【4章】ミリアのプレゼント大作戦〜っ♡ 1
ある日の終業間際。
もう間もなく、図書館が閉館時間を迎えようとしている。
頭上にある太陽はとっくに西に傾き始めていた。青いキャンバスに描かれた白い雲が風に流れ、あの広い空をクラゲのようにただよっている。
オレのすぐ隣にはルルちゃんの姿があった。
彼女は迎えに来たお母さんと手をつないでいる。今日はいつもと違って、ルルちゃん'sママのお迎えも少しだけ早かった。
オレは彼女たちと世間話をしながら玄関に向かって歩いた。もう館内はすでにひと気が少なく、図書館の利用客はみんな閉館時間に合わせて退出していた。室内に残っている人の姿はまばらだった。
「ありがとうねぇ、ミリアちゃん」ルルちゃん'sママが言った。「今日もウチの子の面倒みてくれて。ほんと助かるわあ〜」
「いえ、とんでもない。こちらこそ、いつもご利用ありがとうございます」
「この子ねぇ、最近ここで本を読むのが前より楽しいみたいなの。うちに帰っても『今日も図書館のお姉さんといっぱい喋ったの!』って話すんだから」
「だあってぇ、ミリアお姉ちゃん優しーんだもんっ」ルルちゃんも会話に加わった。「アタシがご本のお話するときね、いぃ〜っつも楽しそうに聞いてくれるの!」
「もう……」
ルルちゃん'sママは苦笑いを浮かべながらため息をついた。彼女の呆れたような吐息がひと気のない廊下に溶け出した。
「この子ったら歳の離れた姉がいるせいか、年上の人に甘えるのば〜っかり上手でね。悪気がないのも困りものというか……」
「えと、お姉さんがいらっしゃるんですね?」オレはたずねた。
「そうそう、お姉ちゃんのほうはもう働きに出てるんだけどね」ルルちゃん'sママがうなずいた。「上の子も妹を甘やかすもんだから、もうすっかり味を占めちゃってて……ほんとは私が叱らなきゃいけないんだけどねぇ」
「その、叱るのって難しいですよね。頭ごなしに否定するのも違う気がしますし……」
「そおなのよぉ〜。もう明らかに悪いことしてるなら別だけど、この子の場合お姉さんたちに甘えてるだけだから……あんまり強く言えなくってねぇ」
「お気持ちよく分かります。ルルちゃん、かわいいですもんね」
「でもねぇ、母親としてはねぇ、どうかと思うんだけどねぇ。結局、私も私でこの子のこと甘やかしちゃってて……」
ルルちゃん'sママはやっぱり呆れたようにため息をついた。どうやら、甘え上手な娘のことを母親なりに憂いているようだった。
かたや、ルルちゃんはムッとした顔を浮かべた。
「アタシ別に甘えてないよぉ、子どもじゃないんだからっ」ルルちゃんが言った。「アタシ、もうひとりでお留守番できるオトナだもんっ。ねっ、そおでしょおー?」
ルルちゃんは確認を求めるようにお母さんを見上げた。母娘のあいだで視線のコミュニケーションが交わされた。
「はぁいはい、そうでしたねぇ」
ルルちゃん'sママは自分の隣を歩く娘の頭をなでた。ルルちゃんのほうは満足げなようすで顔をほころばせていた。
娘の頭を愛でるようになでなでしたあと、ルルちゃん'sママがこちらに顔を向けた。
「ごめんなさいねぇ、ミリアちゃん。お仕事中なのに……」
「いえ、ぜんぜんです」オレは言った。「その、わたしも楽しくさせてもらってますから」
「そーだよぉ、ママぁ」ルルちゃんが後に続いた。「ミリアお姉ちゃんだって、アタシとお話するの好きなはずだもんっ。ねー?」
ルルちゃんが同意を求めるように首をかしげた。首かしげー。
「ねー?」
オレも彼女の動きにならって首をかしげた。首かしげー(あげいん♡)。
はぁ、天使……かわいすぎる。
なぁんて可愛い子なんでしょお。こんな子が妹だったらきっと溺愛しちゃうね。もうお家に帰るのすら楽しくなっちゃいそう。
オレがルルちゃんの天使っぷりに打ちのめされている最中、ルルちゃん'sママは手をつないだ先にいる娘のほうを見た。
「ルル、調子に乗らないの」ルルちゃん'sママがたしなめた。「ミリアちゃんはお仕事で忙しいんだから。ね?」
「えー、でもぉ〜……」
「でもじゃありません。わかるでしょ?」
「はぁ〜い」
ルルちゃんは不満そうにむいっと唇をとがらせた。どうやら、彼女は先ほどルルちゃん'sママからたしなめられたことに納得していないらしい。
ルルちゃんのママが呆れたように苦笑う中、娘さんのほうはふくれっ面を浮かべていた。
「あ、あの、ほんとに大丈夫ですから……」
ぷち親子ゲンカを目の当たりにしたオレは戸惑ってしまう。母と娘どちらの立場も理解できるため、どちらか一方に肩入れするわけにもいかず。
結局、どっちつかずの言葉がこぼれただけだった。
オレがおろおろと戸惑っていると、閉館を知らせる鐘が鳴りひびいた。ごーんごーんっ、とズッシリとした鐘の音が人々に退館をうながした。
「あらぁ、もうこんな時間」ルルちゃん'sママが言った。「ごめんなさいねぇ、こんなとこで立ち話しちゃって」
「いえ、またいつでもいらしてください。ルルちゃんも、ね?」
オレはルルちゃんと目線を合わせるよう、その場で自分の両膝に手をついて屈んだ。
対面する彼女がとたたたっとこちらに駆け寄ってきた。とつぜんのルルちゃん'sたっくるをお見舞いされるわてくしの図(とっしん♡)。
「また今度ねっ、ミリアお姉ちゃん!」
「うん、また今度」オレは彼女の頭をなでた。「また面白いお話いっぱい聞かせてね?」
「うんっ。アタシ、いっぱいいぃ〜っぱいお話するからねっ?」
「うん、約束。気を付けて帰ってね?」
「はぁ〜いっ」
ルルちゃんは終始うれしそうな顔をしていた。彼女のさらさらした髪の毛は大変さわり心地が良かった。毛並みのいいカーペットを思わせるような肌触りだった。
ルルちゃん'sママは我が子の姿を後ろから見守っていた。
「ありがとうねぇ、ミリアちゃん」ルルちゃん'sママが言った。「もしご迷惑じゃなかったら、またこの子の相手してあげてくれる?」
「はい、もちろん。またいつでも」オレはうなずいた。
「おねがいねぇ、助かるわぁ〜」
ルルちゃん'sママもまた娘さんと同じように微笑んだ。親子だけに口もとにできる笑いジワが似ているように見えた。ふたりぶんの笑顔が閉館を迎えた館内に溶け出した。
オレは玄関ちかくで2人を見送った。
ルルちゃん'sママに手を引かれる形で、ルルちゃんはお母さんと一緒に階段を降りていった。ぴょんぴょこ跳ねながら階段を降りる姿が可愛らしい。
「ばいばーいっ、ミリアおねえちゃあんっ」
図書館前にある階段を降りた直後、こちらを振り返ったルルちゃんが手を振りかけてきた。めいっぱい手を振る彼女の姿に思わずオレの顔もほころんだ。
「はぁい、ばいばーい」
オレがルルちゃんに手を振り返したあと、彼女は満足そうに道の先に歩いていった。西の空にある太陽が母娘ふたりの後ろ姿を照らしていた。
はぁ、天使……最後までしっかり天使。
もお〜、ばいばいするときまで可愛いんだからぁ。ひょっとして、ルルちゃんじゃなくって天使ちゃんだったり?
あの可愛さは天使級だね。どこぞの神話に出てくる天使よりよっぽど天使だよ、ルルちゃん。天使はこの世に実在したんだね(ほんとに!)。
というか、うちの図書館いつの間にか託児場みたくなってなぁーい?(これもほんとに!)
「……」
オレはだんだんと小さくなっていく親子の背中を見つめた。西から降りそそぐ日差しが東に伸びる影を作っている。ふたりぶんの墨色が彼女たちの進む先とは逆方向に伸びていた。
ルルちゃんは相変わらずお母さんと手をつなでいた。
自分にもあんな時間があっただろうか。あんな風に自分の親に手を引かれる瞬間があっただろうか。今はもう思い出せない。
ちょっぴりルルちゃんがうらやましい。あんな風にお母さんに手を引いてもらえる彼女が少しうらやましい。こんなみにくい気持ちが自分の心にあることが心底うらめしい。
オレは自分の心にふと湧いた羨望に見て見ないフリをした。
こんな気持ち知りたくなかった。こんなものが自分の心にあるなんて知りたくなかった。なんてみにくい気持ちだろう、なんてみにくい心なんだろう。
オレは自分の感情を心の押し入れにしまったあと、スタッフルームに戻るべく踵を返して歩き出した。
目的地へと向かう途中、何人かの利用客と廊下ですれ違った。こちらが軽く頭を下げると向こうも会釈でこたえてくれて、何人かは「ありがとうございました」とお礼まで口にした。オレはすれ違いざまに「またご利用ください」と声をかけた。
館内はもうすっかりひと気をなくしていた。
天井からぶら下がった光の石が辺りを照らしている。ぼやぁっと光る石の真下には大きなテーブルがあった。
すでに閑散とした空間を横目に見ながら、オレはスタッフたちが集まる従業員スペースへと向かった。館内の四角い窓からは日の光が差し込んでいて、ずらっと並んだイスたちを明るく照らしている。
まるで、木でできたイスが日向ぼっこしているかのような光景だった。
西へ西へと伸びる光が木造の家具を照らし、東へ東へと伸びるシルエットを作っている。ずらっと並んだ椅子たちは今もなお日光浴を楽しんでいた。
スタッフルームへと移動すると、もう先にサヒナさんたちが集まっていた。
「すみません、遅くなりました」
オレは先に着いていたみんなにお詫びの言葉を述べた。サヒナさんとエルンさんがこちらを見た直後、彼女たちの正面に立っているリエシタくんとも目が合った。
「いえ、お気になさらず。私たちもいま来たばかりなので」エルンさんが言った。「あの子にずいぶんと気に入られたようですね、ミリア。もう先方はお帰りになりましたか?」
「はい、つい先ほど。玄関のほうまで見送りに行ってました」
「なによりです。先日、彼女のお母さまがあなたに感謝してましたよ。『うちの娘の子守りしてもらって助かる』と」
「いえ、そんな。わたしこそお礼を言いたいくらいです」オレは言った。「ルルちゃんにはいつも癒され……えと、ずいぶん楽しませてもらってますから」
「えぇ、そのようですね。これからも引き続きお願いしますよ、ミリア。うちの図書館には色んな利用客がいますから」
「はい、もちろんです」
オレはリエシタくんの隣に並んだ。正面にいるエルンさん+サヒナさんと向かい合う形になった。
「てーかさぁ、ミリアって子ども好きなのー?」サヒナさんがたずねてきた。
「ど、どうでしょう。わりと好きかも、です……」
「あ、やっぱりぃ?」
「すなおな子は可愛いですよね。つい構ってあげたくなっちゃうっていうか……」
「あっはは、子ども好きな人の言い方だねぇ」サヒナさんは笑った。「私も生意気じゃなかったら好きかなー、子ども。ひねくれた子もそれはそれで可愛いけどさー」
「そですね、天邪鬼な子もかわいいです。愛嬌あるっていうか……」
「ぼくも普段よく弟と遊ぶよー、ひねくれ者だけどね」リエシタくんが会話に加わった。「ひねくれ者っていうか、負けずギライなのかも。大人と張り合ってるとことかよく見かけるから」
「負けず嫌い……なんか男の子っぽいね、そういうの」オレは言った。
「でしょー?」
リエシタくんはうんうんとうなずいた。どうやら、彼には弟さんがいるらしい。新情報げっと。
エルンさんが仕切り直すように両手をぱんっと叩いた。柏手の小気味いい音が辺りに鳴りひびくのと同時に、ほかのスタッフの視線が一斉に彼女のほうを向いた。
「さて、お仕事お疲れさまでした。本日はみなさんの給料日ですね」
エルンさんはカバンの中から小さな袋を取り出した。彼女が茶色の袋を取り出した直後、じゃらじゃらと金属がこすれる音が辺りに鳴りひびいた。
どうやら、あの数枚の袋の中には給料が入っているらしい。
「まずはリエシタから。お疲れさまでした」
「はーい、ありがとうございまーっす」リエシタくんは給料袋を受け取った。
「次にサヒナ。あなたもお疲れさまでした」エルンさんが言った。「今回のあなたの給料、指導役を任せたこともあって少し色を付けてます。私からの感謝の印だと思ってください」
「え、うっそ。ほんとにー?」サヒナさんも給料袋を受け取った。「やった、ボーナスってことじゃーん。うちの妹ちゃんにごちそうしたげよっかな〜♪」
「これからも指導役お願いしますよ、サヒナ。ミリアによからぬことを教えたりしませんよう」
「はいはーい、わかってまぁーす。なんかいい感じに指導しときまーす」
「……お願いしますよ?」
エルンさんは念を押してサヒナさんにお願いした。当のサヒナさんは給料袋のほうに夢中のようで、エルンさんからの勧告を適当に受け流していた。
サヒナさん現金だな。
どうやら、彼女は上司の言葉よりお金の音のほうが気になるらしい。




