【4章】ミリアのプレゼント大作戦〜っ♡ 2
「さて、さいごにミリア」
エルンさんがこちらを向いた。彼女に見据えられたオレは思わずぴんと背筋を伸ばした。
「は、はいっ」
「あなたは途中からうちに加入したので、今回のお給料は他の人より少なめです」エルンさんが言った。「ただ、あなたの働きぶりには私も助かってます。ほんとうに良いスタッフを雇えたと思ってますよ、ミリア」
「い、いえ、そんな……わたしこそ拾っていただいてありがとうございます。ほんとうに」
「そう謙遜なさらず。これからもよろしくお願いしますね?」
「は、はいっ、こちらこそ!」
オレはエルンさんから差し出された給料袋を受け取った。たしかに、袋の厚みは他の2人と比べると少しだけ薄いように見えた。
いま自分の手元には初めてのお給料がある。
この袋の中に自分で働いて得たお金が入っている。そう思うとなんだか不思議と胸が高鳴った。この不思議な高揚感はなんだろう?
「ミリア初給料だねぇ。なにに使うか決めてんのー?」サヒナさんがたずねてきた。
「え、あ……そう、ですね」オレは言った。「その、いちおう買いたいものが1つあって……」
「えー、なになにぃ。聞いてもいいやつう?」
「んっと、お世話になった人にプレゼントを……」
「え、うっそ。はじめての給料だよー?」サヒナさんは目を丸くした。「せっかくのお給料プレゼントのために使うとか、ミリアちょっと良い子の良い子ちゃん過ぎない?」
「いえ、そんなことは……」
サヒナさんは珍しいものを見るかのような目でこちらを見ていた。まんまるに丸くなった目が彼女の驚きをあらわしているように見えた。
や、良い子の良い子ちゃんて。おなじこと2回ゆってなあい?(言ってる)
「ミリアは律儀な子なんですよ、サヒナ。どこかの誰かさんと違って」エルンさんが皮肉を言った。
「すてきなお金の使い方だね、ミリアさんっ」リエシタくんが言った。「じゃあさじゃあさ、もう買いたいプレゼントとか決まってるの?」
「い、いちおう。前にアクセサリーショップで良さそうなの見かけたから……」オレは言った。
「アクセサリーかぁ、いいねぇそれもっ。きっと向こうも喜んでくれると思うよ」
「そう、だね。うん、そうだといいな……」
オレは頭の中であの子の姿を思い浮かべた。想像の中にいる彼女はいつも通りひまわりのような笑顔を浮かべていた。どうやら、あの子は想像の中でさえ笑っているらしい。
あの子が喜んでくれたらいい。
あの子が笑ってくれたらいい。このお金が笑顔との交換券になることを強く願った。
「アクセサリーが好きな方なんですか、ミリアがプレゼントを渡したいのは?」エルンさんがたずねてきた。
「いえ、どうでしょう。本人に直接たしかめたことはないですけど……」オレは言った。「その、前に一緒にアクセ見に行ったときに目ぇキラキラさせてたので。ラーニャにあげるプレゼントには良いかもーって思って……」
「ラーニャ?」エルンさんがきょとんとした。
「え、お世話になった人ってあの子?」サヒナさんもきょとんとした。
「は、はい……」
オレは3人からの注目を一斉に浴びた。リエシタくんもまた彼女たちと同じように目をまんまるにしていた。びっくり度合いが目の丸みにあらわれる少年の図。
「ほぅ……」エルンさんが息をもらした。
「ふぅーん、ほぉーん?」リエシタくんも吐息をついた。
「そっかそっかぁ、なぁるほどねぇ〜?」サヒナさんがニヤッとした。
エルンさんたちは3人そろって似たような顔を浮かべた。彼女たちの口元に浮かんだスマイルは、言葉以上の何かを伝えている気がした。
え、なに、やだ、こわい。
3人とも微笑ましいものを見るかのような目でこっち見てるんだけど。そんな子どものお使いを見守るみたいな目で、わてくしのこと見ないでおくんなましぃ〜っ?
「そうですか、あの子にプレゼントを……」
エルンさんは自分の肘に手を添える形で腕を組んだ。彼女の口もとには相変わらず笑みが浮かんでいた。スマイル継続中。
「まー、たしかにねぇ。わかる気はするけどさー」サヒナさんが言った。「前にちょびっと話きいたかぎりだと、ミリアこっちの村に来てからあの子にお世話になってるみたいだもんね?」
「そ、そうですね。ほんとうに……」オレは言った。「わたし、あの子にいちばん助けてもらってると思います。ほんとうにたくさん……」
「そっかぁ、恩人にアクセをプレゼントかー……」
とつぜん、リエシタくんが自分の口元を手で押さえた。心なしか、彼の声は少し震えているような気がした。
「あ、やばい、ぼく泣いちゃいそう……」
「えっ。な、なんで?」オレは戸惑った。
「や、ミリアさんが健気すぎて……」リエシタくんが言った。「なんかもう、ぼく涙でちゃいそうだよ。や、ほんとに」
「そ、そっか……」
オレは突然のことに戸惑って、たいした返事もできなかった。
かたや、リエシタくんは今もなお感動にひたっているようだった。彼のまぶたが少しだけ雫をしたためているように見えた。多分ね、たぶん。
正面に立つエルンさんがオレの手をきゅっと握った。しぜんと、オレは彼女を少し見上げるような格好になった。
「あなたは本当に律儀な人ですね、ミリア。いい贈り物になるよう願ってます」
「あ、ありがとうございます……」オレは言った。
エルンさんの表情もまた花やいでいた。彼女らしい凜とした笑顔だった。
「やぁー、初任給でパーっと飲み食いした私とは違うねぇ。よい子のミリアちゃんだねぇー」
「あなたもご家族にごちそうしたじゃないですか、サヒナ」エルンさんが言った。「はじめてのお給料、なにも自分だけのために使ったわけじゃないでしょう?」
「つっても、いちばん飲み食いしたの私だからねー」サヒナさんが言った。「なんだかんだ結局、あんときビール4杯もおかわりしちゃったしさー。お金に余裕できたらそりゃ飲んじゃうよねー?」
「酒豪ですね、相変わらず。飲み過ぎにはご注意を」
「はいはーい、気を付けまぁーす」
サヒナさんは特に気にしたふうもなく笑っていた。だらんとした姿勢に彼女の気持ちがよくあらわれていた。
まるで、聞き分けのない子どもをさとすお母さんのよう。エルンさんも彼女がすなおに忠告を聞き入れるとは思っていないようで、サヒナさんに向けられた彼女の声はずいぶんと淡々としたトーンだった。上司の心部下知らず。
エルンさんが呆れたようにため息をつくところまで含めて、ふたりともこのやり取りにはお互い慣れっこなようだった。
「サヒナさん、お酒お好きなんですか?」オレはたずねた。
「えー、訊いちゃう? それ私に訊いちゃうぅ〜?」
サヒナさんの口もとはにんまりとニヤけていた。彼女の口から聞かなくとも答えはもう明らかだった。
「サヒナさんの血液アルコールでできてるんだよ、ミリアさん」リエシタくんが代わりに答えた。「飲み会のときとかもうすっごいんだから。『浴びるように飲む』ってきっと、ああいうことを言うんだろーねぇ」
「そ、そうなんだ。お酒好きなんですね、サヒナさん……」オレは言った。
「だってさぁ、お酒キライなサピエンスとかいなくなーい?」サヒナさんはニヤけたままだった。「私もう目の前にビールあったら、秒で飲みきっちゃう自信あるし。あ、ミリアってお酒だいじょうぶー?」
「ど、どうでしょう。わたしお酒まだ飲んだことないので、なんとも……」
「っかーっ、よい子のマジメちゃんかっ」サヒナさんは自分の頭に手をやった。「私、ミリアが酔っ払うとこ見てみたいなー。どんな感じになんだろーね?」
「あんがい笑い上戸になったりしてね、ミリアさん」リエシタくんが横からこんにちは。「ほら、スプーンが床に落っこちただけでもケラケラ笑っちゃうみたいな?」
「や、笑いの沸点ひくすぎでしょお。次の飲み会いつだっけ?」
「次の満月の日ですよ、サヒナ。もうしばらくですね」エルンさんが言った。「あと飲み会ではなく食事会です。お酒がメインの会ではありませんでご留意を」
「はいはーい、お酒がたんまり飲める食事会ねー。ちゃんと分かってまぁーす」
「わかってないじゃないですか……」
エルンさんはやっぱり呆れたようにため息をついた。まるで、わんぱくな子どもに手を焼くお母さんのような姿だった。
この2人なんだかんだ仲良いよね。いいコンビ。
リエシタくんもサヒナさんと一緒になって笑っていた。いくつもの笑い声がひと気のない館内に溶け出した。
「ほんじゃま、私お先に失礼しまぁーす」
まっさきに手をあげたのは、やっぱりサヒナさんだった。いつの間にか、彼女は自分のカバンを持って帰宅する準備を済ませていた。
リエシタくんも彼女の後に続いた。彼は今ちょうど給料袋をポシェットにしまっているところだった。
「ぼくもー。今日は家族のとこ寄らなきゃなのでー」
「はい、おふたりともお疲れさまでした」エルンさんが言った。「どうぞ気を付けてお帰りください。明後日からまたよろしくお願いしますね」
「はぁーい、こちらこそっ。ミリアさんもお疲れさまっ」リエシタくんが手を振った。
「うん、お疲れさま。またね」オレも手を振り返した。
サヒナさんとリエシタくんは2人そろってスタッフルームを後にした。彼女たちが話しながら玄関に向かう中、エルンさんがくるっとこちらを向いた。
「さ、ミリアも。私は戸締りを確認してから帰宅しますので」
「は、はい。あの、わたしも手伝いましょうか……?」オレはたずねた。
「いえ、お気持ちだけで」エルンさんは手で制した。「スタッフに無給で残業させるわけにもいかないでしょう?」
「そ、そですか。じゃあお先に……」
「お疲れさまでした、ミリア。また明後日お会いしましょう」
「はいっ」
オレはエルンさんに頭を下げてからスタッフルームを後にした。別れる直前、彼女はやっぱり凜とした笑顔を浮かべていた。リーダーらしいキリッとした表情だと思った。
エルンさんに別れを告げたあと、オレは人のいない館内を玄関に向かって歩いた。
室内の窓からは陽が差し込んでいる。円状に連なる四角い窓はイタリアのコロッセオを思わせた。中央にあるテーブルをぐるっと囲むように、四方八方に配置された明かり取りが光を取り込んでいた。
玄関を抜けて図書館の外に出ると、適度に湿度を含んだ心地よい空気が出迎えてくれた。
オレはすぅっと息を吸い込んだ。外の空気は中と違って澄んでいて、本の匂いに慣れた鼻が香りを敏感に感じ取った。そよぐ風に紛れてどこからか花の甘い香りがした。
あ、お花発見。
さっきのはあの花の匂いかな。ユリの花とも近い甘い香りがする。
オレは花の香りに誘われて、近くにある花壇に近寄った。ほかの場所と区分けされているあたり、誰かが定期的に手入れをしているのかもしれない。きっと誰かに大切にされている花と花壇なんだと思った。
オレは手近なところにある花にそっと手を触れた。
すぅっと鼻から息を吸い込んで匂いを嗅ぐと、背すじを伸ばす白い花からは甘い香りがした。お鼻くんかくんか。犬。
「……いい香り」
ひとりぼっちの呟きは花の香りに溶けて消えた。オレはこの世界に咲く花の名前すらまともに知らない。不確かな花の名よりも今ここにある香りだけが確かだった。
オレは花壇を後にして帰路についた。
大通りへと至る小道は人の姿もまばらだった。もう少ししたら仕事帰りの人たちで辺りもごった返すかもしれない。
繁華街が近付くにつれて、だんだんと遠くから音楽が聞こえてきた。ひとりきりで歩く道を曲名も知らない旋律が彩ってくれる。あの音色はどんな孤独よりもリアリティで満ちていた。
オレは向こうから聞こえてくる音に耳をすませた。
とうに聞き慣れた心地よいメロディが耳に届き、神経系を通じて仕事で疲れた心を癒してくれた。どのリズムも耳に心地いい。
しばらく道なりに歩いていると、街の喧騒に合わせて人通りも増えてきた。もう先ほどまでの景色とは打って変わって、辺りは数えきれないほどの人が行き交っている。自分もまた群衆に紛れて大通りをまっすぐ歩いた。
通りの端っこでは、今日も楽器を奏でている人たちが。
あのメロディが心地いい、このメロディも心地いい。文字を持たない言語がオレの耳に心地よく響いた。どの音色も心地よいものばかりだった。
あ、キリティパ。
前にラーニャが教えてくれた楽器。自分が前に習ってたせいか、弦楽器の音にはどうしても心惹かれちゃう。
オレは帰り道の途中で立ち止まり、弦楽器が奏でるメロディを聴いた。弓を引くときの音が耳の中で心地よく鳴りひびき、時間も場所も忘れてこちらを音楽に夢中にさせた。あの曲はなんて名前だろう?
楽器を演奏している男性も楽しそうだった。
いま楽器を演奏している彼の足もとには、楽器ケースが開いた状態で置かれていた。ケースの中にチップが入っているのが見えた。
オレはポシェットから給料袋を取り出した。先ほどもらったばかりの初のお給料を、さっそく心づけとして使おうと思った。いま自分の手には何枚かのコインが握られている。
これは日頃のお礼。
このチップはいつも音楽を聴かせてもらってる感謝の印。あの人たちに少しでもありがとうの気持ちが伝わればいいと思った。
オレはお金を入れやすいようしゃがみ込み、ひらいた楽器ケースの中にチップを入れた。かちゃかちゃん、と自分が入れたコインと他のコインが触れ合う音が鳴った。心地よい音楽の中にありがとうの音が溶け込んだ。
「どうもありがとう、お嬢ちゃん」
オレはしゃがれた声に誘われて顔を上げた。楽器を演奏するおじさんがこちらを見ながら微笑んでいた。オレも彼にならって微笑み返した。
すっくと立ち上がったあと、オレは人で賑わう大通りを再び歩き出した。
自分の心に少しだけ橙色の気持ちが湧き上がっているのを感じた。心地よい音色が辺りに響く中、こんな風に幸せな気持ちに浸れるのもまた心地よかった。
遠くのほうから旋律が聞こえる。弦楽器の音に混じって管楽器の音も聞こえた。
いくつものメロディが幾重にも折り重なって、たくさんの人が行き交う大通りを色んな音で彩っていた。まるで、音がミルフィーユ状に折り重なっているかのようだった。
オレはまた別の演奏家のもとでもチップを入れた。コインが自分の手から離れる感覚が心地よかった。
いつかしたいと思っていたお礼が今日はできる。いつか伝えたいと思っていた感謝が今日は伝えられる。こうして自分の想いをコインに換えられる。
演奏の妨げにならないよう、オレはチップ入れの中にそっとコインを入れた。楽器ケースの中にはたんまりとお金が入っていて、どのパフォーマーもお客さんからありがとうの印を受け取っていた。自分もその一部になれたことが嬉しかった。
頭上にある空ではもう、太陽が西に傾いている。
あの青い空がいつもより青く見えた。あの白い雲がいつもより白く見えた。なにより、あのお日さまがいつもより輝いて見えた。
たくさんの人が行き交う大通りの喧騒すら音楽の一部に思えた。あちこちから聞こえるメロディに耳を傾けながら、オレは常々行こうと思っていたところへ向かった。目的地はずっとずっと前から決まっていた。
今日こそは行かなきゃ。この気持ちが冷めちゃう前に。
この心がまだ熱を持っているうちに、あのお店に立ち寄らないといけない。この熱を時間という冷気が冷ましてしまう前に——。
くだんのアクセサリー屋さんに向かう途中、胸の鼓動が楽器の音に釣られてリズムを刻んでいた。




