包帯で応急処置をするしかない。
それか、医師に診てもらうまで放っておくんだ!」
リディアの頭の中で、いくつもの考えが巡った。
治癒魔法が当たり前だった自分の世界。
けれど、この世界ではその「当たり前」はないという。傷を癒すためには時間と労力がかかる。
この騎士がここまで血相を変えて治癒ポーションを求めたのも、そういう背景があったからなのだ。
リディアは決心したように頷いた。
「今すぐ、あなたの傷を癒すからじっとしていて!」
そう言うと、彼女はそっと手をかざし、魔法陣のような淡い光が騎士の肩を包み込んだ。
光が消えると、傷は見る間に塞がり、痛みが和らいでいくのがわかる。
驚きの表情を浮かべた騎士は、肩を動かしながらリディアを見た。
「…まさか、本当に癒えたのか?これは夢か何かか?」
その声には信じられないという気持ちがありありと表れていた。
「夢じゃないよ」
リディアは微笑みながら力強く頷いた。
騎士は一瞬呆然としていたが、すぐに目を輝かせて頭を下げた。
「君の力があれば、多くの命が救える。
どうかもう少し、戦場の仲間を助けてくれないか!」
その切実な頼みに、リディアは少し考え込んだが、やがて覚悟を決めたように口を開いた。
「できるだけ頑張ってみる。でも、終わったら…また私の露店で愉快なポーションを買ってね!」
そう言って、リディアはポケットにいくつか小瓶を忍ばせながら、次なる治癒へと歩み出した。




