後編 観察と区切り
※本作には研究目的による解剖の描写があります。
ですが、過度な流血や残酷な表現はありません。
ウエルの研究室の空気は、一定だった。
温度も、湿度も、魔力濃度も、すべてが記録通り。
金属製の作業台の上に、小さな箱がおかれている。
その中にいるのは、魔導マウスだ。
「最初に、麻酔をかけます」
ウエルは淡々と告げた。一匹を取り出すと魔法陣の上に置く、魔力が柔らかく流れ込む。
魔導マウスの動きが、ゆっくりと鈍くなり、やがて完全に止まった。
「……眠った、だけですよね」
確認するように、トールが言う。
「ええ。意識はありません、解剖中に痛みも感じないはずです。」
優しさでも、冷たさでもない。事実だけの声だった。
「あなたも、やってごらんなさい」
トールも魔導マウスを取り出し麻酔の魔導をかけた。
⸻
一匹目と二匹目は、同時に解剖された。
ウエルが一匹を、トールがもう一匹を担当する。
「切開線は、ここです」
「……はい」
トールの手は、震えていなかった。
だが、胸の奥が静かに締めつけられる感覚は、はっきりとあった。
毛並み。
体温。
餌をねだる仕草。
それらが、すべて「構造」に変わっていく。
「ここが魔力を貯める器官です。」
「はい……」
トールは、必死に線を引き、スケッチを取った。
筋肉、魔力腺、内臓の配置。
記録は正確だった。
「十分です」
ウエルは、そう言って頷いた。
⸻
三匹目は、予備のはずだった。
ウエルは淡々という。
「では、もう一匹。今度は一人でやってみなさい」
促され、トールは小さく息を吸った。
再び、麻酔の魔導。
動かなくなる小さな体。
その瞬間、胸の奥に、言葉にならないものが湧き上がる。
(……ちゃんと、世話してた)
それを、振り払うように、トールは手を動かした。
手順は、頭に入っている。
切開線も、迷わない。
終わったあと、ウエルは短く言った。
「手際は、問題ありません」
それだけだった。
クロが、しっぽを揺らして言う。。
「……大丈夫かにゃ」
「……わからない」
「それでも手を止めなかった。成長だにゃ」
⸻
魔導士の家の裏手に、小さな石の台があった。実験動物の供養に使われる、簡素な場所だ。
ウエルが主導し、淡々と準備を進める。
魔導マウスの残滓を納め、最低限の魔法陣を刻む。
「――役目は、終わりました」
それだけだった。
淡い光が立ち上り、魔力が穏やかに巡る。
トールは、その様子を黙って見ていた。
トールは、祈りの言葉を口にしなかった。
何を言えばいいのか、まだ分からなかったからだ。
悲しくないわけではない。
だが、感情を整理する言葉が、見つからない。
ただ、「終わった」という事実だけが、胸に残る。
ウエルは、儀式の終わりを確認し、静かに言った。
「戻りましょう」
それ以上、何も付け加えなかった。
⸻
月の光を受けてたたずむ魔導士の家。
いつもの石壁。
いつもの階段。
いつもの空気。
変わらないはずの場所が、少しだけ違って見えた。
「……落ち込んでるにゃ?」
クロが聞く。
「……思ったよりな」
正直な答えだった。
クロは、少し考えてから言う。
「まだまだ子供でいいにゃ」
トールは、複雑な表情をして沈黙した。
「……」
「それでいいにゃ、分からなくて、立ち止まれるうちは、ちゃんと学んでるにゃ」
夜。
帳面に、今日の記録を書く。
――飼育期間:七日
――解剖:完了
――記録:提出予定
最後の行で、ペンが止まった。
感想を書く欄は、空白のままだ。
何を書けばいいのか、まだ分からなかった。
帳面を閉じ、灯りを落とす。
塔は、今日も静かだった。
英雄譚にはならない。
だが、管理者の一日は、確かに進んだ。
トールは、まだ十四歳だ。
それでも――
距離を保つことの難しさを、身体で覚えてしまった。
それだけで、この日は、十分だった。




