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静かな塔の弟子と式獣  作者: SUN3
後日譚
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講演会の日


外から見れば、それは二階建ての小さな家にすぎなかった。

石造りの壁に、控えめな窓。庭も狭く、特別な装飾もない。

村の端に建つその家を見て、中に魔法使いが住んでいると気づく者は少ない。


だが――


扉を開ければ、話は変わる。

内部には、天井の見えない円筒形の塔が、まっすぐ上へと伸びていた。

石壁には魔道照明の光が幾重にも重なり、空気そのものが淡く色づいている。


静かで、深い空間。


ここが、魔法使いウエルと、その弟子トール、そして式獣クロが暮らす塔だった。




朝の空気は澄んでいた。結界の膜が、薄い呼吸のように脈動している。


玄関ドアの前でウエルは外套の留め具を整え、杖の握りを確かめた。杖の先はほのかに光っていた。


トールは普段の作業服ではなく余所行きの服を着ている。襟を直し、かばんを抱え直す。


クロが石畳の上で尻尾を揺らした。


「……もう行くのかにゃ」


「ええ。日帰りです」


ウエルは、当然のように言う。

そして、当然のように付け足した。


「昨日も言いましたが、今日はトールも同行します」


トールは頷く。


「はい。講演会の補助と、記録ですね」


「その通りです」


クロは、目を細めた。


「で、留守番はボクにゃ?」


「お願いします」


「大船に乗った気で任せるといいにゃ」


クロは横柄に返事をした。


ウエルはそれに苦笑して、話をする。


「結界は通常運用。魔導具の稼働もいつも通り。あなたは見回りだけでいい」


トールも、念押しするように言った。


「一階から三階まで。異音と匂い、4階以上の魔導気配の変化。いつも通り、で」


クロは、わざとらしく胸を張る。


「いつも通りにゃ。任せるにゃ」


扉が閉じる。鍵が静かにかかる。

塔の中の空気が、ほんの少しだけ「留守番の静けさ」に寄った。


クロは早速にパトロールをすることにした。


「……よしにゃ」


クロはまず一階へ向かう。


炊事場。かすかな出汁の匂いが残っている。火種なし。水回り異常なし。

トールが毎朝飲んでいる牛乳の空き瓶が一本。きっちり洗われている。


「いつも通りにゃ」


応接室。机の上は片付いている。椅子の脚も揃っている。

窓から差す光が、床に静かな四角を作っているだけだ。


「いつも通りにゃ」


クロは鼻先を床に近づけた。


魔力のにおい――濁りなし。異物なし。


二階へ。上がる。二人の寝室がある区画だ。


トールの部屋。

淡い黄緑の作業服が、同じ形で整然と並んでいる。清潔な布の匂い。


「……いつも通りにゃ」


客間。使われた気配はない。


ウエルの部屋。衣服が揃い、乱れがない。私物の配置が変わっていない。


「いつも通りにゃ」


三階へ。ゆっくり上がる。ウエルの仕事場が集まっている。


研究室の前で、クロは立ち止まる。


扉の向こうからは、薬と金属の冷えた匂い。だが、境界は硬い。


「……入れないにゃ。いつも通りにゃ」


執務室の前。ここも、結界の触感が変わらない。


「ここも入れないにゃ、いつも通りにゃ」



そして、四階以上の階層・・・。



蔵書階層へ足を踏み入れた瞬間、空気の密度が変わる。

魔力が、壁の奥で古い川のように流れている。

クロは赤い目の黒猫にしか見えないが式獣である。

耳のカフスに前足を当てた。


赤い影が、足元の影と重なり、伸びる――五メートルほど一瞬で。


「……異常なしにゃ」


影を壁沿いに這わせ、棚の隙間を撫でさせる。

紙の匂い。インクの匂い。百年も積み重ねた静けさ。


「……いつも通りにゃ」


その言葉を口にした途端、胸の奥がわずかに鳴った。


一人で言う「いつも通り」は、


二人がいる時より、少しだけ大きく響く。


「……まあいいにゃ。いつも通りが一番にゃ」


クロはまた一階へ戻り、玄関の気配を待った。



扉が開く。


「ただいま戻りました」


「ただいま、クロ」


「お帰りだにゃ」


ウエルとトールは、外気の匂いを連れて入ってきた。

疲れはあるが、崩れてはいない――「仕事の疲れ」だ。


夕食は簡素に済ませた。


それから応接室の灯りの下で、クロが言う。


「講演会、どうだったにゃ」


トールが一瞬、ウエルを見る。

許可を取るようで、でも取らない。師匠が止めないのは、話すのが学びだからだ。


「……会場は満員。内容は、アレルギー皮膚炎の患者に木の魔導で取り組む方法について話されたんだよ」


クロの耳がぴくりと動いた。


「木魔法の治療の話かにゃ?」


トールは頷き、喉を整える。

ウエルの真似をする時の癖で、背筋だけが妙に伸びる。


「えー……『炎症は木の魔導で鎮められる。だが、原因が免疫側にあるなら、終わりじゃない』って」


クロが、尻尾をゆっくり振る。


「難しいにゃ」


「アレルギーは、体の過剰反応だ。で……師匠は、免疫不全の例も出してた」


トールは、帳面を引き寄せ、言葉を続ける。


「木の魔導でできるのは、炎症を抑えて、回復を底上げして、痒みや痛みを軽くして――いったんはまっさらの状態に持っていく」


「じゃあ、治るのかにゃ」


「……“今”は良くなる。でも、再発は防げない」


トールは、そこで少しだけ顔をしかめた。


分かってしまったからだ。木の魔導は万能じゃないという当たり前が、現場では重い。


「だから、食事療法――体の負担を減らす方。あと、魔法じゃない医療も必要だって」


「薬草や、検査かにゃ」


「そう。原因を探して、生活を変えて、必要なら薬師や医者に繋ぐ。木の魔導だけで全部やろうとすると、逆に悪化する、って」


ウエルが、淡々と一言だけ足す。


「魔法は便利ですが、魔法に寄りかかるのは危険です」


トールは頷き、つい勢いで続けそうになった。


「それで――」


だが、そこで言葉が途切れる。

肩から力が抜けた。


「……だめだ。眠い」


クロが見上げる。


「いきなり講師ぶったりしたからだにゃ」


「……ぶってない。」


「真似してたにゃ」


トールは反論しきれず、ふらふらと二階へ向かった。

ベッドに倒れ込む。靴も揃えられないほどではない。

だが、頭が枕に触れた瞬間、眠りに落ちた。


早い寝息。


クロは小さく息を吐く。


「……成長したけど、まだまだ子供にゃ」


階下でウエルが灯りを落とす音がした。


塔の中の気配が、また「いつも通り」に戻っていく。




外から見れば、変わらない二階建ての小さな家。


だがその中では今日も――


留守番があり、学びがあり、疲れて眠る夜があった。




静かな塔は、今日も変わらず、そこに立っている。



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