【1章】霊媒師ソニヤさん? 3
「ミリア、このことは誰にも話すんじゃないよ」ソニヤさんが顔を上げた。「あんたの言うとおり、きっと周りの子らを不安にさせるだけだろうからねぇ」
「はい……あ、あのっ」オレは言った。「昨夜のって、わたしの見間違いなんでしょうか?」
「さぁ、どうかねぇ。なにせ夜のことだから、あんたが見間違える可能性もゼロじゃあないだろうしねぇ」
「そう、ですよね……」
「ただ、ひとつ気になることはあるねぇ」
「えと、というと……?」
ソニヤさんは自分の首元を指差した。彼女がジェスチャーで何を伝えようとしているのかはまだイマイチぴんとこなかった。
「あの子のペンダントを見たかい、ミリア?」
「ロミの……えぇ、あの銀のペンダントですよね?」オレは言った。
「ありゃあ留め具が付いててねぇ、どれだけ器用でも動物の霊が外せるようなものじゃないのさぁ。つまりだ——」
オレはソニヤさんが何を伝えようとしているのかようやく分かった。いま彼女が伝えようとしているのは、今にも背筋が凍りそうな内容だった。
オレはソニヤさんが言うよりも先に、自分の頭に浮かんだことを口にした。
「……ロミが、ロミが自分で外したってことですか?」
ソニヤさんはただ静かにうなずいた。彼女のジェスチャーは言葉よりもずっとおしゃべりだった。
「まぁ、そう考えるのが妥当だろうさ」ソニヤさんは渋い顔をした。「もし昨晩あの子に取り憑いたのが獣なら、チェーンごと引きちぎるだろうからねぇ」
「……」
いつの間にか、オレは言葉をなくしてただ俯いていた。まるで、自分の頭の中に記憶がこちらに殴りかかって来ているかのようだった。この心は彼女が口にした事実にノックアウトされていた。
またそよ風が吹いた。
肌をなめるように滑っていく風が気持ちわるい。今はもう先ほどまでの感じ方とはまるで違っていた。
周りの音がどこか遠く聞こえる、周りの景色がどこか遠く感じる。視覚も聴覚もいつも通りちゃんと機能してくれない。まるで、自分の目と耳が何か別の存在に乗っ取られてしまったかのよう。
この気まずい沈黙を打ち破ったのはソニヤさんだった。
「……ちょいと小話をしよう。こんな言い伝えを知ってるかい、ミリア?」ソニヤさんは語り始めた。「彼の者は目を欲した。彼が欲したのは乙女の瞳だった。うら若き乙女が有する目こそ、世界を視るための窓だからだ——」
「目を……」
「まぁ、しょせんはこの辺に伝わる伝承さぁ。根拠があるかどうかまでは分からんね」
「そう、ですね……言い伝えって実際より誇張されてることも少なくないですし」
「ほお。まるで実際に見てきたみたいな口ぶりだね、ミリア?」
「い、いえ、そのぉ……」オレは狼狽えた。「あ、あくまで一般論を言っただけで……」
「はっは、そう謙遜しなくてもいいねぇ。あんたの言うことにも確かに一理あるよ、ミリア」ソニヤさんは笑った。「古くからの言い伝えは人の役に立つこともあるが、人の心を惑わす厄介者になるときもあるからねぇ。まぁ、あまり本気にし過ぎないことさぁ。しょせんは伝承だからねぇ」
「はい……」
「あの子は霊感が特に強いからねぇ。きっと、昨晩は変なのがロミに引き寄せられたんだろうよ」
「霊感、ですか……」
ソニヤさんがこくりとうなずいた。肯定を示すジェスチャーだった。
「霊感が強い子はどこにでもいるものさぁ。本人が望むと望まずとに関わらず、ね」
「な、なるほど……?」オレは小首をかしげた。
「まぁ、あの魔除けを置いときゃあ大丈夫さぁ」ソニヤさんが言った。「ありゃあ、お天道さまのパワーをうんと蓄えた一品だからねぇ。霊言あらたかな置き物さぁ」
「その、太陽には霊を退けるチカラがあるんですか?」
「そうとも、霊ってのは太陽の輝きを嫌がるもんなのさ。ありゃあ闇を照らす光だからねぇ」
「そう、ですか……あの子が無事に過ごせるなら何よりです」
「あんたの言うとおりだよ、ミリア」ソニヤさんはやっぱり笑った。「さぁて、そろそろ行こうかね。もうじき店も開けなきゃならんからねぇ」
「あ、わたしお店までお送りしますっ」
「はっは、あんたは気遣い屋だねぇミリア。それには及ばないよ」
ソニヤさんはそばに寄ろうとするオレを手で制した。彼女からジェスチャーでストップをかけられたオレは、ソニヤさんのもとに近寄ろうとする足の動きを止めた。
中途半端に止まった自分の足がひどく不恰好に思えた。
「え、でも……」オレは引き下がった。
「この年寄りは1人の時間が嫌いじゃないのさぁ」ソニヤさんが言った。「あんたにもたまに1人でのんびりしたいときはあるだろ、ミリア?」
「そう、ですね……」
ソニヤさんの言葉はオレを空想の世界に連れ出した。自分の頭の中にある記憶を心の手でかき分けると、空想の海にただよっていたのは向こうの世界での記憶だった。
いつもの通学路。
いつもの交差点、いつもの帰り道。塾の帰りにあの公園を歩くのもいつも通り。
どうしてだろう。どうして今こんなことを思い出すんだろう。今はもう遠い過去のように思える記憶が脳内を駆け回り、この世界に来て間もないころの光景と混ざり合わさった。
先ほどのソニヤさんの言葉には何か含みがあるように思えた。
たまにはひとりで。たまには1人でのんびりと。あのとき1人じゃなかったら未来は変わってたのかな。あのとき普通に家に帰ってたらこの世界に来ることもなかったのかな?
答えは分からない。
どうしたってあの港に落ちたかもしれないし、あのとき水に落ちなければ未来は変わってた——かもしれない。答えは分からない。
ほんの短い時間だったはずなのに、こうして考えている瞬間がひどく長く感じた。まるで、うんと難しい数学問題に挑んでいるときのよう。頭の中でどれだけ可能性を検討しようとも、やっぱり正しい答えが出るはずはなかった。
時間に追われていたあの頃がとても昔のことのように思えた。
「……えぇ、よく分かります」
オレは時間をかけてたっぷり考えたあとで返事をした。
ソニヤさんがどれくらい待ってくれていたのかは分からない。ひょっとしたら、オレが思っているよりずっと短い時間だったかもしれない。
「気持ちだけいただいとくよ。ありがとうねぇ、ミリア」
「いえ、こちらこそ」オレは軽く頭を下げた。
たった今オレは頭を下げたとき、とっさに自分の胸に手を当てた。どうやら、この身体はもうこちらの世界の文化に馴染みつつあるようだった。
あちらの世界では交わされなかった挨拶。
こちらの世界の礼儀がもう、この心に馴染み始めている。人間の文化適応力はつくづくしたたかだと思った。
お互いに別れを告げたあと、ソニヤさんは道の向こうに歩いて行った。オレはだんだんと小さくなっていく彼女の背中を見送った。あのゆったりとした足取りがソニヤさんを目的地まで運んでくれることを願って。
もうすっかりソニヤさんの背中が小さくなったころ、オレも寮に戻ろうときびすを返して道を歩き出した。
「にゃー」
目的地へと向かう道すがら、どこからか猫らしき鳴き声が聞こえてきた。どこかで聞き覚えのある鳴き声だと思った。
オレは発声元を探そうと辺りをきょろきょろと見回した。
「あ、今朝の……」
草陰からひょっこり顔をのぞかせたのは、今朝(昨夜?)見かけた猫ちゃんだった。
「にゃあー」
黒猫がオレを見ながらひと声鳴いた。あのくりくりしたおめめがこちらをじぃ〜っと見つめている。すーぱーきゅーと。
や、かわいいけども。
大変かわいらしいですけども。ほんっと野良のわりに人懐っこい猫ちゃんだねー?(ほんとに!)
向こうにいる黒猫と目線を合わせるよう、オレは両膝を折ってその場にしゃがんだ。猫ちゃんは相変わらずこちらをじぃっと見ている。これじゃ警戒してるのかしてないのか分かんないね。
「猫ちゃん、これからどっかお出かけ?」オレはたずねた。
「にゃあーん」
「そっかぁ、お出かけかぁ。気を付けて行ってきてね?」
「にゃふんっ」
黒猫はぶるるっと身体を震わせた。どうやら、もうとっくにお出かけの準備はできていたらしい。はぁい、よけいな世話焼いてごめんなさぁ〜い。
猫ちゃんの目はソニヤさんと同じ琥珀色だった。
あの暗がりじゃ色までは識別できなかったけど、今こうして朝日のもとで見るとハッキリわかる。きれいな琥珀色だね。
目の前にいる猫ちゃんはのんきにも、舌で自分の前足をぺろぺろしていた。どうやら、この野良猫ちゃんはグルーミングに余念がないらしい。人間がいることもお構いなしののんきっぷりだった。
「かわいいねー、猫ちゃあん。おててペロペロしてるんだ?」
「にゃ」黒猫が鳴いた。
「あは。まるで『そうだよ』って言ってるみたいだね?」
「にゃあー」
黒猫はオレが話しかけるたびに鳴き声をあげた。野良猫とは思えないくらいの応答っぷりだった。ひょっとして、この子こっちの言葉わかってたりしなぁい?
オレは目の前にいる猫ちゃんの頭をなでてあげた。
こちらが頭をなでなでしてあげると、黒猫は気持ちよさそうに目を細めた。頭なでなでから始まるネコみゅにけーしょん。
時間に追われていたあの頃とは違って、今は野良猫と戯れることだってできる。どこかの誰かに遠慮することもなく、今このひと時を楽しむことができる。とつぜん現れた黒猫がオレに生物本来の時間の過ごし方を教えてくれた……ような気がする。わかんないけど。
オレは猫ちゃんに向かって小さく手を振った。黒猫がこちらの手の動きに合わせて顔を左右に動かした。はいぱーきゅーと。
「わたしもう行くね。ばいばーい」
「にゃー」黒猫が鳴いた。
こちらが別れの挨拶をすると、黒猫は道の向こうにのそのそと歩いていった。ソニヤさんの足取りを思わせるゆったりとした足運びだった。
なんだったんだろ、あの野良猫ちゃん。
突然どこからか現れたと思ったら姿を消して、まるでどこかの国の忍者みたいな身のこなし。
また会えると思ってなかったから少しびっくり。あの黒猫の神出鬼没っぷりには本職の忍者たちも息を巻くだろーね。いえすいえーす、忍びの国の黒猫ちゃんだってばよー。
道の向こうに消えていく猫を見送ったあと、オレは再び来た道を戻って寮へと向かった。
どうしてか、あの猫の目とソニヤさんの眼差しとが重なって見えた。




