【7章】ひとりにしないで 1
真夜中。
もうみんなが寝静まった時間帯。
虫の鳴き声が遠く聞こえる中、オレはぱちっと目を覚ました。視線の先にある天井が薄ぼんやりと見えた。
寝ぼけ眼をこすりながらオレはむくりと起き上がり、自分の身体にかかっているブランケットをどかした。すぐ隣にはスヤスヤと眠るラーニャの姿があった。
オレは彼女を起こさないよう静かにベッドから降りた。
どうやら、ラーニャは今もまだ夢の中らしい。この子が寝ている途中で風邪を引いてしまわないよう、オレは彼女の身体にブランケットをかけ直してあげた。
「うぅん……」
直後、ラーニャがもそっと寝返りを打った。とつぜんの出来事にオレは内心びくっとしてしまう。なぁんてチキンなわてくしなのでしょお〜(※自虐)。
どうやら、彼女は目を覚ましたわけではないらしい。ほっとひと安心。
オレはばくばくと脈打つ心臓の鼓動を感じながら、尿意にうながされるままドアのほうへと向かった。部屋を出るときもそぉ〜っとそお〜っと。
ゆっくりと閉めたドアは音もなく閉じた。
ぐっすり寝ている人を起こすのは忍びない。オレは今まさに夢の世界を旅しているラーニャを起こさないよう部屋を出た。
夜の廊下はひと気と無縁だった。辺りを見渡してもどこにも人の気配はなく、窓の外から虫の鳴き声が聞こえてくるだけ。無人の小回廊はホラーな雰囲気たっぷりだった。背筋ぶるるっ。
んん、さっき紅茶のみ過ぎちゃったかな。
べつにお紅茶がぶ飲みしたわけでもないのに、どうしてか今夜に限っては尿意がこんばんわ。
いまは月明かりがあるせいか廊下も明るい。今から光の石を取りに戻るのも手間なので、オレはこのままトイレに向かうことにした。石も点々とあるから多分いける。多分ね、たぶん(期待)。
月明かりが行く先を照らしている。
廊下には等間隔で光の石が置かれていて、夜目でもじゅうぶんなほど辺りは明るい。
オレはできるだけ足音を立てないように廊下を歩いた。音も立てずに目的地に向かう姿は、どこかの国の忍者そのものだった。いえすいえーす、忍びの国のくノ一だってばよー。
「……」
オレはすり足じみた動きでトイレへと向かった。ぺたぺたと歩くたびに足の裏が床に触れて、夜独特の冷たさが足を通じて伝わってきた。
目がだんだんと夜の闇に慣れてきたせいか、視線の先にあるものがハッキリ見えてきた。
等間隔で置かれた石の光は少し心許ない。むしろ今夜の月明かりのほうが光源として頼りになるくらいだった。あの空に浮かぶ月がオレの行く先を照らしてくれている。
しばらく道なりに歩いていると、やがてお手洗いにたどり着いた。
オレはやっぱりドアをそお〜っと開けて、手早く用を済ませようとトイレに入った。頭上にある小さな窓から月明かりが差し込んでいた。
さっと済ませてサッと部屋に戻ろう。
オレの心と身体がよくリンクしているのか、トイレに費やす時間はほんのわずかだった。
さくっと用を済ませたあとトイレを出ると、先ほどまでの尿意はすでに姿を消していた。どうやら、夜のお化けは用を済ませたら姿を消すらしい。
先ほどトイレに入ったときと同じく、出るときもドアをゆっくりと閉めた。そお〜っと、そお〜っと。
寝起きの脳はもうかなり覚醒していた。先ほどまでのおぼろげな脳の状態とはまるで違って、オレの頭にかかっていた霧はとうに消え失せていた。今ではもう今夜の出来事をハッキリと思い出せるくらいだった。
ロミ、大丈夫かなぁ。ちょっと心配。
今夜はスィラが一緒に寝てくれてるらしいけど、あんなことがあった後でちゃんと眠れるのかな。ゆっくり休めてるといいけど。
きっと、ぬいぐるみも一緒だから大丈夫だね。すぐ隣にはスィラもいてくれて、お気に入りのぬいぐるみもある。なにかあったときはみんなすぐ駆けつけるから大丈夫。あの子の安眠をうながす要素がこんなにいっぱいだから大丈夫。うん、きっと大丈夫——。
オレはここにいないロミの安眠を願いながら、いま歩いてきた来た道をもう一度歩き始めた。
自分の呼吸の音がやけにハッキリと聞こえた。周りから聞こえる虫の鳴き声が小さいせいか、脳が他の音を拾おうと勝手に反応してしまう。どうやら、この脳と耳はオートメーションが得意らしい。
夜は深く、闇も深い。
あの夜空をじぃっと眺めていると、暗闇の向こうに吸い込まれてしまいそう。
ひと気のない廊下は非日常的だった。日中は賑やかな声が飛び交っているせいか、物音がほとんどない夜中の小回廊は不気味。
夜の静けさが溶け出した廊下を歩くのはこんなにも心細い。はやく戻んなきゃ。
自分の部屋へと向かう途中、どこからかドアの開閉音が聞こえた。ぱたんと。
「……ミリア?」
道の先からオレを呼ぶ声が聞こえた。暗闇の向こうで人影が揺らぐのが見えた。
今のは聞き馴染みのある声だと自分の脳が認識してもなお、とつぜん声をかけられたオレの身体はびくっとしてしまう。肩びっく——————!(心臓どきんこっ♡)
オレはばくばくと脈打つ鼓動を感じながら、視線の先にいる人物にじっと目をこらした。
「え、あ、ラーニャ……?」
オレは視線の先にいるあの子の名前を呼んだ。夜目のせいで彼女の姿はまだ少しおぼろげながら、目の前にある人影は確かにラーニャのものだった。
「ミリアっ」
オレの声を聞くやいなや、ラーニャがすぐさまこちらに駆け寄ってきた。たたたっと廊下を忙しなく駆ける足音が辺りに響きわたった。
「もおっ、黙って出てかないでよお」ラーニャが抱きついてきた。「あたし、あたしっ……ミリアまでいなくなっちゃったかと思ってえっ……」
「あ……そっか、ごめん」
「ばかっ。ばかばかぁっ」
「ごめん、ごめんね。ごめん、ラーニャ……」
どうやら、ラーニャは珍しくご立腹のようだった。こちらの胸をぽかぽかと叩く動きに彼女の怒りがよくあらわれていた。いちおー言っとくけど、あんまり痛くないほうのぽかぽかだからねー?
そっか、そうだよね。
自分の隣で寝てたはずの人が急にいなくなってたらびっくりするよね。
ましてや、あんなことが起きたあとだから。いつもはおっとりしてるラーニャがこうして怒ってるのが何よりの証拠。きっと、さっきのオレの行動はこの子を不安にさせた。そうに違いない。
「ごめん、わたしの考えが足りなかったね」
「……こわかった」
「ごめんね、ラーニャ……」オレは言った。「急にいなくなったら不安になるよね。ほんとごめん……」
「……」
オレはしばらくラーニャをぎゅっと抱きしめていた。こちらの腕の中におさまる彼女は、少しだけ震えているように思えた。じゅびっ、と鼻をすする音が聞こえた。
ラーニャは相変わらずオレの胸に顔を埋めたままだった。
「……ひとりにしないで」
彼女はすがるような声でぼそっと呟いた。いつものラーニャからはあまり想像できないくらい弱々しい声だった。ひょっとしたら、寝起きのせいもあるのかもしれない。
オレは腕の中にいる彼女の背中をそっとさすった。
「わかった、次からちゃんと声かけるから。ね?」
「ん……」
「ごめんね、こんな不安にさせちゃって……」オレは言った。「どうせすぐ戻るから、わざわざ起こすのもどうかなって思ったの。わたしが間違ってたね」
「……んーん、ミリアがあたしに気ぃつかってくれたのは分かるよぉ」
「そっか、よかった」
「んだけど、次からは声かけてねぇ。心配になるからぁ……」
「わかった、そうする」
「あとあとぉ、さっき『ばか』って言ってごめんね?」ラーニャは謝った。
「うぅん、ラーニャの気持ちも分かるから。次からちゃんと気を付けるから、ね?」
「約束だよお?」
「うん、約束」
もう気持ちが落ち着いたのか、ラーニャはようやくオレの元から離れた。まだ自分の胸の辺りに彼女の体温が残っている気がした。手錠がちゃんこ。
身体が離れはしたものの、お互いにまだ手はつないだままだった。
「はぁ〜、あたしもう目ぇ冴えちゃったあ」
「そう、だね……ごめんね?」今度はオレが謝った。
「あはは、もう謝んなくって大丈夫だよぉ」ラーニャは笑った。「あたしのほうこそごめんねえ、つい感情的になっちゃってぇ。さっきミリアにヒドいこと言って……」
「うぅん、大丈夫だよ。そうさせたのはわたしだから」
「んじゃあ、これでもう謝りっこなーしっ。ね?」
「そだね、もう2人ともじゅうぶん謝ったかもだし」
「いえーす、ざっつらーいとっ」
オレとラーニャは隣り合って一緒に部屋へと向かった。廊下を歩き始める直前、ラーニャがするっと腕を絡ませてきた。
まるでやんちゃな子の手を離すまいとするお母さんのように、彼女はオレの腕に自分の腕を絡ませてぎゅうっと強く握った。ちょっと歩きづらい。
きっと不安にさせたに違いない。
この子の今の振る舞いに彼女の気持ちがよくよくあらわれてる。そんな気がした。
まぁ、さっき若干どきっとしたけども。あのシリアスな状況で言うのは場違いだと思ったから黙ってたけど、さっきラーニャに抱きつかれたときオレ内心どきっとしたからねっ?(逮捕♡)
現在の密着度合いに少しだけドギマギしながらも、オレは平静を装ったままラーニャと一緒に歩いた。
「にゃあー」
突然どこからか猫の鳴き声が聞こえた瞬間、ラーニャが「きゃっ」と小さく声を上げた。
「え、あ……ネコ?」
オレは廊下の奥にじぃっと目をこらした。
よくよく見てみると、道の先で1匹の猫がちょこんと座っていた。廊下の向こうでにゃんと鳴き声をあげた猫ちゃんは、後ろ足を床にぺたんとつけて待ちの姿勢をしていた。
あらぁ、なぁんてお行儀のいい猫ちゃんなのでしょお〜。
「にゃあーん」
猫ちゃんはすっくと立ち上がったあと、きびすを返して廊下の奥へ歩き出した。
オレとラーニャは猫の行く先をただ見つめていた。
あの猫ちゃんはどこから入ってきたんだろう。あの猫ちゃんはどこに行くつもりなんだろう?
そのまま寮から出て行くのかと思いきや、猫ちゃんがくるりとこちらを振り向いた。あの金色のおめめがこちらをじっと見つめている。まるで、目で何か伝えたがっているかのようだった。
「にゃーん」
猫がまたひと声鳴いた。まるで「私に付いてきて」と言わんばかりの振る舞いだった。
オレは猫ちゃんからラーニャのほうに目を移した。
彼女もちょうどこちらに顔を向けたタイミングだった。ラーニャの目には少しばかりの好奇心と戸惑いが混じっているように見えた。
「ついてきて、って言ってるのかな……?」オレは言った。
「あ、やっぱミリアもそう思う?」
「そう、だね……そんな気がする」
「あの猫ちゃん、どっから入ってきたんだろねぇ」ラーニャが言った。「うちにもたまーに猫が入ってくることはあるけどお、こんな風に夜に見かけるのはあたしも初めてかなぁ。夜って大体みんな寝てるしぃ」
「そだね、よい子は寝る時間だもんね」
「お肌にもよくないもんねぇ、夜更かしするとっ」
「にゃあー」猫が割り込んできた。
「あ、また鳴いた……」オレはぼそっと呟いた。
「あはは、なぁんか急かしてるみたいだねぇ。『ほら、はやく付いてきて!』ってぇ」
「そうだね……えっと、あの子についてってみよっか?」
「んん〜、そだねぇ……」ラーニャは迷っていた。「んじゃあ、ちょっとだけっ。ちょうど目も冴えちゃったしぃ」
「そだね、ちょっとだけ……」
どうやら、ラーニャも好奇心には勝てなかったらしい。あの猫は相変わらず半身の状態でこちらを見つめていた。暗がりの中で金色の目が光るようすは少しミステリアスだった。
オレはラーニャと一緒に猫の後をついていった。
先行して歩く猫の足取りは迷いがなく、夜の廊下をすいすい〜っと歩いていた。あの足運びでどこに向かうつもりなんだろう?
とつぜん現れた猫は屋外へ向かっているようだった。あの猫が歩く先には少しだけ開いたドアがあり、あの隙間から中に入ってきたことがうかがえた。もお、戸締りはちゃあんとしなきゃだぞおー?
ラーニャがいっそう強くオレの腕をにぎった。ぎゅうっと。
「……ねぇ、このまま付いてって大丈夫かなぁ?」
ラーニャの声にはいくばくかの不安が滲んでいた。昨夜あんなことが起きたあとなだけに、彼女の心には今もまだ恐怖の余韻が残っているのかもしれない。
しぜんと、オレとラーニャの足取りは重くなっていた。
「そう、だね……」
オレは腕にしがみつく彼女の手にそっと自分の手を重ねた。心なしか、ラーニャの手先は少しだけ冷たくなっているような気がした。




