【6章】この気持ちに名前を付けて 1
夜。
ロミの捜索を終えたあと。
小道を離れ寮に戻ってきたオレたちは、ひとまずロミを彼女の自室まで送った。
終始、ロミは戸惑っているようだった。あの子はどうしてあの小道に立っていたんだろう。あの子はどうして裸足のまま外に出たんだろう。どうして、どうして——。
オレが部屋でひとり考えても答えは出ない。
いまはロミと付き合いが長いあの子たちに任せたほうがいい。オレは部屋でひとりラーニャたちからの報告を待つばかりだった。
窓の向こうには夜が浮かんでいる。先ほどまで恐怖の対象だった暗闇は、今はもう普段どおりの日常風景と化していた。あの星々が今もなおこちらを見下ろしている。
夜空に浮かぶ雲が灰色みを帯びている。
月の光が雲のアウトラインをわずかに透かし、薄らぼんやりとしたグレーを映し出していた。
夜の海に浮かぶ星々は相変わらずきらびやか。先ほどの捜索劇なんて知らないかのように星がきらめき、黒一色の夜景をぴかぴかと明滅する光たちで彩っていた。
頭上の空が闇に染まる中、オレは先ほど見た光景を思い出していた。
あのときの目はなんだったんだろう。あのモザイクがかかったよな光景はなんだったんだろう。見間違いだと思いたくなるほどのあの光景は、いったい——。
過去の記憶を掘り返しても、やっぱり答えは出なかった。
ひょっとしたら、ほんとうにオレの見間違いだったのかも。あの状況じゃおかしな見間違いをしたって不思議じゃないと思うし。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。お化けだと思っていたものがただの枯れ木だった。お化けだと思っていたものがただの白い布切れだった。じっさい、ストレス環境では見間違いも増えるらしい。
ひとの記憶は思ったよりもずっと不確か。脳内での記憶の混同は割と日常茶飯事なんだって。
エピソード記憶は他の記憶からの干渉を受ける。日時すら異なる別々の出来事を「おなじ日に起きたこと」と思いこともままあるらしい。ふぅん、そうなのぉ?
記憶は脳内で別のストーリーに置き換えられることも少なくない。
じっさい、恐怖や不安のような強い感情を抱いているときほど、まったく別の記憶と記憶どうしが結びついて記憶違いが起きやすくなるのだそう。記憶は思いのほか頼りにならない。
あのときはみんな焦ってた。
オレも含めて、ラーニャもスィラも焦ってたと思う。ロミにもしものことがないか心配で心配で。「ロミ、どこ行ったの?」って。
きっとみんな「はやく見つけなきゃ!」って気持ちでいっぱいだったと思う。ひとりでどっか消えたロミのことが気がかりで、オレもラーニャも冷静ではいられなかったはず。もちろん、あの時いちばん責任を感じてたスィラも含めて。
だから何もおかしくない。
あのときオレが一瞬おかしなものを見たとしても、ネガティブな感情がそうさせたからだって思える。
視覚情報は記憶との結び付きが特に強い。ひとの脳内に入ってくる情報の80%は視覚情報で、感情がたかぶったときは視界もおかしくなりやすい。少なくとも、白いシーツをお化けと錯覚するくらいには——。
——ほんとにそうなのかな?
「……」
オレは自分の手元にあるペンダントをまじまじと見た。ロミが身に付けていたはずのアクサリーは、使用感があること以外は至って普通だった。
桃色の宝石をぶら下げたペンダントトップ。
銀のチェーンはどこも切れてはおらず、フック部分も特に問題なく開閉できた。光に照らされた金属光沢が目にまぶしい。
このペンダント、なんであんなとこに落ちてたんだろ。さいしょあの井戸を見たときはなかったはずなのに、まるで姿を消していたお化けがまた現れるみたいに。さいしょ井戸に行ったときは、ただたんに見落としてただけ?
そうかもしれない。たんに視界に入らなかったのかも。
だって、さいしょはロミを探すことで頭がいっぱいだったから。あの時このペンダントを見落としたとしても不思議じゃない。それくらい切羽詰まった状況だったと思うから。
オレは頭の中でアレコレと考えながら、手元にあるロミのペンダントを調べた。
自分の考えが言い訳めいているのはどうしてだろう。今こうして自分が考えていることが言い訳じみて聞こえるのはどうしてだろう。自分で自分の理屈に納得できてないのはどうして?
やっぱり答えは分からない。オレにはなにも分からない。そう、なにも——。
こんこんっ、とドアをノックする音が背後から聞こえた。
自分の思考にどっぷりと浸かっていたオレは、とつぜんの物音に少々びっくりしてしまった。肩びっく——————んっ!(心臓どきんこっ♡)
「ミリアー、いるぅー?」
ラーニャの声だった。ドア1枚へだてた向こうから聞こえてきたのは、夜も変わらずお日さまのように明るい声だった。
「ラーニャ。どうぞ入って」
「はぁ〜い」
オレの視線の先にあるドアレバーがひとりでに動いた。開いたドアの隙間から、ひょこっと顔を覗かせたのは太陽だった。いいえ、違います。ラーニャです。
彼女は部屋に入ってきたその足でこちらに歩み寄ってきた。
「ロミの様子どう?」オレはたずねた。
「もうだいぶ落ち着いたよぉ。今はスィラたちが一緒にいてくれてる」
「そっかぁ、よかった……」
「あとねぇ、今夜はスィラがロミと一緒に寝てくれるってえ」ラーニャが言った。「今日ひとりで寝るのは不安だろーから、誰かそばにいたほうがいーかもねって。ほら、あの子って元々ひとり苦手じゃあん?」
「そだね、そのほうがいいと思う。あんなことがあった直後だし……」
「今夜ひとりで寝るのヤだよねぇ。ロミは当事者なわけだしぃ〜」
「うん、そう思う。スィラが一緒にいてくれるなら安心だね?」
「スィラすっごい心配してたよぉ、ロミのこと」ラーニャは苦笑いをした。「あの子まだ責任感じてるみたいでね。さっき今夜だれが一緒にいるかって話のときに、すぅぐ手ぇあげて『私がロミと一緒に!』って」
「そっか……その、スィラのせいじゃないと思うんだけど」
「ねー、あたしもそお思う。きっとスィラも心配なんだろーね、ロミのことが」
「そだね、それはそう。さっきロミ探してるとき、わたしも心配だったから……」
「無事にロミ帰ってきて良かったねぇ、ほんとに。あのときのミリアかっこよかったよぉ」
「えっ。な、なにが……?」オレは戸惑った。
「ほらぁ、ロミ探してるときのミリアずっと冷静だったでしょお?」ラーニャが言った。「スィラが取り乱しちゃったときとかも、ミリアが最初に落ち着かせてくれたし。『外に出て探してみよう!』って初めに言い出したのも、井戸でペンダント見つけたのもミリアだったじゃあん?」
「そう、だね……そのほうが可能性ありそうだと思ったから。つい……」
「ロミが見つかったのもミリアのおかげだよぉ。ありがとーね?」
「や、そんな……ともかく、あの子が無事に見つかって良かったよ」
「んだねぇ」
ラーニャは嬉しそうに頬をほころばせた。むいっとくぼんだ笑窪に彼女の今の気持ちがよくあらわれているような気がした。
オレは机のうえに置いていたペンダントを手に取った。
「あの、これ……」
オレは手に持ったペンダントをラーニャに見せた。彼女の視線がこちらの手元に注がれた。
光に照らされた銀色のチェーンは金属光沢を帯びていた。オレの手のひらにあるアクセサリーが重力に負けてだらんと垂れ下がった。
「いちおう調べてみたけど、とくに壊れたところとかはなかったよ」オレは言った。「フックも普通に開閉できるし、宝石が取れたところもないし……このまま使ってもらって大丈夫だと思う」
「よかったぁ。ありがとお、ミリア〜」
「ただ、その……これ今日はロミに見せないほうがいいのかなって」
「あー……うん、そだねぇ」ラーニャが言った。「今のロミからしたら『いわく付きのアクセ』だもんね。そのほうがいいかも」
「うん……」
「これ何で井戸にあったんだろねぇ。最初あそこ見たときはなかったと思うけど〜……」
「やっぱりラーニャもそう思う?」
「うん、ふしぎだなぁって。あたしたち3人とも見落としちゃってたのかなあ?」
「わたし、さっきそのこと考えてたの。あの状況なら見落としててもおかしくないかもって……」
「そーだねぇ。すぅ〜っごい差し迫った状況だったもんね?」
「そだね、そう思う」
どうやら、ラーニャもオレと似た感想を抱いたようだった。
あの切迫した状況なら足元にあるアクセを見落としても不思議じゃない……どうやら、そう思う心は2人とも一緒だったらしい。オレは自分の推測が見当はずれでないことに少し安心した。
オレは自分の手にひらにあるペンダントに目を向けた。
銀色のチェーンは相変わらず金属光沢を帯びている。このギラギラした輝きがかえって不気味さをかもし出していた。
ほんの少しだけ手の位置をズラすと、光に反射した桃色の宝石がキラッときらめいた。中心へと吸い込まれそうなほど鮮やかなピンクは、この石がよく磨き上げられたものだと示していた。クラリティも驚くほど高い宝石だった。
センターストーンを彩るパヴェ・セッティング。
真ん中にある宝石の周りは小さな石たちで装飾されている。まるで、たくさんのメイドたちが女王さまを取り囲んでいるかのよう。宝石の女王はたくさんのお手伝いを従えていた。
「その、このアクセいつロミに渡そっか?」オレは言った。「今夜はまだ渡すタイミングじゃないとして、いつ頃あの子に返すのがいいのかなあって。あんまり遅くなるのも……」
「うぅ〜ん、そだねぇ……ロミ本人が無いことに気付いてからでもいーんじゃなあい?」
「そう、だね……こっちから切り出して下手に不安にさせるのもね」
「そおそお〜。ロミの心の整理がつくのがいつか分かんないしぃ、向こうが切り出してきたタイミングでいーと思う」
「そだね、そうしよっか。わたしがコレ預かるのでもいーい?」
「ん、全然いーよぉ」ラーニャはうなずいた。「ミリアなら大切に預かっててくれそーだしぃ」
「そ、そっか。じゃあそゆことで……」
「おっけー、保管よろしくお願いしまぁ〜す」
「ま、任されました……」
ラーニャはここにいないロミの代わりに軽く頭を下げた。
ロミのペンダント保管みっしょん♡を請け負ったオレも彼女に釣られて頭を下げた。ふたりの間で会釈合戦の狼煙があがった瞬間だった。違います。
オレは近くにあった手ぬぐいでペンダントをくるんで、中身が傷付かないようアクセを中心に四つ折りにした。
コンパクトにおさまった手ぬぐいを、オレは引き出しの中にしまい込んだ。あの机の引き出しが今は宝石箱のような役目を果たしてくれた。
「ラーニャ、もう自分の部屋もどる?」オレはたずねた。「もしまだ居るようなら、わたしお茶か何か淹れてこよっか?」
「あ、あたしも一緒に行く〜。ちょうど今お茶のみたいなって思ってたんだぁ」
「わたしも、さすがにノド乾いたかも。こっち戻ってきてから何も飲んでないし……」
「ねー、だよねぇ。正直それどころじゃなかったもおん」
オレとラーニャはどちらからともなくイスから立ち上がった。先ほどまで身体をあずけていた木のイスは、今となってはもうがらんどうになっていた。
オレはラーニャと一緒に自室を後にした。
後ろ手にドアを閉めたあと、オレは彼女と隣り合う形で廊下を歩き出した。左側はラーニャのいつのも定位置だった。
これは単なる慣れだろうか。この子はオレと一緒に歩くときいつも左側を歩こうとする。ひょっとしたら、右側を歩くと少なからず違和感があるのかもしれない。わかんないけど。
窓の外はもうすっかり暗くなっている。
夜の帳が下りた屋外の風景は、まるで黒曜石のように真っ暗。窓の向こうに見える星々は相変わらずのきらめきだった。




