【3章】虹の小径へ 1
雨上がり。
日の光を受けた洗濯物が地面に影を落としている。
みんなと一緒に洗濯物を干し終えたあと、オレはズラッと並んだ服を見上げていた。竿に通された洗濯物が行列を作っている。
風になびく洗濯物がゆらゆらと揺れている。まるで、カラフルなお化けが宙にたゆたっているかのような光景だった。ほかの竿と重ならないよう微妙に位置を変え、竹でできた物干し竿が縦に何本も並んでいる。大量の服と竿が均等に並ぶようすは壮観だった。
ラーニャもまたオレの隣で竿にかけられた服たちを眺めていた。
「んん〜、いーい眺めっ。みんなでやればすぐだったねえ、お洗濯っ」
「だね。人手が多いと作業も早かったね?」オレは言った。
「ねー、ほんとぉ。ちょうどみんなが仕事から帰ってるタイミングで良かったよお」ラーニャが言った。「あたし前に薬草屋さんの仕事がお休みのときにねぇ、夕立ちに降られて洗濯物もうすっごい大変だったの。人が少ないから少人数でやるしかなくってさ〜」
「ぅわぁ、大変そう……雨降ったのみんな出払ってるときだったんだ?」
「そおそおー、もうほんっとてんやわんやだったんだからぁ。あのときも結局ただの通り雨だったの、今日のどしゃ降りみたいにっ」
「夏は急に雨降るときあるから困るよね……あ、えっと、いまって夏だよね?」オレは戸惑った。
「あは、なぁにそれぇ。いま夏まっただなかじゃあん?」
「そ、そっか。そう、そうだよね……」
「んっふふ、ミリアたまにおかしなことゆうねぇ。ほかの季節のんが良かったあ?」
「や、夏でいいかな。うん、夏がいいかも……」
「あはは」
オレは壊れた機械のように何度も同じ言葉を繰り返した。ラーニャは自分の口もとを隠すように手を当てながら、どこかの国のお姫さまのようにくすくすと笑っていた。あらま、お上品。
彼女が可笑しそうに微笑んでいるのとは対照的に、この心には少しばかりの戸惑いが顔をのぞかせた。
こちらの世界に来てからというもの、そう月日が経っていないせいか今も時間感覚があやふや。四季を感じ取る季節感覚をいまだ掴めず、いまが夏なのかさえどこか不確かだった。
オレは頭上にある空を見上げた。あの青いキャンバスには白いわた雲がいくつも描かれていた。
あれだけ大っきな入道雲があるなら夏だよね。さっきのどしゃ降りも急な夕立ちも積乱雲のせい。わたあめみたいにもくもくっとした雲が透明な宝石を空から降らせる。
うん、きっと夏だ。
あの空は夏を象徴してる。あの青がみんなの羽を伸ばしてくれる。そんな気がする。
洗濯物が風に吹かれてゆらゆらと揺れる中、オレは頭上にある青い空をじっと見つめた。西に浮かぶ太陽はもうすっかりと傾き始めていて、もうじきこの世界を赤く染め上げようとしていた。
まるで、先ほどの雨なんてとうに忘れてしまったかのよう。
あのお日さまはいつも通りの笑顔で世界を照らしている。西の空から降りそそぐ日差しが洗濯物を照らし、そよぐ風はカラフルなお化けたちをなびかせた。
この光景が心に馴染むのはどうしてだろう。
こうしてみんなと一緒に洗濯をして、こうしてみんなと一緒に雑談をする。この日常が違和感なく心に溶け込むのはどうして?
目の前にある洗濯物は相変わらず風に揺れている。1/fゆらぎがオレの心に心地よさを連れてきて、ひと仕事おえた身体を目から癒そうとしてくれた。あの規則的な不規則は脳のリラクゼーションだった。
オレは目の前にいるお化けからベンチのほうに視線を移した。
屋根の下にあるベンチには寮生が何人か座っていた。みな一様にご機嫌そうにおしゃべりしていて、束の間の休み時間を楽しんでいるようだった。
「この後どうしよっか。夕食までまだ時間あるけど……」オレは言った。
「そだねぇ、まだキリカたちも帰ってきてないしぃ」ラーニャは首をかしげた。「んんぅ〜……あっ、そおだ。ミリア、虹の小径って聞いたことあるぅ?」
「や、知らないかも。有名なところ?」
「このあたりだとけっこう有名かなあ、寮の子もみんな知ってると思うよお」ラーニャは向こうを指差した。「ここまっすぐ行ったとこにあるんだけどねえ、雨が上がったあとにしか道が通れないんだぁ。いつもは砂がサラサラ過ぎて歩きづらいの」
「雨上がりだけ……その、すごく幻想的だね。雨が上がったあとしか通れないなんて」
「でっしょお〜?」
ラーニャはにぱっと顔をほころばせた。ひょっとしたら、くだんの小道は彼女お気に入りの場所なのかもしれない。
まだ見ぬ小道に思いを馳せると心がはずんだ。
どうやら、この心はくだんの小道に興味しんしんらしい。オレは好奇心の矢がすでに幻想的な景色に向いているのに気付いた。
「ね、行ってみよっかあ?」
「行く」オレは言った。
「あはっ、即答ぉ〜」ラーニャは笑った。「いちおー、ほかの子たちに声かけてかなきゃだね」
「そだね、念のため」
ラーニャがベンチのほうに顔を向けた。彼女の視線の先には他の寮生が何人か座っていて、先ほどと変わらずおしゃべりしているようだった。
「ねぇーっ、あたしたち向こうの小道まで行ってくるねーっ?」
ラーニャが向こうの子たちにも聞こえるような声で言った。ベンチに座って休んでいる子たちがくるっとこちらに顔を向けた。
「はぁーい、いってらー」
「え、帰り遅くなるー?」
「夕食もうすぐだよー?」
向こうから続け様に返事が飛んできた。遠くにある6つのガラス玉がこちらを向いていた。さまざまな色を宿したカラフルなガラス玉だった。
「だいじょおぶー、晩ご飯までには帰るからぁ〜」
ラーニャは自分の口を囲むように両手を添えて、音が遠くに届くよう手をメガホン代わりにした。
どうやら、彼女の声は向こうにいる寮生たちにも届いたようだった。ベンチに座っている子たちがこちらに向かって手を振りかけた。
「おっけー、気を付けてーっ」
「行く途中、水溜まり跳ねないようにねー?」
「はぁーいっ、ありがとお〜」ラーニャも手を振り返した。
お出かけのむねを向こうに伝え終わったあと、ラーニャはこちらにくるっと顔を向け直した。
「んじゃあ、行こっか?」
「うんっ」オレはうなずいた。
オレとラーニャは他の子たちに別れを告げたあと、くだんの小径に向かうべく寮の外へと歩き出した。
道ばたに生えている草木が露を溜めている。雑草に付いた透明な雫が日の光を受けてきらめいていた。まるで、緑の先っちょに宝石がくっ付いているかのような光景だった。
寮の正門を抜けたあと、オレたちはいつもの道とは反対方向に歩き出した。
どうやら、この道を進んだ先に虹の小径があるらしい。オレは案内役のラーニャに導かれるまま畦道を歩いた。田んぼのほうからカエルらしき鳴き声が聞こえてきた。げこげこっ。
「今わたしたちが向かってる小道、雨上がりの後しか通れないの不思議だね?」
「でしょでしょおー、ちょっと不思議な場所なんだあ」ラーニャが言った。「さっきあんだけ大雨降ったあとだから、たぶん今日は通れると思うんだけどね。もし通れなかったらごめんねえ?」
「や、大丈夫だよ。道が通れないのはラーニャのせいじゃないし」
「そーだけどお、無駄足ふませちゃうの申し訳ないじゃあ〜ん」
「場所を知れるだけでも嬉しいよ、わたしは。まだ行ったことないところだし」
「あはは、そっかそっかぁ〜。ミリアは前向き子ちゃんだねえ?」
「ラーニャに言われると複雑だね……」
「えー、なんでなんでえ。いいことでしょお?」
「そうだけど……わたし、ラーニャくらい前向きな子あんまり見たことないから」
「そっかなぁ、ふつーだと思うけどお」
ラーニャはあまり腑に落ちていないようすだった。どうやら、この子は自分のポジティブ加減をあまり自覚していないらしい。けっこうな前向きレベルだと思うんだけどね、オレとしては。
あぜ道を歩いている途中、近くの田んぼから蝶々が姿をあらわした。
「あ、ちょうちょ」
オレは空飛ぶちょうちょについつい目を引かれた。あちこち不規則に空を飛ぶ姿は、トンボと似ても似つかなかった。どっちも同じ昆虫なんだけどね。
「わぁ、きれいだねぇ」ラーニャが行った。「ね、見て見てっ。鱗粉きらきらしてるっ」
「わ、ほんとだ……ちっちゃな宝石みたい」
オレはラーニャが指差す先を目でたどった。彼女の人差し指は今まさに宙をただよっている鱗粉を指し示していた。
え、鱗粉ってあんなにキラキラするっけ。
や、きれいだけど。あの鱗粉たしかにキラキラしててキレイなんだけど、オレの記憶にある景色と目の前の光景が一致しない。
青黒いちょうちょが翅をはためかせて空を飛ぶ中、あの翅の動きに合わせて鱗粉が辺りに舞っていた。蝶の翅にはアール・ヌーヴォーを思わせる流線型の模様が描かれていた。あの翅から散らばった鱗粉は今も空を舞っている。
まるで、光の粒子が宙を舞っているかのような光景だった。
太陽の光に照らされた鱗粉がキラキラときらめいている。ひらひらと舞い踊るちょうちょは道の向こうに飛んでいき、日差しを受けながら光の粉を周囲にふんだんに撒いていた。
オレは初めての光景に思わず目を奪われた。あの鱗粉があんなにキラキラしてるのはどうして?
「ねぇ、ラーニャ。あの鱗粉なんであんなにキラキラしてるの?」
「えっ、うぅ〜ん……」ラーニャは首をかしげた。「なんでって言われてもぉ。そういう蝶々だからじゃなあい?」
「そ、そっか。そういう種類なんだね、あの蝶々……」
「ミリアって虫にも興味あるのお?」
「うぅん、虫はキライ」
「あはっ、即答ぉ〜」ラーニャは笑った。
「ただ、あの蝶は珍しいなって……」オレは言った。「あんなふうに鱗粉キラキラさせる蝶々、いままで1回も見たことなかったから」
「きれいだよねぇ、あのちょうちょ。じかに触るのはごかんべんだけど〜」
「わたしも。遠くから眺めるくらいがちょうどいいかも」
「ねー、だよねぇ。いくらキレイでも虫だもんねえ?」
「虫だからね」
オレとラーニャはお互いに顔を見合わせて笑い合った。どうやら、ふたりとも虫が苦手なところは共通しているらしい。あの蝶々には聞かせらんない話かもだけど。
そだよね、どんだけレイでも虫は虫だもんね。虫きらい、虫きもい(虫好きさんごめんなさぁい♡)。
とつぜん現れた蝶々はもうどこかに消えてしまった。あの美しい生き物が落としていった宝石の粉は、まだわずかに辺り一帯をふよふよと漂っていた。日の光を受けた光の粒子が白く鋭くきらめいた。
今はもういない蝶々のあとを追うように、オレとラーニャは再び畦道を歩き出した。
道の先には緑ゆたかな森があった。視線の先にある森を目指して、オレたちは雑談を交えながら足を動かした。どうやら、おしゃべりはお散歩の妨げにならないらしい。まるちたすきんぐ。
「この森はいったところにあるよぉ、さっき話してた小道っ」
ラーニャは道の先にある森を指差した。大小さまざまな木々が連なっている森の中は、日陰になっているせいか少しだけ薄暗かった。
奥まった道の向こうで、森の迷い子がこちらを手招きしているような気がした。たぶん気のせい。
「ちいさめの森だね。寮の近くにこんなとこあったんだ……」
「そおそおー、こっち側は普段あんま来ないもんねえ」ラーニャが言った。「あたしも小径に来るとき以外こっち来ないかなぁ。ここの周りなぁんもないし、とくに用事もないからさ〜」
「たしかに……この辺り田んぼがあるくらいだもんね、ほとんど人も見かけないし」
「村と反対方向だからねえ。この辺まで来るとぐっとひと気なくなるでしょお?」
「民家もほとんど見かけないね。あ、あそこのほったて小屋は?」
オレは田んぼの向こうにある小屋を指差した。ラーニャの視線が森林から田んぼへと移った。
「んっとねぇ、あれは物置き小屋だよお」ラーニャが言った。「人が住んでるわけじゃなくって、農具とかが置いてある小屋なの。猫ちゃんが住み着いてるみたいだけどお」
「あ、そうなんだ。猫の住み処になってるんだね……」
「あはは、そだねぇ。ちょうど日陰になるから居心地いーのかもねえ?」
「かもね。かんかん照りのときとかはちょうどいいかも」
オレはラーニャ大先生にご指導たまわりながら、田んぼの向こうにある小屋に意識をかたむけた。どうやら、あの小さな建物はにゃんこぱーてぃーの会場になっているらしい。




