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【7章】白と黒が寄り添い合うように 1


 夜。

 月が雲の後ろから顔をのぞかせている。

 窓の向こうでは、夜の海を泳ぐ星たちがきらきらと瞬いていた。どうやら、今夜は魚たちの泳ぐ姿がよく見えるらしい。

 オレは部屋の窓辺から外の景色を眺めていた。先ほど晩ごはんを食べてお腹が満たされているせいか、こうして夜空を見上げているだけでも心が満たされる。満腹感は星空観察のスパイスだった。

「……」

 あの広い大海原を光の魚たちが気持ちよさそうに泳いでいる。ぴかぴかっとひときわ強い光を放つ一番星は、ほかの星たちと比べて目立ちたがり屋だった。

 こちらの世界は人工光が少ないせいか、夜の海で星たちがまたたく姿がハッキリと見える。

 あの大きな大きな夜のキャンバスには、数えきれないほどの魚が描かれていた。星たちがひしめき合う姿は向こうの世界ではなかなか見られない。この星空は文明の光がないからこそ見える景色だった。

 ひと気のない部屋の中を淡い光が照らしている。

 光の石が発するぼんやりとした光が辺りを照らしていた。たぶん、目算で10〜20lxくらいの光の強さだと思う。多分ね、たぶん。

 こっちの世界は夜がとても夜らしい。

 オレが元いた世界みたくコンビニもないし、日光と見間違えそうな明るさの街灯もない。

 24時間営業のお店がなければ全体の光量も少ない。星たちをおびやかす強い光がなければ、あの魚たちも心ゆくまで溟海を泳げる。あの人工的な光は星の魚たちを食らう捕食者だった。

 光の強さと睡眠の質との関連を調べたデータによれば、夜は10〜30lxくらいの薄暗い灯りのもとで過ごすようにすると、①眠りの深さや②寝付きの良さなど全体的な睡眠の質が改善する傾向にあるらしい。

 逆に言うと、夜間にぴかぴかと明るい光のもとで生活していると、おのずと睡眠の質が悪くなるせいで日中の勉強や仕事にも差し支えることに。

 じっさい、前日の夜ちゃんと薄暗い部屋で過ごしていた人は、翌日の作業パフォーマンスが平均して高くなる傾向にあった。とりわけ、この傾向は集中力(=注意力)のテストで顕著だった。

 ひとことで言うと、ひとは夜ちゃんと眠れてると頭がシャキッとする。

 睡眠の質の低下は脳に直接ダメージを与える厄介者で、ふだん眠りが浅い人は神経系の働きが悪くなりやすい。

 じっさい、寝不足の人ってIQのスコアが低くなっちゃうんだって。睡眠の質が悪いせいで脳が本領発揮できなくなるらしーよ。ふぅん、そうなのぉ〜?(好奇心ぐさぐさっ♡)

 かんたんに言うと、ひとは寝不足のせいで頭バカになっちゃう。

 どうやら、おバカさんになる早道は『睡眠不足』にあるらしい。睡眠中に脳内クリーニングが上手くできていないと、頭の中にゴミが溜まりやすくなってIQも低下する。これはどの年代の人たちにも見られる普遍的な傾向だった。

 認知機能(=IQ)は加齢と同じく寝不足からも大きな影響を受けるため、睡眠の質が悪いままだと知らずのうちに脳がどんどんと劣化する可能性も。

 夜の光は間接照明で充分。蛍光灯の光は明る過ぎる。

 脳に優しい生活は環境づくりから。部屋を薄暗くしたあとは、ゆっくりおやすみなさい。

 夜の光の量は国ごとの経済規模をあらわすってよく言うけど、光のせいでみんなの眠りがおびやかされてたら世話ないよね。「なんのために豊かになったのーっ?」みたいな。

 頭上の空では相変わらず魚たちが泳いでいる。

 部屋の中では相変わらず光の石が光っている。天然の間接照明は夜の闇を照らすのに充分なほどの明るさだった。

 オレはテーブルのうえに置いてある紙袋を見た。先ほど夕暮れ時に買ったプレゼントが今もなお、行き場を求めて木造りの机のうえで待っている。このペンダントはひとの手に渡ることを今も待ちわびているようだった。

 そろそろ行こっかな。

 ラーニャ、もう自分の部屋にいるかな。さっきは部屋に行く余裕もなかったからね。

 まったくもお、みんなイベントが好きなんだからぁ。お買いものイベント発生♡に心おどるのは分かるけど、ひとが買ってきたものあんま詮索しちゃノンノンだよ。オレにだって隠したいことの1つや2つあるんだからぁ。ぷんすこお。

 オレは心の中で悪態(?)をつきながら、テーブルのうえにある紙袋を手に取った。

 イスを引いてその場で立ち上がったあと、オレは袋を手に持ったまま後方にあるドアへと向かった。間接照明に照らされたドアレバーが鋭い金属光沢を放っていた。

 なるべく音を立てないよう静かに扉を閉めたあと、オレはひと気のなくなった夜の廊下を歩き出した。

 寮の廊下はもうすっかり夜の静けさが溶け出していた。日中の賑やかさがウソのように周囲は静まり返っていて、今では自分の呼吸音すらハッキリと聞こえるほどだった。

 廊下に等間隔で置かれた光の石が行き先を示している。

 窓から差し込む月明かりが行き先をほのめかしている。オレは2つの光源を道しるべにラーニャの部屋へと向かった。

 ドアの向こうから話し声が聞こえる。どうやら、ほかの寮生たちが部屋でおしゃべりしているらしい。ドア越しに漏れ聞こえる声はどれも弾んでいた。まるで、まあるいボールがぽんと弾むかのよう。

「あれ、ミリアー?」

 廊下の向こうから声が聞こえた。とうに聞き慣れたおだやかな声のトーンだった。

「あ、ルイゼナ……」

 向こうから歩いてきたのはルイゼナだった。彼女の横顔は廊下に置いてある光の石に照らされて、光が照らす方向とは反対側に墨色の影を作っていた。

 こちらの姿を認めたルイゼナがすたすたと歩み寄ってきた。

「やっほー、今どっか行くとこ?」

「う、うん。ちょっとラーニャに用があって……」オレは言った。

「え、こんな時間に?」ルイゼナはきょとんとした。

「その、さっきは声かけられなかったから……」オレはつい目を泳がせた。「ほら、わたし寮に来てからすぐ自分の部屋もどったから。あの子に声かけるタイミング失っちゃって……」

「あー、ね。さっきはごめんねー、みんなで取り囲んじゃってー」

「う、うぅん、大丈夫だよ。うん、大丈夫……」オレは首を横に振った。「その、わたしこそごめんね。さっき話の途中で急に飛び出しちゃって……」

「えー、全然だよー。その袋の中身、ほかの人に知られたくなかったんでしょ?」

 ルイゼナはオレが持っている紙袋を指差した。薄明るい月明かりが窓から差し込む中、彼女の人差し指はハッキリとオレの手元を指差していた。

「そ、そだね。知られたくないというかなんというか……ごにょごにょ」オレは言葉を濁した。

「あっはは、なぁにごにょごにょ言ってんのー?」ルイゼナが笑った。「べつに隠さなくってもいーじゃん。知られたくないことの1つや2つあってとーぜんでしょ?」

「え、あ……そう、だね。その、ルイゼナもそう思う……?」

「え、うん。私も他人に隠してることいっぱいあるけど?」

「そ、そっか。うん、そだよね……」

「前から思ってたけどさー、ミリアってあんまウソとか隠しごととかできない人ぉ?」

「え、うぅーん。どうだろ……」オレは頭を悩ませた。「なんか後ろめたいことしてる気分にはなっちゃう、かも……」

「正直者だね、ミリアは。隠しごとも別に悪いことじゃないと思うけど?」

「そ、そだね。そう頭では分かってても、なかなか……」

「もっと気楽でいいと思うよー、ミリアも。前の村ではどうだったか知らないけどさー」ルイゼナが言った。「私らに隠しごとしたところで、べつに私とかキリカとかがミリアのこと嫌うわけじゃないんだしさー。あ、ロミは『えー、気になる気になるーっ』とか言いそうだけど」

「ふ、ふふ。そだね、すっごい言いそう……ふ、ふふっ」

 ルイゼナによるロミのモノマネが思いのほか似ていた。ここにいないロミの姿を想像して、オレは思わず含み笑ってしまった。彼女の真似をしたルイゼナの口もとにも笑みが浮かんでいた。

 夜の静けさにふたりぶんの笑い声が溶け出した。

「まーまー、もっと肩のチカラ抜いていーんじゃない?」ルイゼナが言った。「ひとに遠慮しちゃうとこあるみたいだしさ、ミリアって。あ、これ私の印象ねー?」

「よ、よく見てるね。ルイゼナ……」

「やぁー、ミリア私の妹とちょっと似てるとこあるからさー。あの子も遠慮がちな性格なんだよねー」

「あ、ルイゼナ妹さんいるんだ……」

「あれ、言ってなかったけ?」ルイゼナはきょとんとした。

「そだね、はじめて聞いたかも」オレは言った。「その、ラーニャに妹がいるのは聞いたことあるけど……」

「んじゃあ、いま言ったからおっけーだね。そうそう、私むっつ下の妹いてさー?」

「姉妹いるのいいね。わたし、ずっとひとりっ子だったから……ちょっと羨ましいかも」

「えー、妹いても面倒なだけだよー?」ルイゼナは苦笑いをした。「うちの妹ちゃん、ラーニャんとこと違って内気だしさー。なに考えてるか分っかんないし」

「そ、そうなんだ。姉妹いるといるなりに悩みあるんだね……?」

「そーそー。私は逆にラーニャんとこがうらやましいかなー、仲良し姉妹でさ?」

「そっかぁ。姉妹って言っても色々だね……」

「ま、うちはケンカしないだけマシだと思うけどねー」ルイゼナが言った。「ほら、ひどいとこはもう毎日のようにケンカするって聞くじゃーん?」

「そう聞くね。その、わたしは兄弟姉妹いないから分かんないけど……」

「ねー、人間ないものねだりなのかもねー?」ルイゼナが言った。「姉妹がいたらいたで面倒くさいけど、いなかったらいなかったで寂しいし……ほら、家族ってちょっと複雑な関係じゃなーい?」

「そだね、ひとことでは言い表しづらい関係かも。親との関係もそうだけど……」

「ねー、ほんと。私も近いうち家に顔出さなきゃだなー」

 ルイゼナは自分の両肘に手を添える形で腕を組んだ。はぁ〜、と彼女の口から漏れた吐息に憂いが溶け出しているように感じた。

「ってかごめんねー、引き止めちゃって」ルイゼナが言った。「ミリア、これからラーニャんとこ行くんだもんね?」

「うぅん、大丈夫だよ。ルイゼナとお話できてよかった」

「あっはは、そっかそっかー。ミリア、こういうのは素直に言えんだね?」

「みたいだね。ほら、わたし正直者らしいし?」オレは言った。

「んふっ、たしかにね。これは筋金入りだわー」

 オレとルイゼナはお互いに顔を見合わせて笑い合った。ふたりぶんの笑い声が月明かり照らす夜の廊下に溶け出した。あの夜空は笑い声すらも飲み込んでいきそうなほど黒々としていた。

 窓辺が夜を溶かす中、月の光を浴びたルイゼナの姿は女神じみていた。


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