【6章】プレゼント大作戦大失敗っ?! 1
夕焼け。
お店を出る頃にはもう日が暮れ始めていた。
通りを行き交う人たちは、先ほどよりもずっと多い。どこからか聞こえてくる音楽が人混みに紛れて街を彩っていた。
オレは店先でパミーラさんに軽く頭を下げた。お買いもの中にお茶をごちそうになったうえ、おしゃべりのプレゼントまで頂いたわてくし。もう心の胃袋はすっかり満たされていた。
「ありがとうございました、パミーラさん。おかげで良いもの買えました」
「いーえー、こちらこそありがとねぇ」パミーラさんが微笑んだ。「プレゼントのお手伝いできてよかったわぁ。また今度うちに寄ってちょうだいね?」
「はい、ぜひ。今度はわたしもお菓子か何か持ってきます」
「やぁだもう、そんな気ぃつかわなくってもいいのにぃ」
パミーラさんは自分の胸の前で片手をくたっと倒した。ご年配の女性がよくやる仕草ナンバーワンのアレ(リサーチ協力:オレ)。
賑やかな街中に明るい笑い声が溶け出した。
「あ、そおだ。先日いいお紅茶いただいてねぇ」パミーラさんが言った。「ちょっと待ってなさいね、いま持ってくるからあ〜」
「あ、いえ、そんなお気遣いなく……」
パミーラさんはオレが遠慮する前にお店の中へと消えていった。彼女を引き止めようとして中途半端に上がった手が不恰好だった。
ありゃ、行っちゃった。
パミーラさん、こっちが遠慮する前にお店の奥に引っ込んじゃった。言葉よりも行動が先な女性の図。
ひとり取り残されたオレは手持ちぶさただった。先ほどパミーラさんに包装してもらったプレゼントは袋の中に、たった今お紅茶のプレゼントを取りに行った彼女はお店の中に。
やむを得ず、オレは店先でパミーラさんの帰りを待った。
街中にはもうすっかり夕暮れが溶け出している。世界を赤く染める夕焼けが西の空に浮かび、音楽と話し声で賑わう大通りを彩っていた。
あの茜と似た色が今この袋の中にある。そう思うだけで心がうきうきした。うきうきっ♡
オレは大通りを行き交う人たちに目を向けた。どの人も小さな疲労感と大きな解放感を湛えた顔をしている。どうやら、仕事終わり特有の心が軽くなったような感覚はどこの世界でも一緒らしい。
道ゆく人たちの話し声に楽器の音色が混ざっていた。
どこからか聞こえてくる演奏が街の喧騒に溶け込んでいる。音と声との境界があいまいになって、茜に染まる街を高低さまざまな音色で彩っていた。どれも楽しげな音ばかりだった。
「……」
パミーラさんの帰りを待つ間、オレは街の景色を眺めていた。あの夕暮れが東に伸びる影を作っている。あの夕焼けが東の青を侵そうとしていた。
青と茜のはざまには乳白色があった。
この時間にだけあらわれるミルキーホワイト。牛乳のように柔らかな白が青と赤に挟まれていた。
頭上にある空は今日もキレイだった。黄昏れ始めた空には色んな色が混ざっていて、あのキャンバス上でグラデーションを描いていた。青と赤があいまいに混ざり合うさまが目に心地いい。
「ごめんなさいねぇ、お待たせしちゃって〜」
ようやくパミーラさんが戻ってきた。彼女は袋を1つ手にたずさえていた。
「はい、これ。お友だちと一緒に飲んでちょうだい」
オレはパミーラさんから袋を受け取った。紙袋の中にはたくさんのティーパックがぎっしり詰め込まれていた。
「わぁ、ありがとうございます。こんなに沢山いただいていいんですか?」
「いいのよぉ、もらいものなんだから」パミーラさんが行った。「ほら、いいものはみぃんなで分け合わないと。でしょ?」
「ありがとうございます、ほんとうに。寮のみんなで一緒に飲ませてもらいますね?」
「そうしてちょうだい。このお紅茶ねぇ、なんでも疲労回復にいいんですって」パミーラさんが袋の中を指差した。「こっちの緑のお茶は血液をサラっサラにしてくれてね、こっちの赤のお茶はリラックス効果があるんですって」
「あ、それぞれ効用が違うんですね。緑は血行促進で、赤はリラックス……」
「そうそう。ほら、お紅茶って身体にいいって言うでしょ?」
「えぇ、よく聞きますね。新陳代謝がよくなるとか……」
「だからね、向かいの奥さんも最近ちょっとハマってるみたいで。旦那さんにも無理やり飲ませてるんですって」
「あはは。旦那さんにも健康でいてもらいたいですもんね?」
「そりゃそうよお。ほらぁ、万が一にでも健康そこねちゃったら事じゃなあい?」パミーラさんが言った。「私が口やかましく言ってるからか、うちの人も最近ようやく健康に気をつかい始めたの。前まではもう、ほんっとに不摂生な生活だったんだから」
「男の人には多いかもですね。身体こわして初めて、健康のありがたみを知るみたいな……」
「そおなのよぉ。ほんっと、こっちの身にもなって欲しいくらい。毎日の献立だって健康のことちゃあんと考えて立ててるんだから。ほら、こないだだってねぇ——」
またまたパミーラさんのおしゃべりタイムが始まった。どうやら、このおしゃべり超特急は夕暮れ時でも変わらず通常運行らしい。おしゃべり列車出発しんこーうっ。
パミーラさん、きっと旦那さんのこと大好きなんだろーね。
愚痴の皮をかぶったのろけは聞いててほっこりする。パミーラさんの愛情と優しさと気遣いがぼやきにあらわれてる気がするね。
パミーラさんは手をひらひらと遊ばせながらおしゃべりを続けた。どうやら、いちど走り出した列車はなかなか止まれないらしい。彼女の楽しそうな話し声が周りの音楽に溶け込んだ。
「ほんと何かあってからじゃ遅いから、ミリアちゃんも気を付けなさいねぇ。あなたはしっかりしてるから大丈夫だと思うけど」
「いえ、心に留めておきます。身体にいいお紅茶もいただいたことですし」
「ねえ、うんっと飲んでちょうだい」パミーラさんが言った。「あっ、お腹すいてるときは気を付けてね。ほら、胃腸によくないらしいから」
「はい、気を付けます。タンニンが胃腸によくないみたいですね?」
「たんにん?」
「あ、っと……その、お紅茶の苦味が空きっ腹によくないって聞いたことあります」
「あらぁ、そうなのお?」パミーラさんが頬に手を添えた。「ミリアちゃん物知りねぇ、私そういうのうとくって」
「や、わたしも人から聞いただけなので。ごはん食べたあととかに飲ませてもらいますね?」
「えぇ、ぜひ。うちの娘もミリアちゃんくらい素直だったらねえ、もっとアレコレおせっかいしちゃうんだけどねぇ」
「きっと娘さんも嬉しがってると思いますよ、じっさい口に出さないだけで」オレは言った。「その、自分の家族に面と向かって『ありがとう』って言うの少し恥ずかしいですし。ちょっとむず痒いっていうか……」
「あらぁ、そーお?」
「わ、わたしの主観ですけど。すなおになるのって意外と難しいかもですね……?」
今のは誰に対しての言葉だっただろう。今の自分の言葉は誰に向けたものだっただろう。脳裏をよぎるのは自分自身の過去の記憶ばかりだった。
パミーラさんは相変わらず優しい眼差しをしていた。
「まあねぇ、家族ってちょおっと近すぎる存在でしょうし」パミーラさんが言った。「とくに母親はそうかもねぇ。ほら、父親と違って娘のこと少し厳しい目で見ちゃうじゃあい?」
「そう、ですね。同性だけにアレコレ気を揉んじゃったりとか……」
「そおなのよぉ、ほんとに。ねえ、こっちはよかれと思ってやってるんだけど……」
「距離感むずかしいかもですね、とくにお母さんと娘となると。お父さんには見えないものまで見えちゃいそうですし……」
「まあまあ〜。ミリアちゃん、将来いいお母さんになりそうねえ」
「えっ。いえ、そんな……」オレは両手で謙遜を示した。
「まるで、近所のママさんと話してるみたい。また今度よかったら話に付き合ってちょうだいね?」
「はい、いつでも。あ、お紅茶とプレゼントありがとうございました。ラッピングまでしていただいて……」
「いいのよお、そんなこと。きっとあちらさんも喜んでくれると思うから、ね?」
「えぇ、そう願います」
オレとパミーラさんはお互いに顔を見合わせて笑い合った。ふたりぶんの笑顔が街中に流れる音楽に紛れ込んだ。どうやら、おしゃべり急行はようやく終着駅に着いたらしい。
パミーラさんに別れを告げたあと、オレは人で賑わう街を歩き出した。
寮へと向かう途中、道の端でヤカリさんが店番をしているのが見えた。オレは彼に向かって軽く頭を下げると、あちらもまた手を振って答えてくれた。パミーラさんの旦那さんは今もまだ露店業務に精を出していた。
今日はいい日だ。あの人柄のいいご夫婦の名前も知れた。
今日はいつもより素直になれそうな気がする。今日はいつもより自分の心に正直になれそうな気がする。そんな確信めいた予感があった。
着飾るよりも曝け出すほうが難しい。
心を着飾るのは結構かんたんにできるのに、本心をさらそうとするとブレーキがかかる。大切なときにこそアクセルを踏めないのはどうして?
街を行き交う人たちの顔がいつもより華やいで見えた。
あの仮面の裏にも他人に見せない顔が隠れているのかもしれない。あの仮面の裏にも他人には言えない言葉が隠れているのかもしれない。
ひとの心をのぞくには理屈をこねるだけでは不充分だった。
西の空に浮かぶ太陽がいつもより輝いて見えた。ひょっとしたら、あのお日さまも今日はごきげんなのかもしれない。
いつもより高く見える空を見上げたあと、オレは人のあいだを縫うようにして大通りを歩いた。寮へと向かう道すがら、楽器を演奏している人たちにチップを渡したい衝動に駆られた。
いまはガマン。さっきチップあげたばっかりだからガマン。
この調子であちこちにチップあげてたら、あっという間に初任給なくなっちゃうね。月末には施す側から施される側に早変わりする未来が見えるよ。だから今はガマン。
こらえて衝動、はたらけ理性。
ひょっこりと顔をのぞかせた欲求にブレーキをかけて、オレは前へ前へ進もうとする両足のアクセルを踏んだ。
この足がオレを目的地まで運んでくれる。この両足がオレを遠くまで連れていってくれる。モービル代わりの足はしぜんと寮へ向かう道をたどり、夕焼けに染まる田園風景を目の前に映し出してくれた。
頭上の空では赤みがかった白い雲が浮かんでいた。
あの夕焼けた空を泳ぐお魚さんたちは、今日も今日とて気持ちよさそうだった。そよぐ風が茜に染まった雲たちを泳がせた。
寮へと続く小道ではトンボが飛んでいた。トンボたちがあっちこっちに飛ぶ姿は、ヘリコプターのホバリングを思わせた。空飛ぶ飛行機がひと気のない田んぼ道に溶け込んでいる。
寮に着くまでの時間が待ち遠しい。
こうして田んぼを眺めながら歩く時間がいとおしい。こんなにゆっくり景色を見るなんて、あっちの世界じゃ到底できなかった。
あの子は喜んでくれるかな。あの子はこの贈り物を見て何を思うだろう。あの太陽みたいな子は今どこでどんな顔をしてるだろう。あの子の反応を頭の中で想像すると、この心は少しだけ臆病風に吹かれた。
ラーニャの反応の見るのがちょっぴり怖い。
もし喜んでもらえなかったらショックだから。もし思ってた反応と違ったらショックだから。この心はどこまでも弱虫だった。
小道では相変わらずトンボたちが気持ちよさそうに飛んでいる。有機的な飛行機が空飛ぶ姿は風情があって、なかなか言葉にしがたい趣きを感じさせた。あのトンボたちはどこに行くんだろう?




