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【5章】あの子が消えた星月夜 1


 夜。

 食後のわずかなひと時。

 みんなと一緒に晩ご飯を食べたあと、オレは自分の部屋で本を読んでいた。

 オレは目の前にある文字列を目でたどった。あの図書館から借りてきた本はとても興味ぶかく、この村の文化を知るにはまさにうってつけだった。

 まるで、お腹を空かせた魚のよう。いま自分の目の前にある意味不明な文字が心の空腹を満たしてくれた。自分の知らないことばかりがズラっと書かれているせいか、この本はオレの知的好奇心を満たすのにはぴったりだった。

 どうたら、この読書欲は朝も夜も関係ないらしい。

 どの時間帯かに関係なく、オレの知識欲はエサを求めてサバンナを彷徨い歩くハイエナのように知識を求めた。節操なしの好奇心さんこんばんわ。

「……」

 オレは目の前にある本から窓の外へと視線を移した。窓の向こうはもうすっかり暗くなっていた。

 夜空には星々がまたたいている。

 あの夜の海を泳ぐ星の魚たちは相変わらずキレイで、向こうの世界では見られないきらめきを宿していた。あの銀河は何て名前だろうー……?

 この世界は夜が暗い。文明の光がある向こうの世界とは違って、こちらの世界では夜がちゃんと暗かった。夜になれば月が顔を出し、星たちもきらきらと輝く——この村では人工光で隠される星の瞬きが今も健在だった。

 どうやら、この辺では光害による影響が少ないらしい。

 光と言えば光の石の輝きくらいのもので、これで星の瞬きをおおい隠すのは難しい。この村の夜はとても夜らしい夜だった。

 こんなにゆっくりと本を読むのはいつ振りだろう、こんなにゆっくりと星を観るのはいつ振りだろう。とてもじゃないけれど、もう思い出せないくらい遠い過去のように思えた。

 この星空観察はニセモノじゃない。あのプラネタリウムは本物だった。

 夜空のスクリーンに浮かぶ星々はまさにホンモノで、あの海を泳ぐ光の魚たちは今もキラキラ輝いている。明滅を繰り返す光は星が生きた証をこちらに示していた。

 オレは再び手元の本に目を向けた。

 読書に疲れたら夜の海を見上げて、星を眺め終わったらまた本を読む。このサイクルがオレの集中力を長引かせてくれた。

 自然の景色と集中力(=注意力)との関連を調べた研究データによると、たった5分ぽっち自然に触れるだけでも人間の集中力は回復するらしい。

 心理学には『注意管理理論』という考えがある。

 ホモ・サピエンスの脳は昔の野生環境に適応しているため、緑が少ないところではおのずと集中が削がれやすい傾向に。

 人間の脳はコンクリート・ジャングルよりも、自然ゆたかなジャングルと長らく接してきた。セメントに囲まれた人工環境よりも自然環境のほうが適しているのは、ホモ・サピエンスが20万年の月日をかけてサバンナに適応したから。

 進化の名残りは現代人の集中力にもよくあらわれている。

 じっさいに、ふだんは屋内で過ごしている子どもたちに外で遊ぶよううながすと、外出後に受けてもらったテストで①集中力や②記憶力などのスコアが伸びたのだそう。

 子どもによっては以前より③メンタルのコントロールもしやすくなったそうで、気分転換に外に出ることが学生たちの心のケアに欠かせないことが証明された。

 外に出れば怒りも不安も和らぐ。自然がひとの心を癒してくれる。

 ひょっとしたら、イライラやソワソワの原因は「外に出ていないこと」にあるのかもしれない。ひとは誰しも自然の子だから。大自然に生かされてきたから。

「……ふぅっ」

 しばらく本を読み進めたところでオレはひと息ついた。ふっと吐き出した息が薄明るい室内に溶け出した。

 あの星空は文明を映し出す鏡だった。

 電気が発達していると星々が瞬く夜の海は見えず、天然のプラネタリウムを眺めることさえ叶わない。

 あの海が見えるのは文明が眠りについているおかげ。あの光の魚たちをこうして眺められるのは、文明がまだ息をひそめているおかげだった。星空の原生林は文明が発達した社会じゃ到底のぞめない。

 束の間の読書を終えてちょうどひと息ついた頃、オレはドアの向こうが騒がしいことに気付いた。どたどた。

「……?」

 寮の廊下はいつになく騒がしかった。いくつもの足音がドアの向こうから重なって聞こえた。

 扉越しにドタドタと忙しない音が聞こえてきて、不思議におもったオレはイスから立ち上がった。ドアレバーを掴んで自室のドアを開けると、ちょうどスィラが近くを通りかかったところだった。

「あ、スィラ。これ何の騒ぎ?」

「ミリア……」スィラは不安げな顔をしていた。「ロミが……ロミがいないって……」

「えっ」オレは驚いた。

「夕食のあとから誰も見かけてないって。あの子の部屋に行ってもいないみたいで、みんなもどこ行っちゃったんだろうって……」

「わ、わたしも一緒に探すよ。どっか心当たりとかは?」

 スィラは何も言わず首を横に振った。否定を示すジェスチャャーだった。

「どうしよう、ミリア……もう夜だし、あの子に何かあったら……」

 スィラの手はわずかにふるふると震えていた。彼女の表情は不安や心配がないまぜになった色をしていた。

 オレは彼女の震える手を両手で包み込むようにぎゅっと握った。

「大丈夫、スィラ。きっと見つかるから」オレは言った。「わたしたちであの子のこと見つけてあげよう。ね?」

「……うんっ」

 スィラは珍しく不器用な笑顔を浮かべた。彼女の表情には相変わらず不安や心配の色が見て取れた。まるで、顔というキャンバスを藍一色で塗りたくったかのようだった。

 たまたま近くをラーニャが通りかかった。彼女も彼女でどこか焦っているような振る舞いだった。

「あ、ラーニャ。ロミは?」オレはたずねた。

「うぅん、どこにも……」ラーニャは首を振った。「寮の中みんなで探したんだけど、あの子どこにもいないみたいで……」

「そっか……」

 どうやら、ラーニャもまだロミの足取りをつかめていないらしい。オレの隣にいるスィラの顔が先ほどよりいっそう曇ったように見えた。

 寮の中にはいない。寮生みんなで探しても見つからない——。

 まだロミとの付き合いは浅いけど、あの子は誰にも言わず夜に1人で出かけるような子じゃないと思う。少なくとも、ほかの子に心配をかけるような行動は取らないと思う。

 あの子だけがいない。どこを探しても見つからない。

 ドタドタと忙しない足音が周りから聞こえてくる中、オレはロミが行きそうなところを脳内で思い描いた。

 これだけ探しても見つからないなら、もしかしたら屋内にはいないのかも。ロミの部屋は誰かが真っ先に探すだろうし、お風呂場とかも誰かが出入りするだろうし。あ、屋上とか……?

「屋上ってもう誰か探したかな?」

 オレは対面するラーニャとスィラにたずねた。ラーニャがふるふると首を横に振った。

「あたし、屋上さっき見てきたの」ラーニャが言った。「ひょっとしたら、屋上にいるせいで下の騒ぎが聞こえないのかもって……」

「そっか……」

 どうやら、ラーニャはもう寮の屋上を探してきたらしい。先日オレと一緒に屋上で星空を眺めただけに、彼女もまた考えることはこちらと同じだったのかもしれない。

 ほかの可能性を考えなきゃ。あの子を見つけるために。

 オレは先ほどと同じようにまた考えをめぐらせた。脳内で寮の見取り図を思い描き、脳内マップを3次元でぐるっと回転させた。オレは頭の中にある3次元ビジュアルでロミの足取りをたどった。

 屋上にはいない。

 食堂とお風呂場の可能性は低い。ひとが出入りする場所にはいない可能性が高い。となると——。

「……ね、井戸とかは?」

 オレは再びラーニャとスィラにたずねた。彼女たちは一瞬きょとんとしたように見えた。まるで、こちらの発言の意図を図りかねているかのような表情だった。

「井戸って……あの子、井戸に落ちたってことっ?」

 スィラの表情がみるみるうちに変わっていった。いま彼女の心に心配と焦燥の波が押し寄せていることは明らかだった。

「可能性の話だよ、スィラ」オレは言った。「夕食後ならそう時間も経ってないから、万が一にも大事には至ってないと思う」

「可能性……」

 スィラはオレが口にした言葉を繰り返した。まるで、自分が発した言葉を自分に言い聞かせるかのように。

「そっか、可能性……うん、ごめん……」

「うぅん、こっちこそ不安にさせるようなこと言ってごめんね」オレは言った。「もし屋内にいないんだとしたら、外に出てる可能性もあると思う。さっきラーニャも『屋上にもいなかった』って言ってたし」

「そうだね、そうかも……」

 スィラはふぅっと息を吐いた。彼女の吐息にはとびきりの心配と不安が溶け出しているような気がした。夜に紛れたため息はいつになく藍色を帯びていた。

 ラーニャがくるっと後ろを振り返った。廊下の向こうには何人か他の寮生の姿があった。

「ねぇっ、誰か井戸のほう見た人いるーっ?」

 彼女は少し離れたところにいる寮生たちに聞こえる声で言った。ラーニャの声は向こう側にいる子たちにも届いたようで、廊下の奥にいる寮生が何人か一斉にこちらを振り返った。

「見てなーいっ」

「井戸って外だよー?」

 向こうから返ってくる返事はどれも似たようなものだった。どうやら、まだ誰も井戸のほうは探していないらしい。

「……まだ誰も向こうは見てないみたい。行ってみよう」

「う、うんっ」ラーニャとスィラの声が重なった。

 オレはラーニャたちと一緒に駆け足で井戸に向かった。どたどたと騒がしい音が自分の足元からも聞こえた。

「そだ、どっかでライト借りてこないと……」オレは足を止めずに言った。

「だいじょぶ、あたし持ってるよぉ」ラーニャは自分のポケットに手を入れた。「さっき屋上を探すときに使ったから。ほら、これっ」

「そっか、よかった……」

 オレはラーニャがちょうど光の石を持っているのを目で確認した。彼女の手には夜の井戸をじゅうぶん照らしてくれそうなサイズの石が握られていた。

 オレたちは廊下を抜けて屋外に出た。

 外は屋内と違って真っ暗だった。夜の闇が辺りいっぱいに広がり、視界を黒々と埋め尽くしていた。

 オレたちの足はしぜんと井戸のほうへ向かった。ラーニャが光の石で行き先を照らしてくれたおかげで、どこに井戸があるか迷わず目的の場所にたどり着けた。

 ラーニャが真っ先に井戸の中を照らしてくれた。

「ロミーっ?」

 ラーニャが井戸の中に向かって声をかけた。彼女の声が反響するばかりで、向こうからの返事はなかった。

「井戸に落ちたわけじゃないみたいだね。よかった……」オレはほっと息をついた。

「じゃあ、あの子ホントどこ行ったんだろ……」スィラが言った。「井戸にいないのはよかったけど、これじゃ結局ふりだしに戻っただけだし……」

「そう、だね……」

 先ほどの予想が外れてひと安心したのも束の間、いまだロミの足取りを掴めていないことに誰もが下を向いた。

 スィラの言うとおり、結局これじゃ事態が振り出しに戻っただけ。ロミがどこに行ったのか分からないのは依然として一緒のまま。建物の中にもいなければ、屋上にも井戸にもいない——。

「とりあえず、このまま外も探してみよーよ」ラーニャが言った。「寮のほうはみんなが探してくれてるから、あたしたちは外でロミのこと探してみよ?」

「うん、そだね。そうしよう」オレはうなずいた。

「ロミ、あの子どこ行ったんだろ……」スィラがつぶやいた。「夜ひとりで出歩くような子じゃないのに。しかも、私らになんも言わないで……」

 スィラは相変わらず不安そうだった。オレは再び彼女の手をぎゅっと握った。

「スィラ。ラーニャの言うとおり、今はわたしたちで外を探してみよう。ね?」

「うん……」

 スィラの声はとても弱々しかった。ふだんロミと仲良くしている彼女なだけに、心に押し寄せてくる不安や動揺もひとしおなのかもしれない。

 ラーニャに光の石で辺りを照らしてもらいつつ、オレたちは井戸から離れて辺りを捜索し始めた。

 ロミを捜索中、ふと見上げた星空がやけに目に眩しかった。あの雲は彼女の行き先を知っているだろうか。あの星たちは彼女が今どこにいるか知っているだろうか?

「ロミーっ」オレとスィラの声が重なった。

「ロミぃーっ、いたら返事してーっ」ラーニャもすぐ後に続いた。

 3人分の声は夜の闇に飲み込まれるばかりだった。オレたちの声はどこにも反響することなく、ただただ暗がりの中に吸い込まれていった。

 どこまでも続く真っ暗闇に対し、この手元の光だけでは心許ない。

 自分たちの声も暗闇の中にどんどんと飲み込まれていく。まるで、このライトすらも夜が吸い込んでしまいそうだった。夜の海がこちらの声も光も容赦なく飲み込んでいった。

「ロミぃーっ、どこなのーっ?」

 スィラの声がいちばん大きかった。彼女の不安や心配が声の大きさにもあらわれているかのように思えた。

 必死の声がけも虚しく、どこからもロミの返事はない。

 もう気付けば、ほかの寮生たちもポツポツと外に出てきていた。ぽうっと光る石が彼女たちの手元や足元を照らしていた。

「ね、ロミいたっ?」

 スィラがいの一番に彼女たちに話しかけた。どの寮生も一様に曇った表情を浮かべていた。

「うぅん、いない。寮の中も探したんだけど……」

「そっか……」スィラが言った。

「ね、ふたりともこれ使って?」寮生の1人が光の石を差し出してきた。「灯りは多いほうがいいと思うから。ほら、ミリアも」

「あ、ありがと。助かる……」

 オレは寮生の女の子から光石を受け取った。スィラも同じように別の子から石を受け取っていた。


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