第1話 小さな家の中で
外から見れば、それは二階建ての小さな家にすぎなかった。
石造りの壁に、控えめな窓。
庭も狭く、特別な装飾もない。
村の端に建つその家を見て、中に魔法使いが住んでいると気づく者は少ない。
だが――
扉を開ければ、話は変わる。
内部には、天井の見えない円筒形の塔が、まっすぐ上へと伸びていた。
石壁には魔道照明の光が幾重にも重なり、空気そのものが淡く色づいている。
外観からは想像もできない、静かで、深い空間。
ここが、魔法使いの弟子、トールが住む塔だった。
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朝。
塔の空気は、落ち着いていた。
魔力の流れは一定で、結界の脈動も安定している。
トールは、階段の途中で一度立ち止まり、感覚を確かめた。
(……問題なし)
師匠が留守のときに繰り返していた確認をそのままやり続けている。
それは、管理者として身についたくせだった。
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「一泊二日です。大学での講義だけですから」
前庭で、朝日をバックにして師匠のウエルが外套を羽織っていた。杖の先が、淡く輝いている。
「結界はこのままで構いません。」
「……はい」
トールは、自然と背筋を伸ばして答えた。
その様子を見て、ウエルは一瞬だけ目を細める。
「何かあった場合の判断は、あなたに任せます」
「……任せてください」
その言葉に、迷いはなかった。
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クロが、階段の手すりの上で尻尾を揺らす。
「もう、留守番は専門分野だにゃ」
「専門分野って言うな。泊まりがある留守番は、まだ二回目だ」
「前は、うまくやったにゃ」
「……あれは、色々あっただろ」
「あれは、うまくやったにゃ、褒めてやるにゃ」
ウエルは、軽く息を吐いて笑った。
「頼みましたよ」
扉が閉じる。
鍵が、静かにかかる。
その音を聞いた瞬間、塔は再び――
トールが管理する場所になった。
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午前中。
トールは、いつも通りの管理作業をこなしていく。
結界核の点検。
蔵書階層の湿度調整。
魔力導線の簡易清掃。
どれも、特別な作業ではない。だが、怠れば確実に問題につながる。
「……異常なし」
帳面を閉じ、小さく息を吐く。留守番は、もう特別な仕事ではない。
だが、油断する理由にもならない。
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「……本当に、何もないな」
トールの呟きに、クロが棚の上で丸くなったまま答える。
「何もない日は、成功している日だにゃ」
「……そう言われると、納得できる」
「問題が起きてから慌てるのは、三流だにゃ」
「それは、オレが三流ということか」
「事実を言うのが、式獣の仕事だにゃ」
トールは、思わず苦笑した。
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昼前。
炊事場に立つ。
包丁を握る手には、もう迷いがない。
野菜を刻み、鍋に入れ、火を調整する。
「……この切り方、言われたな」
思い出すのは、静かな声。
――揃ってると、一緒に火が通る。
「……本当に、その通りだ」
出来上がった昼食は、質素だが、ちゃんとしている。
保存食だけに頼っていた頃とは、明らかに違っていた。
「……うまい」
誰に聞かせるでもない言葉。
クロが、床から覗き込む。
「継続しているのが、えらいにゃ」
「……生活は、油断するとすぐ戻るからな」
「戻らなかったのは、成長だにゃ」
トールは、小さく笑った。
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塔は、静かだった。
問題は起きていない。
異音も、異変もない。
だが、それは――
何も起きないように、管理されている結果だ。
午後も、同じように過ぎていくはずだった。
トールは、その時点では、そう信じていた。
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塔は、今日も試してくる。
それがいつなのか。
どんな形なのか。
それは、まだ分からない。
だが――
応えられる準備は、すでに整っていた。




