参考文献一覧+論文 "超かんたん" 解説コーナ〜っ♡ 4
(続)
もちろん、答えはシンプルです。
メス同士お互いに助け合わなければ、出産も子育てもやってられないからです。
事実、出産や子育ては到底ワンオペでこなせるような仕事ではありません。現代社会のように母親ひとりで子どもを育てる核家族を前提とした環境のほうが特殊で、大家族が前提の原始社会では「出産や子育て=周りと協力しておこなう大仕事」でした。
となれば、日々のおしゃべりを通じて「誰が味方で誰が協力的か?」を見極め、より助け合いに適したメンバーと仲良くするほうが生存合理的でしょう。日ごろから仲間と密にコミュニケーションを取っておけば、なにかあったとき周りの人たちに助けてもらえますからね。
ひるがえって、現代では機械が肩代わりしてくれる場面も多いですが、昔は料理も洗濯も掃除も編み物も全て主に女性がおこなう仕事でした。みんなで一緒に近くの川に行って洗濯物を洗ったり、みんなで一緒にお料理を作ることもあったでしょう。
家事にしろ何にしろ、機械がないなら人にやってもらうしかありません。多くの女性は川での洗濯や家の掃除をしながら、ほかの女性たちとおしゃべりに興じたでしょう。この井戸端会議がコミュニティ内の結びつき——ほかのメスたちとの絆を強めました。
じっさい、現代の女性たちはママ友どうしでお互いに協力し合い、育児や出産にまつわる問題のアレコレに対処していますよね。もちろん、ママ友の中には気に入らないメンバーもいる/いたかもしれません。馬が合わない人はどこにでもいますから。
しかし、①出産にまつわる情報を共有したり②わが子を他のママさんに一時的に預けたりなど、よりスムーズに出産と育児を行うためにはママ友会に属していないと得られないメリットが数多くあります。
これを思えば、内心キライな人とでも表面上うまくやっていくメリットは一定程度あったはずです。じっさい、職場のお局さん的な女性に対して「ほんとはあの人のこと好きじゃないんだけど、かといって下手な態度とって波風たてるのも……」と感じたことのある人も少なくないでしょう。
こうした打算は女社会において合理的でもあります。「あの人から嫌われるデメリット」と「自分の気持ちをぶつけるメリット」を天秤にかけ、そう少なくない女性が他人との協調のために後者を選ぶはずです。
以上のことから、女性によくありがちな「表では仲良しこよししているように見えて、裏では実は誰々さんと誰々さんの仲が悪い」みたいな状況が発生します(※偏見)。これは女性コミュニティでは割とよくある話でしょう(※偏見2回目)。
メスの生物学的な目的は横並びの関係性をしっかりと築いたうえで、ほかのメスに出産や育児などの大仕事を手伝ってもらうことにあります。したがって、相手のことが多少気に入らなくても、人手が多いに越したことはありません。
逆に言うと、表立って悪口を言うようなメスはコミュニティからハブられる危険があるため、ほとんどの女性たちは自分の嫌いな相手がいないときに陰口・愚痴大会を開催♡します。あらあらぁ、女性は怖いですねぇ〜(ほんとに!)。
本来、女社会とはそういうものです。同性同士の助け合いがなければ、出産や育児のハードルはぐんと上がるでしょう。もちろん、お洗濯やお料理などの家事もより大変になるはずです。
ほとんどの女性は半ば無意識に他者と協調します。女性同士お互いに助け合わなければ出産も育児も到底やってられないほどに、ホモ・サピエンスのメスに課せられた生物学的な使命は大変な大仕事でした。
平均的に、男性よりも女性のほうが他者との関係性に敏感なのは、そうでなければ①自分が生き残ることも②我が子を産み育てることも難しかったからでしょう。核家族化が進んだ現代と違って、昔は大家族が当たり前の社会でしたから、他者と良好な関係を築くことが今以上に大切だったはずです。
たとえば、女性は会話時に『関係性の維持』に重きを置く傾向にあります。
結果として、ホモ・サピエンスのメスは仲間との関係を良好に保つために他のメンバーと世間話をし、長い進化の歴史を経てこのコミュニケーション・スタイルに快感を覚えるよう——脳の報酬系領域を活性化させるよう進化しました。
たとえ目的がなかろうが中身がなかろうが、女性にとっては「会話すること」自体に意味があるので関係ありません。
言ってみれば、女性同士のおしゃべりは関係性を良好に保つためのメンテナンスのようなもの。これは猫どうしがお互いに毛づくろい(グルーミング)をするのと同じですね。世の女性たちは日々のおしゃべりを通じて相手との絆を確かめ合っています。
その証拠に、じっと黙っているときに女性から「ねぇ、怒ってる?」と聞かれた経験のある男性は少なくないかもしれません。とりわけ、不安になりやすい女性は「なんで黙っちゃうの? 私あなたに何か怒らせるようなことしちゃった?」と思いやすいようです。
私も含め、こうした男女のすれ違いを過去に経験した人は少なくないと思います。多少の個人差はあれど、女性は無言の時間をコミュニケーション上の黄信号と捉える場合が少なくありません。
これは「気まずい沈黙=関係性にヒビが入りそうかも?」と解釈した女性ならではの視点です。ひるがえって、男性側からすると「え、いや別に。とくに話すことないから普通に黙ってただけだけど……」といった感じかもしれません。
平均的に、男性よりも他者との関係性に重きを置く女性側からすると、無言の沈黙は「私、なにか怒らせるようなこと言ったかなぁ。ひょっとして、私この人から嫌われちゃった……?」と不安になる瞬間/時間でしょう。多分ね、たぶん。
この『他者との関係性の維持』という点において、ホモ・サピエンスのメスにとっては「沈黙=黄色信号」と解釈できます。なにも話さない無言の時間に一種の気まずさを覚えるのは、他者との関係性を重視する女性ならではかもしれませんね。
逆に言うと、女性側が「この人との沈黙はイヤじゃないの♡」と思えるような相手は、よほど相手側に心を許している/安心できている証拠だと考えることもできます。もちろん、これもひとによりますけども。
男性と女性とでは『おしゃべり』の目的も意味もまるで違ってきます。女性どうしのお喋りはこれといった目的もなくアチコチを歩き回る旅のようなものですが、男性の目にはガールズトークが「オチのない話を延々としている」ように見えるそうです。
しかし、これは女性にとって心外でしょう。「生産性のないおしゃべり」なーんて言われる筋合いはありません。
なぜなら、ホモ・サピエンスのメスは「旅の目的地はどこか?」ではなく、旅そのもの(=会話そのもの)をみんなと一緒に楽しんでいるのですから。まったくぅ、たいへん失礼なお話でございますわよねぇ〜っ?(怒)
さておき、多くの女性はコミュニケーションにおいて『疎外』を嫌がります。
グループ内で除け者にされることが自身の生存率ダウンにつながるのだとしたら、女性がグループのメンバーから無視されることを恐れる/イヤがるのも納得です。これは結果として共感的なコミュニケーションの土台となり、議論よりも融和に重点を置いた会話につながると思われます。
逆に言うと、みんなとのおしゃべりや井戸端会議に参加したがらない個体は、女社会において意思疎通が図れないため煙たがられる傾向にあるようです。
たとえば、あまり他人と話すのが得意でない内向的なメスは、周りの女性たちから「あの子ってなに考えてるか分かんないよね。ぜんぜん喋んないし」と思われやすいでしょう。これは協調性が低い個体についても同じです。
メス同士の井戸端会議などに日頃あまり積極的でないと、おそらく他のメスたちは↓以下のように感じるでしょう。
「もし万が一なにかあったとき、あの人とは助け合えなさそう。だって、あの人ちっとも私と喋ってくれないんだもん」
「いっつも黙ってばっかでロクに意思疎通できないんじゃ、あの人にウチの子の面倒見てもらうのちょっと心配かも……」
無口で内気な性格の人はもちろん、協調性のなさもまた女社会においては致命的です。
参考までに、ほかの人の手を借りて共同で育児をおこなうこと——アロマザリングに関する研究を見てみましょう。母親以外の人が子守りに参加することは、昔からよく行われてきた子育て支援です。
たとえば、現代では核家族化によって母親への負担が大きくなっていますが、原始社会では祖母を始めとして他の人たちの手を借りて育児をするのが当たり前でした。
じっさいに、狩猟採集民や小規模社会を調査したデータでは、母親による直接的な育児は全体の50%程度に過ぎず、残り半分はアロマザリング——ほかの人の手を借りて育児を代行してもらっていたそうです。
かんたんに言うと、昔は「子どもはみんなで育てるもの」だったんですね。これは核家族化が進んだ現代ではあまり見られない傾向でしょう。
ひるがえって、アロマザリングをしない——自分と血縁関係にない子どもや赤ちゃんの面倒を見なかった少女は、大人から叱られたり周りから仲間はずれにされたりといった『サンクション(制裁)』を受けました。
たとえば、現代でも上の子が下の子の面倒を見ることがありますが、兄弟姉妹の面倒見が悪い子は親から「なんでちゃんと弟(妹)の面倒見ないのっ、あなたお兄ちゃん(お姉ちゃん)でしょ?!」と叱られますよね。これはどの時代どの社会においても見られる普遍的な傾向です。
あえて一般論で言うと、妹や弟の面倒を見るのは上の子——お姉ちゃんやお兄ちゃんの仕事です。この大切な仕事をサボってたら、当然ご両親に怒られるでしょう。
ただし、小さい子の面倒の見方は男女で多少なり違っていた可能性があります。さて、これは一体どういうことでしょうか?
一般的に、女性は男性より平均的に言語スキル(=言語性IQ)が高いですから、おしゃべりやごっこ遊びなどを通じて他の子の面倒を見ていたかもしれません。
ひるがえって、男子は女子のようにとりとめのない会話で親睦を深めるのではなく、ボール遊びや鬼ごっこなど競争心や狩猟本能を掻き立てる遊びを通じて下の子と仲良くしたでしょう。
いずれにせよ、こうしたステレオタイプは私たちの社会にいまだ根強く残っています。
じっさいには、男性も女性と同じくらいおしゃべりするにも関わらず、社会の決めつけや私たちの思い込みが「女の人はよく喋る」という偏見を助長する場合があるようです。しかし、これは事実と大きく異なります。
おしゃべりな男性もいるでしょう。あまり喋らない女性もいるでしょう。
人間の性格や心理傾向は濃淡あるグラデーションですから、おしゃべり好きの男性もいれば無口な女性もいるはずです。女性だけがカフェで何時間もペチャクチャ喋るわけではありませんし、男性だけがビジネス会議で何時間もかけて話し合うわけではありません。
男だから、女だから——。
個々のコミュニケーションスタイルは、男女差より個人差のほうが大きいです。
じっさいに、私の友だちには1日ずっと誰とも話さない女性もいますし、なにかにつけて友だちとおしゃべりしたがる男性もいます。これらは性差ではなく個人差と捉えるほうが正確でしょう。
たとえば、作中でスィラとルイゼナは「おしゃべり好きの女性」として描かれていましたね。しかし、これは創作上こちらの都合によって脚色されている側面があります。「こう描いたほうが女性っぽく見えるかも?」という創作者(=私)の狙いがあってのことです。ズルいですね〜、悪どいですね〜。
ひるがえって、ラーニャもおしゃべり好きな女性の1人として描かれていますが、じっさいには彼女たちほど話し好きではない女性も世の中には数多くいらっしゃるでしょう。
したがって、この「女性=おしゃべり好き」という等式は、必ずしも現実/事実を反映した内容とは限りません。ここには往々にして誤解や誇張があるでしょう。社会のステレオタイプ——人々の思い込みや決め付けが、男女の誤解を深めている点も多々あるはずです。
私が思うに、世間一般の男女観は実際以上に誤解/誇張されている気がします。
女性が科学やサッカーの話で盛り上がったっていいじゃないですか、男性がお花やスイーツの話で盛り上がったっていいじゃないですか。
私はスキンケアの話で盛り上がる男性たちを「ステキだなぁ〜」と思いますし、アウトドアの話で盛り上がる女性たちのことも「あらステキっ♡」と思います。
女性が筋トレの話をしようが男性がコスメの話をしようが、べつに性別に関わらず好きな話で盛り上がったらいいんじゃないでしょうか。先入観に囚われて必要以上に萎縮する必要はないと思います。
世間にはびこる男女の思い込みに囚われ過ぎないよう、相手のことをありのままに見る目を養っておきたいですね。はぁい、私も気を付けまぁ〜すっ♡
たった500円のチップ(寄付)で幸福度が爆上がり?!
Spending money on others promotes happiness. 2008. Elizabeth W Dunn, Lara B Aknin, et al.
Money Buys Happiness When Spending Fits Our Personality. 2016. Sandra C Matz, Joe J Gladstone, et al.
Happy to help? A systematic review and meta-analysis of the effects of performing acts of kindness on the well-being of the actor. 2018. Oliver Scott Curry, Lee A. Rowland, et al.
Rewards of kindness? A meta-analysis of the link between prosociality and well-being. 2020. Bryant P H Hui, Jacky C K Ng, et al.
Sonne, J. W. H., & Gash, D. M. (2018). Psychopathy to altruism: Neurobiology of the selfish–selfless spectrum. Frontiers in Psychology, 9, Article 575.
Altruistic behavior: mapping responses in the brain. Megan M Filkowskiet al. Neurosci Neuroecon. 2016.
A comparative fMRI meta-analysis of altruistic and strategic decisions to give. Jo Cutleret al. Neuroimage. 2019.
Juan Xi, et al. Altruism and Existential Well-Being. February 2016.
Altruistic behaviors relieve physical pain. Yilu Wanget al. Proc Natl Acad Sci U S A. 2020.
Altruism, helping, and volunteering: pathways to well-being in late life. Eva Kahanaet al. J Aging Health. 2013 Feb.
Sabine Sonnentag, et al. (2012) Doing Good at Work Feels Good at Home, but Not Right Away: When and Why Perceived Prosocial Impact Predicts Positive Affect
Grant, A. M., & Sonnentag, S. (2010). Doing good buffers against feeling bad: Prosocial impact compensates for negative task and self-evaluations. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 111(1), 13–22.
たった500円で幸せを "買える" としたら、あなたは他人さまにお金を施してあげますか?
じつは、幸せを "買う" のに大したお金は要りません。4ドルもあれば充分です。3ユーロあれば充分なリターンが見込めます。じっさい、たったこれだけの金額で幸福が手に入るのですから、寄付は私たちにとってお手軽な幸せ爆上げメソッドだと言えます。
というのも、寄付と幸福度との関連を調べたデータによると、幸せを感じるのに必要な金額は500円くらいだったそうです。いい気分になるために100万も200万も寄付をする必要はなく、たった1コインあれば幸せを感じるのに充分なんですってよ奥さん。あらまぁ、そうなのお〜?(お安いのねっ♡)
たとえば、作中でミリアは初任給を「他人のため」に使っていましたね。
いつもお世話になっているラーニャへのプレゼントしかり、いつも街中を音楽で彩ってくれている演奏家へのチップしかり、ミリアは自分が働いて得たお金を他人のために使っていたでしょう。彼女の行動には幸せになるためのヒントが隠れています。
寄付の本質は他者への貢献です。
ボランティアの本質もまた他人の役に立つことにあります。
いいサービスへの対価としてチップに色を付けてお渡しするのも、ご本人の気の持ちようによっては立派な他者貢献になるはずです。
奉仕の精神が幸福度アップに効果的なのは偶然ではありません。
古今東西、尼さんやシスターさんなどは自分の欲望を満たすことよりも、神さまや他人さまにご奉仕して社会のために尽くすことを旨としてきました。
これは彼女たちが社会という大きな存在にサービスを提供している(=奉仕している)とも言えます。だからこそ、奉仕職や援助職の方々は平均して幸福度が高いのでしょう。
逆に言えば、どれだけ良質なサービスを受けていたとしても、相手への感謝の気持ちがない人は幸せを感じづらいはずです。「ありがとう」なくして幸せな人生を送ることはできません。
チップを寄付の一環として捉えるのは幸福合理的ですが、「こっちは金払ってんだから当然のサービスだ」と思ってしまうと、イヤな客になるばかりか本人の幸福度も上がらないというダブルパンチを食らいます。
あなたの周りにも1人くらい、こういう傲慢な人いませんか?
じつのところ、他者への貢献は幸福度をアップさせるのに最適な手段の1つです。「他人の役に立つこと」や「他人に奉仕すること」は、ほとんどお金をかけずに幸せになれる科学的な方法。この事実を科学的なデータが裏付けています。
要求ばかり多いわりに態度だけデカくて金払いの悪いお客さんは幸せを感じにくいですが、ありがとうの気持ちを込めて他人に気前よくお金を払う人のほうが幸福度が上がりやすく、その気前の良さゆえにサービス提供者からもありがたがられるという一石二鳥っぷりです。
誰かの役に立つと他人とのつながりを感じられます。他者貢献を通じて「自分は社会のために良いことをしたっ。私は他人に必要とされる人間なんだ!」と思えるため、寄付やボランティアをおこなう以前よりも人と人とのつながりが強く感じられるでしょう。
ただし、ここで大切なのは貢献 "感" です。「自分は他人の役に立てる人間なんだ!」という "感覚" が得られなければ、どんな寄付も人助けもボランティアも幸福度アップには影響しないでしょう。
この点をもう少し深掘りしてみたいと思います。どうぞお付き合いくださいませ。
たとえば、アドラー心理学では「貢献感=幸せになるために必要な唯一のこと」と説きます。したがって、どれだけ多額の寄付やボランティアに精を出していたとしても、本人が「私は他人の役に立ってる!」という実感が得られなければ意味がありません。
というのも、貢献 "感" こそが私たちの幸福度を高める唯一の方法だからです。
アドラーさんのこの洞察は現代科学によって裏付けられています。貢献 "感" こそ幸福の源泉だとするアドラーさんの考えは達見です。
じっさいに、寄付やボランティアといった「他人に貢献する行動」を通じて、私たちは人と人とのつながり/心の結びつきをより強く感じられます。
どうぞご心配なく。貢献 "感" を得るためにあなたが偉業を成し遂げる必要はありません。
もし偉大な成果を上げること(=より多くの人に貢献すること)だけが幸せに影響するなら、私たち一般人のほとんどはたいした幸福を感じられないまま人生の終わりを迎えるでしょう。しかし、偉人だけが突出して幸福度が高いわけではないことは明らかです。
幸せを "買う" のに大したお金は要りません。1コインで充分です。
貢献 "感" を得るのに莫大な資産を築く必要はありません。紙幣1枚あれば充分お釣りが返ってきます。
ミリアやラーニャたちの行動を見てください。幸せな毎日を送るために、彼女たちは世界を救うような大偉業を成し遂げているでしょうか?
きっと、そうではないはずです。彼女たちは自分の身の回りにいる人に貢献するささやかな行動を通じて、たしかな幸せを感じている——貢献 "感" を得ているのだと推測できます。
とりわけ、もともと他人に奉仕するのが好きな性格の人であれば、自分の協調性の高さに合ったお金の使い方——寄付やチップなどが幸福度アップにつながるでしょう。
じっさいに、性格とお金の使い方との関連を調べたデータによれば、自分のパーソナリティーに適したお金の使い方がもっとも幸福度を高めました。
知的好奇心がゆたかな人は本を購入したり美術鑑賞をするといいでしょうし、社交的な人は他人さまにプレゼントを買ったりチップを渡すといいでしょう。とりわけ、寄付はたった500円で幸福度を上げてくれる素晴らしい方法です。
ひるがえって、ミリアたちが住む村ではお金がなめらかに社会をめぐり、どこか1つ所に経済の血液(=お金)が留まるようなことはあまりありません。あの村では血液(=お金)がとどこおることもなく、社会という大動脈をなめらかに流れているようです。
じっさいに、大通りで楽器を演奏するストリート・ミュージシャンが毎日のようにチップをもらい、お金を払うほうもまたミリアと同じように自分のコインを気前よく他人に渡していることが伺えました。
彼女たちの行動は私たちに何か大切なことを教えてくれている気がします。
施しはひとのためならず。他人のために何かするのは巡りめぐって自分のためになり、幸せというとびっきりのお返しをいただくことにつながる——。
たった500円。たったワンコインでいいんです。
このように考えると、たとえ小さな金額でも寄付か何かしてみようという気持ちになりませんか?




