【3章】ラーニャちゃんのグルメレース 3
「どーしたの、ミリア?」
途中で話すのをやめたオレを訝しく思ったのか、ラーニャが不思議そうな顔でこちらを見ていた。きょとんとした彼女の表情は言葉よりも多くのものを語っていた。
「や、その……ごめん、こんな話おもしろくないかなって」
「えー、なんでなんでぇ。全然そんなことないよぉ」ラーニャが言った。「今さっきの脳のお話も面白かったしさ、あたしもっと聞きたいって思ったのに。ほんとだよ?」
「そ、そう……ラーニャは優しいね」
「あはは、なぁにそれぇ。ミリア急に変なこと言う〜」
ラーニャは特に気にしたようすもなくからからと笑った。どこにも邪気のない彼女の笑った顔は、話し下手なオレの心を溶かしてくれた。
ラーニャは……ラーニャは優しい。
こんなオレの話にもちゃんと付き合ってくれる。こんな見ず知らずの人間にも優しくしてくれる。
彼女の笑顔が眩しい。正面から見つめると、その眩しさに目を細めてしまいそうになる。まるで、ふと見上げた太陽の眩しさに目を細めてしまうかのよう。
「……」
先ほどの水の温度の話をしている途中、オレの頭をよぎったのは向こうの世界での記憶だった。大脳皮質の奥深くに刻まれた記憶が話を途中で止めさせた。
父さんは……昔っから父さんは、どうやらオレの話があまり好きじゃなかったらしい。
あのときの父さんの目を今でもよく覚えてる。あの色のないガラス玉みたいな目を今でもよく覚えてる。きっと、父さんはオレの学校の話より仕事の話が大切なんだろう。
周りの友だちの反応も父さんと似たようなものだった。オレとしては新しいオモチャでみんなと一緒に遊ぼうとしただけなんだけど、みんなにとっては知識アピールをしてくるうっとおしいヤツに見えたらしい。しぜんと、オレの友だちは本だけになった。
きっと、オレは他の人より不器用なんだ。
他人との距離の詰め方が分からない。どこまで踏み込んでいいのかが上手く読み取れない。
オレにとって他人とのコミュニケーションは地雷原を歩くようなもの。けっして踏んではいけない地雷を探し当てる緊張感のあるゲームだった。このゲームに勝ったことは今まで一度もない。
そう、ただの一度も——。
「もしお勉強するの好きならさぁ、この村の図書館とかいいかもね?」ラーニャが言った。「この大通りのずっと先にね、この村で一番おっきい図書館があるの。誰でも好きに本借りれるから、きっとミリアも気に入ると思うよぉ」
「図書館っ……いっ、行ってみたいっ」
「あはっ、やっぱり〜。今度そこも案内したげるね?」
「うんっ」
ラーニャはオレの気持ちとシンクロするように笑った。どうやら、彼女は他人の心にチューニングするのが上手いらしい。コミュニケーションが上手い人ってみんなそうなのかなぁ?
きっと、ラーニャは器用な子なんだ。
多分こういう子が世の中を上手く渡っていくんだろーね。ラーニャ先生ぇ、オレにも世渡り術をご教示くださいまし〜。
ラーニャはどこで人との関わり方を覚えたんだろ。やっぱり、ご両親の育て方が良かったとかかな。あ、おばあちゃんとも仲良かったんだっけか。きっと、この子は色んな人からたくさん愛されたんだろうなぁ。
この太陽はオレにとってあまりにも眩しかった。
「絵本とか図鑑も結構ある図書館でね、大人から子どもまでみぃんなウェルカムなの」ラーニャが言った。「閉館時間はちょっと早いかもだけど、朝早く行けばじっくり本読めると思うよぉ。近くにご飯食べられる食堂もあるしさ?」
「へぇ、すごい。図書館の近くに食堂まで……」オレは言った。「かなり環境ととのってそうなところだね。あ、でも文字が読めるかどうか……」
「もし読めないのあったら、あたしが教えたげるよぉ。あっち行くときは一緒に行こーね?」
「あ、ありがとう。でも、その……わ、たし、ラーニャにお世話になりっぱなしだね」
「えー、いいじゃん別にぃ。悪いことじゃないでしょお?」
「そう、かな……」オレは戸惑った。
「そうだよぉ。ミリアは気にしいだねぇ〜」
「……そう、だね。それはそうかも」
「あはは、それは肯定するんだぁ」
ラーニャはからからと楽しそうに笑った。周りの喧騒に紛れて彼女の明るい笑い声が溶け出した。
もらったぶんは返したい。いつか、きっと——。
いつか、この子に恩返しできるように。今日はじめて会ったばかりのオレに、こんなに優しくしてくれる彼女のために。
前に何かの本で読んだことがある。
人助けと幸福度との関連を調べたデータによると、普段からよく他人を助ける人のほうが幸せらしい。
これはどこの国や地域にも確認される普遍的な傾向で、他人のために動くことは幸福度をアップさせる確実な方法なんだとか。じっさい、ボランティアは幸福度アップの特効薬でもあるんだって。わぁ、すごぉ〜い。
しかも、ここには双方向の関連性があることも分かった。んん、どゆこと〜っ?(困)
幸せな人ほど人助けをし、人助けをする人ほど幸せ。幸せだから他人を助けたくなり、他人を助けるから幸せを感じる——。
他人のために動くことが幸福度アップにつながるのは、これが生きてる実感を得やすいからでもあるんだって。たしかに、ボランティアって他人の役に立ってる感じするもんね。「みんなのために良いことしてる!」って気持ちになりやすいと思う。
幸せになるためのキーワードは他者貢献。
他人の役に立つことは何よりも与えることで、もらってばかりの人は少し幸せになりにくい。だって、幸せは何より他人に愛を与えることだから。
そう考えたら、ラーニャが幸せそうなのもよく分かる。
きっと、この子は与える側の人なんだろう。世界に愛を与えることで幸せをプレゼントしてもらってるんだろう。多分ね、たぶん。
オレも彼女みたいになりたい。オレもラーニャみたいに与える側の人でいたい。もらってるばかりじゃちょっと居心地がよくないから、いつか彼女にも何か自分にできることをしてあげたい。
いつか、きっと——。
「あ、来た来たっ」
とつぜん、ラーニャはオレの後ろのほうを指差した。彼女の指先を目でたどると、オレの視線の先にはユノンさんがいた。
「はぁい、お待ちどお〜」
ユノンさんは両手に抱えていたお皿をテーブルに置いた。かちゃんと。
いま彼女が持ってきたばかりのお皿からは湯気が立っていた。上へ上へと立ちのぼる蒸気が食欲をそそる匂いを運んできた。お腹が減っているときにはたまらない香ばしい匂いだった。
「わぁ、おいしそお〜っ」
ラーニャの目はキラキラと輝いていた。彼女は今すぐにでも料理を口に運びそうな勢いだった。
「ふたりとも、よく噛んで食べなさいね」ユノンさんが言った。「このお野菜は繊維質が多いから、よく噛んで食べないとノド詰まらせちゃうよ。気を付けてね?」
「は、はいっ……」
ユノンさんは緑の野菜を指差しながら、オレに丁寧に料理の説明をしてくれた。たしかに、彼女が指差した野菜は見るからに繊維質が豊富そうだった。
見た感じはブロッコリーに近い印象だった。この野菜も村の特産品だったりするのかなぁ?
「でもでもぉ、これ味はばっちしなんだよぉ?」ラーニャが言った。「お野菜なのにお肉みたいにジューシーで、いちど食べたら病みつきになるんだから!」
「そうそう、そう感じる人が多いらしくって」ユノンさんが言った。「みんなこれがやめられないみたいでね、いつの間にかウチの看板メニューなの。さぁさ、あったかいうちに食べなさいな?」
「食べよ食べよーっ。ほら、ミリアも!」
ラーニャは近くにあったカトラリーを手渡してくれた。持ち手をこちらに向けて手渡すあたりに彼女の女性らしい気遣いを感じた。がーるずぱわー。
「あ、ありがと……」
オレは手渡されたナイフとフォークでまず野菜から手をつけた。ラーニャに「お肉みたいにジューシー!」と言わしめた野菜のお味はいかに。
ナイフで切れ込みを入れると、そこから汁が溢れ出してきた。
な、なんだこの水っ気。まるで肉厚のステーキを切ったときみたいな汁気なんだけど。え、これ本当に野菜ぃ〜……?
オレはごくりと生つばを飲んだ。フォークで刺した野菜からは湯気が立ちのぼっていた。まるで、はやく食べてくださいと言わんばかりの蒸気の立ちのぼりだった。
オレはひと口サイズにカットした野菜を口に運んだ。あ、熱いっ。あつつ熱あつ熱あつつっつっ!
「はふ、はふはふっ……」
オレは慌てて自分の口もとを手で押さえた。
口の中がヤケドしちゃわないよう、オレは舌の上でお野菜を転がした。はふはふと息を吐くたびに口からわずかに蒸気が漏れ出た。思ったよりずっと熱かった。
「あはは、ちょおっと熱かったねぇ。ヤケドしちゃわないようにね?」
ラーニャは相変わらずからからと楽しそうに笑った。食べ物で口が塞がっているオレは、こくこくと何度も頷いてジェスチャーで返事をした。
いま口に入れた野菜を噛むたびにじゅわっと汁があふれ出た。
「ね、どーお?」
ラーニャが料理の感想を求めてきた。どうやらオレの隣に立っているユノンさんもまた、オレが感想を口にするのを待っているようだった。ふたりの視線がオレのもとに集まっていた。
もぐもぐ、ごっくん。
オレは先ほど口に入れた野菜をごくりと飲み込んだ。口と胃の中が幸せでいっぱいだった。
「……ステーキ食べたかと思った」
オレが素直な感想を口にすると、ラーニャは満足そうに微笑んだ。
「でっしょおー?」
どうやら、彼女は自分の言うことが伝わって嬉しいらしい。たしかに、この野菜は「お肉みたいにジューシー!」だった。野菜マーケティングにそのまま使えそうなフレーズ。
いや、野菜マーケティングってなに?(謎)
「さぁさ、どんどんおあがり!」ユノンさんが言った。「おかわり欲しかったら声かけなさいね。すぐに持ってくるから」
「あ、ありがとう、ユノンさんっ……」
ユノンさんもまたラーニャと同じように満足そうな笑みを浮かべた。ふたりぶんの笑顔が賑やかな食堂内に溶け出した。
ご飯ってこんなに美味しかったんだ。
食事の時間ってこんなに幸せだったんだ。これ涙が出そうなくらい美味しい。なんていう野菜だろう〜……?
「んっふふ〜、あたしが特別にいっちばん美味しい食べかた教えたげるっ」ラーニャが言った。「このお野菜……あ、これリリピダンって言うんだけどね、これにはちょちょっとラムサスの粉かけてあげると良くってぇ——」
ラーニャは一番おいしい食べ方を丁寧に教えてくれた。彼女の言うとおりにすると、ただでさえ美味しかった野菜が倍マシになった。美味しさ爆弾。
お皿のうえにある野菜にさらに濃厚なスパイスがかかった。
どうやら、この村にはスパイスをよく使う食文化があるらしい。この辺りは南アジアの食文化に近い気がした。
そっか、これが最初に言ってたリリピダンっていうお野菜だったんだね。オレの中でもうキミはほぼステーキだよ。野菜のふりをした肉厚ステーキ。
オレはラーニャからの説明を聞きながら、彼女の嬉しそうな顔をじぃっと見つめた。
今にも涙が出そうなのは、この料理があまりにも美味しいからだろうか。今にも涙があふれそうなのは、この村の人たちがみんなあったかいからだろうか。実際のところは分からない。本当のところは分からない。
ただ1つだけ確かなのは、オレはラーニャが嬉しそうなのが嬉しかった。彼女が嬉しそうにしてるのが嬉しかったんだ。ほんとうに。
ラーニャの言ったとおりだった。この村はあったかい。とても、とても——。
涙がこぼれ出そうになるのを抑えながら、オレはラーニャと一緒に食事を楽しんだ。




