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【4章】夕焼けティータイム 1


 夕暮れ。

 頭上の空は先ほどよりも赤みを増していた。

 東の空からは藍がわずかに顔を覗かせていて、もうじき陽が暮れることを街に知らせていた。

 村の大通りは相変わらず賑わっている。どこからともなく楽器の演奏が聞こえてきた。心地の良いメロディが夕暮れた街に紛れ込み、景色と音楽の境界がお互いに溶け合っていた。

 導かれるようなテンポに誘われて、オレは音がするほうに顔を向けた。

 オレの耳には心地良いメロディが相変わらず届いている。道の端っこでは何人もの音楽家が楽器を弾いていて、わずかに夕暮れが溶け出した村を音楽で彩っていた。

 この村は人と音楽が近い。

 この場所はこんなにも人が音楽と近い距離にいる。まるで、そうするのがごく自然なことかのように。

「ふんふふ〜んっ♪」

 街じゅうに心地よい音楽が溶け込む中、オレのすぐ隣からもごきげんなメロディが聞こえてきた。

 やっぱり、ラーニャの鼻歌はごきげんそうだった。真昼を思わせる明るいハミングが夕暮れに溶け出した。あの夕焼けた空に彼女の鼻歌が違和感なく溶け込んだ。

 オレは今にもスキップでも始めそうな彼女を横から見ていた。

「ラーニャ、ごきげんそうだね?」

「だってだってぇ、今日1日いっぱい良いことあったんだもおん」ラーニャは指折り数え出した。「今朝はミリアとおしゃべりしながら出勤したしぃ、お仕事もいつも通りスムーズに終わったじゃあん。あとあたしお気に入りのパン屋さんも紹介できてぇ……ほらね、今日もいいこといっぱい!」

「そだね、わたしも今日は特に楽しかったかも」オレは言った。「パン屋のこともそうだけど、さっきラーニャが迎えに来てくれたのも嬉しかった。ありがとね?」

「いーえー、ぜぇんぜん。あたしが『そうしたいな』って思っただけだから〜」

 ラーニャは何でもないことかのようににぱっと笑った。この子はきっと本当に自分がそうしたいと思ったから、わざわざ図書館までオレを迎えに来ただけなんだろう。

 たぶん他意なんてないのかもしれない。

 迎えに行きたいと思ったらか迎えに行く。ハミングしたい気分だからハミングする。そう、今この瞬間だって——。

「〜♪」

 ラーニャは周りから聞こえる音楽に合わせて鼻歌を歌った。ひょっとしたら、あの曲は彼女もよく知っているものなのかもしれない。

 この大通りの賑やかさは妙に心地いい。

 向こうの世界の音楽に耳が慣れているせいか、この村の歌詞がない音は少しだけ物足りない。この物足りなさが妙に心地いい。

 ひょっとしたら、ただ純粋に楽器の音色に集中できるからかもしれない。ひょっとしたら、歌詞は必ずしも音楽に必要なわけじゃないのかもしれない。こうして楽器の音に耳をすませるシンプルな時間もいい。

 この大通りを歩いていると、ふと以前のように自分も楽器を弾いてみたくなる。

 オレが弾けるのはバイオリンだけだけど、この世界の弦楽器も弾けたりするのかな。「バイオリン奏者はヴィオラも弾ける」って前どっかで聞いたことあるけど。んんー、ほんとかなぁ?(謎)

 もしどっかでチャンスがあったら、この世界の楽器も弾いてみたいな。

 ひさしぶり過ぎて弓ぎーこぎーこしちゃうかもだけど、何度も繰り返し練習すれば当時の勘も思い出せるはず。ほらぁ、なにごともチャレンジじゃあーん?

 気付けばオレはもうすっかり楽器を弾きたくなっていた。

 この熱はどこに向かうんだろう。この活力は身体のどこから湧いてくるんだろう。ただ、この衝動めいた気持ちだけが鮮やか過ぎるほどリアルだった。

 寮へと向かう道すがら、複数の音に紛れて弦楽器の音が聞こえた。

 オレは音の在り処を探した。あの音の発信元はどこだろう。この耳を魅了するあのキレイな音色はどこから聞こえるんだろう?

「あっ」

 オレは弓を使って弦楽器を弾く1人の演奏者を見つけた。視線の先にある楽器はバイオリンともよく似ていた。

「ミリア、どしたのー?」

 とつぜん立ち止まったオレを不思議に思ったのか、視界の端からラーニャがひょこっと顔を覗かせた。左下からこんばんわ。

「や、あの楽器いいなと思って。音色が心地いいなぁって……」オレは向こうを指差した。

「あー、あれねぇ。あれはメィコットだよぉ」ラーニャが言った。「あーやって弓を引いて演奏する楽器でね、けっこう昔っからあるものなんだってぇ。あたしのママが上手だよぉ」

「え、そうなんだ。ラーニャも弾けるの?」

「んー、いちおうね。キリティパほど上手くは弾けないけどぉ」

「わ、やっぱ弾けるんだ。すごいね、マルチ演奏家ラーニャちゃんだね」

「あはは、なぁにそれぇ。べつにスゴくないよぉ〜」

 ラーニャは少し照れくさそうにはにかんだ。自分の胸の前で両手を小さく左右に振る仕草に、彼女の照れくさい気持ちがよくあらわれていた。

 はぁい、かわいい一面いただきましたぁ〜。

「あの楽器もお祭りのときによく見かけるよぉ。うちのママも普段よく弾いてるしぃ」ラーニャが言った。「ミリア、前に『楽器ならってた』って言ってたよね。ミリアが習ってたのもメィコットみたいな弦楽器だったの?」

「そう、だね……あれとよく似てる楽器だったよ。もう少し小さいけど」

「えー、そうなんだぁ。あたしもミリアの演奏きいてみたいなぁ〜」

「や、わたしそんな上手くないから。その、人前で演奏できるほどじゃ……」

「いーじゃん別にぃ、楽器ひいて楽しければおっけーでしょお?」

「楽しければ……」

 オレはラーニャが口にした言葉を自分でも繰り返した。どうしてか、この子の何気ない言葉がオレの心の琴線に触れた。まるで、きれいな音を奏でるハープの弦にそっと触れるかのように。

 楽しければ。

 楽しければいい。ただ楽器を演奏して、ただただ楽しければ——。

 そんな風に思えたのは最後どれくらい前だろう。もう思い出せないくらいとうの昔だった気もする。バイオリンを習い始めたころは、純粋に演奏を楽しんでたと思う。

「そーだよぉ。うまい下手とかじゃなにし、弾く人も聞く人も楽しければいーんだからぁ。でしょお?」

「……そだね。うん、そうかも」オレはうなずいた。

「あたし、ミリアと一緒にセッションとかもしてみたいなぁ。もし今度どっかで機会あったら一緒に演奏しよーねえ」

「うん、わたしも。ラーニャと一緒に楽器ひいてみたいかも」

「けってーいっ。約束だからねぇ、ドタキャンのーせんきゅーだよお?」

「大丈夫だよ。あ、でも練習はしたいかも」オレは言った。「その、楽器の腕なまってると思うから……ちゃんと練習して臨みたいな」

「んっふふ、ミリアは真面目だねぇ。じゃあじゃあ、今度うちで一緒に合同練習しよっかあ?」

「うん、たのしみ。ほんとに」

「楽しみなことがどんどん増えてくねえ、あたしたちっ」

「ほんとだね。楽しみな予定がいっぱい」

 オレたちは顔を見合わせてお互いに笑い合った。ふたりぶんの笑顔が夕陽射す街中に溶け出した。

 この大通りを歩くと毎回毎回あたらしい発見がある気がする。この子と一緒に歩くと毎回毎回あたらしい予定が増えていく。そんな気がする。

 この子との約束を指折り数えるたび、この心はとたんにスキップを始める。

 この子との未来の約束が増えるたび、この心はボールが跳ねるように弾む。ぽんと弾んだ心はどこまでも飛んでいきそうだった。きっと、あの空の向こうまでも。

 賑やかな大通りを抜けると、寮へと向かう小道に入った。

 もう目の先には寮の建物が見えていた。オレはラーニャと一緒に隣り合って歩きながら、彼女と交わした約束について想いをめぐらせた。

 こんなにも胸が弾むのは、あの夕陽がキレイだから。きっとそうに決まってる。

 しばらく道なりに歩いていると、やがて寮の入口にたどり着いた。ほかの寮生たちはもうすでに帰宅しているらしく、寮に入ってすぐのところにある建物から賑やかな声が聞こえた。

 先ほどの大通りに負けず劣らず、夕方の寮はとても活気があった。

 オレは東に向かって影を伸ばす建物を見た。窓越しにゆらりと揺れ動く人影がチラリと覗くあたり、屋内の廊下では寮生たちが行き来しているようだった。

「もうみんな帰って来てるみたいだね。あっちから人の声がする」

「まぁねぇ、もうすぐ晩ごはんの時間だしぃ〜」ラーニャが言った。「どっちかって言うと、あたしたちがちょっと遅いくらいかもねぇ。ほら、途中で楽しいたのしぃ〜い寄り道しちゃったし?」

「そだね、たしかに。放課後の——」オレは途中で言葉を切った。「……じゃなくて、仕事帰りの寄り道ってちょっとワクワクするよね」

「わっかるぅ〜。やっぱりぃ、いっぱい働いたあとは目いっぱい羽伸ばさなきゃあ。今日の寄り道みたいに、ね?」

「うん、とくに翌日が休みとかだとね。楽しみがあると仕事も頑張れるもんね?」

「そーゆーことっ。ミリアちゃんは理解が早いですねぇ、お利口さんですねぇ〜」ラーニャが頭を撫でてきた。

「子ども扱いしないで」

「あはは、照れなくってもいいのにぃ〜」

 こちらが頬をふくらませるのとは反対に、ラーニャは花が咲くように明るく笑った。や、べつに照れてるわけじゃないんだけど……まぁいっか。

 ラーニャと戯れ合っているうちに寮の玄関に着いた。

 入口のドアを開けて室内に入ると、寮の中は外の空気と違って少し冷んやりとしていた。程よい冷気が肌に気持ちいい。

「あれえ、ミリアとラーニャ。ふたり一緒に帰って来たんだー?」

 廊下からひょこっと顔を出したのはスィラだった。彼女のすぐ隣にはルイゼナの姿もあった。

 どうやら、彼女たち2人は今ちょうど玄関の前を通りかかったところらしい。オレとラーニャの姿を見つけるやいなや、スィラとルイゼナは2人そろってこちらに近付いて来た。

「そだよぉ、あたしがミリアの職場まで押しかけたの〜」

「や、べつに押しかけては……」オレは否定した。

「ミリアのこと迎えに行ってあげたのね、ラーニャ。そう言えばいいのに」ルイゼナが言った。

「あは。そうとも言う〜」

 ラーニャはいつもどおり、とくに気にしたふうもなくからからと笑った。彼女の笑顔はルイゼナが少し呆れたように笑っているのと対照的だった。

「ミリア、初のお仕事どうだった?」スィラがたずねてきた。

「たのしかったよ、すっごく」オレは言った。「その、職場の人もみんな良い人たちだったし」

「えー、よかったじゃーん。よさそうな職場でっ」ルイゼナがにこっと笑った。「今日あったこと聞かせてよ、ミリア。ほら、今ちょうど西のバルコニー解放されてる時間だし」

「あ、ソレいーじゃん。ディナー前のティータイムみたいな?」スィラが彼女の提案に乗った。

「そうそう、このあとの晩ご飯に支障ないくらいの範囲でー」ルイゼナがうなずいた。「もしバルコニー空いてなかったら、リビングでお茶するでもいいしさ。スィラにはちょおっとお嬢さま過ぎるかもだけど」

「あんだとぉ〜?」

 スィラは隣にいるルイゼナの脇腹をくすぐり始めた。脇こちょこちょが余程くすぐったいのか、こちょこちょの餌食になったルイゼナは身をよじった。ふたりとも仲良し。

「あは、あははっ」ルイゼナが笑い声をあげた。「ごめんごめん、ほんとだけどウソだからぁ」

「どっちだよっ」スィラが言った。

「ほんとだけどウソなんだって」ラーニャが割り込んだ。「だから、多分そーゆうことじゃなあい?」

「いや、だから結局どっち?!」

 スィラは2度にわたって困惑めいた声をもらした。彼女の冴わたる指摘は辺りに笑いの空気をもたらした。や、本人はただ戸惑ってるだけかもだけど。


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