【7章】白と黒が寄り添い合うように 2
「んじゃまたね、ミリア」ルイゼナが手を振った。「きっとラーニャも喜んでくれると思うよー、そのプレゼント」
「うん、ありが……えっ?」オレは戸惑った。
「おっやすみ〜」
ルイゼナはこちらの返事も待たず向こうへ歩いて行った。あの子が落としていった謎がオレを戸惑わせた。この袋の中身をルイゼナは知らないはずなのに。
去り際、彼女はイタズラ好きな子どものような顔を浮かべていた。
「……」
その場にひとり取り残されたオレは、廊下の向こうに消えていくルイゼナの背中を見送った。彼女の後ろ姿がいつもより大きく見えたのはどうしてだろう。
窓辺を月明かりが照らす中、オレはきびすを返してラーニャの部屋へと向かった。
どうやら、ルイゼナには見抜かれていたらしい。オレがあの子に何かプレゼントをしようと考えていることを。あの太陽のような子に気持ちばかりのお礼を手渡そうとしていることを。
ルイゼナは目ざとい。もしくは、たんにオレが分かりやすいだけ?
答えは分からなかった。ただ1つ確かなのは、あの子の部屋が近づくにつれて胸の高鳴りが増していることだけ。この心臓の鼓動がだんだんと強まっていることだけが確かだった。
いよいよ、オレはラーニャの部屋の前に着いた。
この扉の向こうにあの子がいる。このドア1枚へだてた向こうにはあの子がいる。押し寄せる緊張の波がオレを臆病にさせた。
勇気を振りしぼってドアを叩こうとする直前、扉をノックしようとする手が勝手に止まった。臆病風に吹かれた心がノックする手に待ったをかけた。オレは意味もなく服の裾を引っ張って居住まいを正した。ひとに会う前の身だしなみチェック。
ほ、ほら、だらしない格好で会うのって相手に失礼かもだし?(エチケット大切♡)
「ふぅ〜……」
オレはドアの前でふぅっと息をついた。憂いと緊張を帯びた吐息が夜の廊下に溶け出した。どうやら、この心は自分が思っている以上にこわばっているようだった。
やがて意を決して、オレはドアをノックした。
こんこんっ、と軽やかな音が辺りに鳴りひびいた。ひと気のない廊下に無機質な音が響きわたった。
ドアの向こうから人の気配がする。足が床をする音がだんだんと近付いてきた。この薄い壁1枚へだてた先にあの子がいる……そう思うだけで心がこわばった。
がちゃり、とドアがひらいた。オレの目の前にラーニャが姿を見せた。
「あれえ、ミリアぁ?」
お風呂あがりなのか、ラーニャはパジャマ姿だった。ふりふりフリル付きのドロワーズは彼女によく似合っていた。あらま、かわいらしい。
オレはぎこちなく片手を上げて彼女に挨拶をした。壊れかけのロボットにでもなったかのような気分だった。
「は、はぁい、ラーニャ……ごめんね、夜遅くに」
「んーん、全然だよぉ。どうかしたあ?」ラーニャがたずねてきた。
「や、その……ラーニャ今なにしてるかなって。いま忙しい?」
「うぅん、だいじょーぶ。ちょうど今お空みてたとこだったんだあ」
「お空……」オレはぼそっと呟いた。
「そーそー。ほら、今日お月さまキレイでしょお?」ラーニャが部屋の奥に目を向けた。「さっきも『今日の夜空きれいだな〜』ってお外ながめてたの。お星さまもいつもよりキラキラして見えるしさ〜」
「そ、そっか……」
オレはたまらず俯いた。彼女に伝えたいことがあるのに、この心はどこまでも臆病だった。臆病風に吹かれた心はどこまでも頼りなかった。
一瞬だけ目をぎゅっとつむったあと、オレは顔を上げて自分の正面にいるラーニャを見た。
「あ、あのっ」
しぜんと、オレの視線はラーニャの首もとに引き寄せられた。いまは何のアクセも身に着けていない彼女の首もとから、あの首飾りがぶら下がっている姿を頭の中で思い描いた。
想像力がオレに少しだけ勇気をくれた。いま言わなきゃ、いま誘わなきゃ——。
「よかったら、また屋上いかない……?」
「え、今からぁ?」ラーニャはきょとんとした。
「う、うん。あ、でも、もし都合わるかったら全然……」
結局、オレはまた臆病風に吹かれた。頼りない言葉たちが夜の廊下に溶け出した。あいにくと、この心は相変わらずのチキンっぷりだった。
オレは居心地のわるさに耐えかねて目を逸らした。
いま目を背けたのは、ほんとうに気まずさのせいだっただろうか。ほんとうに目を背けたかったのは自分自身の——。
「えー、行きたい行きたーいっ」ラーニャが言った。「さっきねぇ、あたしもちょうど『ミリア誘ってお空みに行こっかな?』って思ってたのっ」
「そ、そっか。よかったぁ……」
ラーニャの声は夜に似つかわしくないほどの明るさだった。どうやら、この子もまたオレと似たようなことを考えていたらしい。偶然の一致がこのチキンな心をぽんっと弾ませた。
ラーニャの視線がオレの手元を向いた。彼女の眼差しは言葉よりもずっとおしゃべりだった。
「ね、それなぁに?」ラーニャが袋を指差した。
「え、あ……これは、そのぉ……」オレはたじろいだ。
「おしゃれな紙袋だねぇ。ルイゼナが好きそお〜」
「こ、これは後で教えるから。とりあえず、屋上いこっか……?」
「おっけー。んじゃあ、ちょっと待っててねぇ?」
「うん。あ、急がなくて大丈夫だからね?」
「はぁ〜い」
ラーニャはてってけて〜とお部屋の奥に引っ込んだ。心なしか、彼女は少しスキップしているようにも見えた。たぶん気のせい。多分ね、たぶん。
ひとり取り残されたオレは彼女の身支度を待った。
「んふんふふ〜ん♪」
部屋の奥からごきげんなハミングが聞こえてきた。どうやら、あの子は夜も変わらずごきげんらしい。こちらまで楽しい気持ちにさせる明るい歌声だった。
オレはどきどきと胸打つ鼓動に意識を向けた。
正直、先ほどラーニャがルイゼナの名前を口にしたとき少しドキッとした。まるで、先ほどの廊下でのやり取りを見ていたかのような口ぶりだったから。
あの目ざといルイゼナお姉さんと同じように、ラーニャもまた人の心を見透かす術を持ち合わせている——のかもしれない。真実はきっとあの歌声だけが知っている。そう思った。
ラーニャの準備をドアの近くで待っている途中、オレは夜の静かな空気まとう廊下に目を向けた。
ひと気のない小回廊は人の声と無縁だった。先ほど通りぎわに聞こえた話し声も今はなく、せいぜいラーニャのハミングが聞こえる程度。あのごきげんな歌声だけが夜の静けさを音で彩っていた。
しばらく待っていると、ラーニャが部屋の奥からスキップぎみにやって来た。
「お待たせっ。んじゃ、行こっかあ?」
「うんっ」オレはうなずいた。
オレはラーニャと一緒に彼女の部屋を後にした。彼女と隣り合って廊下を歩いている途中、先ほどの誘いを断られなくて良かったと心底ほっとした。
屋上へと向かう道すがら、たまたま通りかかった扉の向こうから話し声が聞こえた。
ほかの寮生たちの声がドア越しに漏れ聞こえてきた。薄暗い夜を忘れさせる明るい笑い声は、ひと気のない廊下を彩るBGMだった。
どうやら、彼女たちは今まさに夜のおしゃべり会の真っ最中らしい。
「来てくれてありがと、ラーニャ。眠かったりしない?」
「んーん、だいじょぶっ。ミリアは?」ラーニャがたずね返してきた。
「わたしも大丈夫。眠気よりドキドキのほうが強いくらいかも」
「ねー、あたしもぉ。さっきお月さまほんとキレイだったんだよお」
「わたしも見たよ、自分の部屋から」オレは言った。「今夜は上弦の月だったね。お月さまが半分たべられちゃってた」
「あはは、そーだねぇ。うさぎさんがお腹すかせてたのかなあ?」
「かもね。うさぎってお野菜だいすきらしいし」
「ねー、リリピダンと間違えて食べちゃったのかなぁ」ラーニャが言った。「ちゃあんと躾けてあげなきゃだねえ。『お月さまはお野菜じゃないんだよお?』って」
「食いしん坊なウサギさんだね」
「ほら、うさぎって繁殖力すごいらしーから。いっぱい食べて赤ちゃん産まなきゃなんじゃなあい?」
「お月さまが大変だね。うさぎにバクバク食べられちゃって」
「んだねぇ、この調子じゃあ新月もすぐかもね〜?」
ひと気のない廊下を歩きながら、オレとラーニャは取り止めのないおしゃべりをした。次うさぎさん見っけたときは現行犯逮捕しなきゃだね。月に代わっておしおきよ!
ムーンプリズムパワーでメイクアップする中、ルールに厳しい寮母さんの顔がオレの脳裏をよぎった。
オレとラーニャ今ふつーに屋上いこうとしてるけど、ほんとは夜に勝手に向こう行っちゃダメなんだよね。「落っこちたら危ないから」って理由で屋上禁止令が出されてるらしい。ふぅん、そうなのぉ〜?
ごめんなさい、寮母さん。どうか今夜だけは許しておくんなまし。
この不肖わてくしめ、いつもは大変いい子でございますのよ。寮のルールを破って勝手に屋上に行くような人ではありませんの。あの月明かりに魅了された以前の夜と今夜だけが特別でございますの。ほ、ほんとうですのよっ?(汗)
オレは心のなかで寮母さんに言い訳をしながら、ラーニャと一緒に屋上へと続く階段をのぼった。わるい子。
階段をのぼりきって屋上に出ると、夜空に浮かぶ月と星がオレたちを出迎えてくれた。満天の星空は部屋の窓から見上げるよりもうんとキレイだった。まるで、夜の海に光の川が流れているかのよう。
「わぁ、やっぱりキレイだねえ〜」
ラーニャもまた夜空を見上げていた。彼女の目が星の輝きを映し出していることが嬉しかった。
「うん、ほんとに。吸い込まれちゃいそうな夜空だね」
「ねー、ほんとぉ。今夜はとびきりキレイだよお」ラーニャはうっとりしていた。「あたし、前ここ来たときの夜空も好きだったなあ。やっぱさ、ひとりで見るのと誰かと一緒に見るのって違うもんね?」
「わかる。ひとりで見てもキレイだけど……その、ひとと一緒に見るとなんか違うよね」
「そおそお〜。なんか、こう……ぜんぜん違うもんね。『もわぁ〜』って!」
「そ、そだね。ふ、ふふっ……」オレは笑いをこらえきれなかった。
「え、なになにぃ。なんで笑うのお?」
「や、ラーニャっぽい言い方だなって。感覚派だよね、ラーニャ」
「なぁにそれぇ。ひとのことバカにしちゃノンノンだよお〜?」
「してないよ。ラーニャらしくていいと思う、わたしはね」
「ほんとかなあ〜?」
ラーニャは疑わしそうに眉尻を下げた。彼女は疑わしげな眼差しをこちらを向けていた。
こうした戯れすらいとおしい。ふたりぶんの笑い声は夜空を彩るスパイスだった。あの夜の海に浮かぶ星たちまで笑っているような気がした。




