【3章】ブーランジェリーフリシェ 1
終刻。
仕事を終えたあとは達成感があった。
僅かな疲労感と確かな充実感を覚えながら、オレはみんなと一緒に控室に集まっていた。
「んじゃミリア、また明日よろしくねー」
おうちに早く帰りたいらしいサヒナさんは、ほかの誰よりも早く別れの挨拶を口にした。
「はい、こちらこそ。お疲れさまでした」
「はいはーい、おつかれー」
オレが頭を下げて別れの挨拶したのも束の間、サヒナさんはせっせと図書館から出て行った。どうやら、先ほど「仕事が終わったら早く帰りたい」と言っていたのは本当だったらしい。
や、べつに疑ってはないですけども。ただ本当に「サヒナさん、おうち直帰族なんだなぁ」って。
サヒナさんがぴゅっと去って行ったあと、あとには木枯らしのような余韻が残った。ぴゅっと来てサッと去っていくさまは、まさしく秋の木枯らしそのものだった。
「サヒナさん、おうち帰るの早いでしょ?」
リエシタくんの声だった。彼の少年らしい声は終業を迎えた館内によく響いた。
「そうだね、たしかに……」オレは言った。「その、さっきも『はやく帰りたい』って言ってたよ」
「サヒナさん、ご家族のこと大好きだからね」リエシタくんが言った。「はやく家かえって家族の顔みたいんじゃないかな。ほら、あの人けっこう家族想いなとこあるから」
「ご家族の……」
「ああ見えて面倒見がいいんですよ、サヒナは」エルンさんが言った。「彼女は妹さんが1人いるんですが、なんでも昔っから仲が良いそうで。今でもご実家に顔を出して妹さんとよく過ごすそうです」
「ご実家ってことは……その、サヒナさんも普段は寮で暮らしてらっしゃるんですか?」
「えぇ、あなたと同じように。この辺りだと寮が第2の家みたいなものですから」
「な、なるほど……社宅とはまた違うんですね」
「しゃたく?」エルンさんが聞き返してきた。
「あ、っと……寮も家族生活の延長みたいなものなのかなって」
「えぇ、そう遠くないと思いますよ」エルンさんが言った。「とくにウチの村は寮生活が定着してますからね。ミリア、あなたが元いた地域ではどうか知りませんけど」
「そう、ですね……場所によって文化も違いますもんね」
「そうでしょうね」
終業直後ぴゅっと帰宅したサヒナさんを除き、オレたち3人は束の間のおしゃべりに興じた。やっぱり、この村には寮生活が定着しているらしい。
さっきリエシタくんも「ぼくも普段は寮で暮らしてる」って言ってたもんね。
たぶんだけど、こっちの世界の寮は向こうの世界の社宅と似た扱いなのかも。こっちは向こうと違って和気あいあいとした雰囲気なのが大きな違いかなぁ?
まぁ、社宅って仕事のために住む家だもんね。家族ぐるみってわけにもいかないか。
逆に言えば、こっちの世界の寮が特別なんだろーね。オレみたいなはぐれ者も受け入れてくれるし、贅沢にもひとり部屋を与えたくれたりとかも。ウェルカムレベル♡で言えば、こちらの世界の寮が圧勝です。わー、ぱちぱち〜(拍手)。
「ともあれ、今日はお疲れさまでした。ミリア」エルンさんが言った。「今日と同じく、明日もサヒナの指導のもと仕事をお願いします。今夜はどうぞゆっくり休んでください」
「は、はいっ。こちらこそ、明日もお願いします……!」オレは頭を下げた。
「あっはは、ミリアさんは律儀だねぇ」リエシタくんが笑った。「ミリアさん、ひとからよく『真面目』とか『几帳面』とかって言われない?」
「え、あ……た、たまに言われるかも……」
「だろーねぇ。ぼくは好きだなー、ミリアさんみたいな人」
「ど、どうも……あの、リエシタくんも明日またよろしく」
「いーえー、こちらこそよろしくっ」リエシタくんが言った。「ちょうど人手不足だったし、ミリアさんが来てくれて助かったよ。サヒナさんは残業とか絶対しないからね」
「うん、しなさそう」オレは即答した。「気付いたらもういない、みたいな……」
「まー、サヒナさんはああいう人だから。仕事はデキるんだけどねー」
「そう、なんだ……たしかに、今日も終わり際はテキパキしてたかも」
「あっはは、彼女らしいでしょ?」
「そだね、そうかも」
オレとリエシタくんがおしゃべりに興じていると、エルンさんが2回続けてぱんぱんっと手を叩いた。カスタネットを打ち鳴らすような小気味いい音が辺りに鳴りひびいた。
「おふたりとも、おしゃべりはそのくらいで」エルンさんが言った。「もう退館時間も過ぎてますから、どうぞお気を付けてお帰りください。私は戸締りを確認してから帰宅しますので」
「はぁーい」
ふたりぶんの声が重なった。オレとリエシタくんはエルン館長に別れの挨拶をしたあと、もうとうにひと気のなくなったスタッフルームを後にした。
出入口を通って外に出ると、空はもうすっかり赤くなっていた。
焼けるような茜が西の空を赤く染めている。どこからかカラスの鳴き声でも聞こえてきそうなくらいの情景だった。
「また明日ね、ミリアさん」リエシタくんが先に手を振った。
「うん、また明日。気を付けてね?」オレも彼に手を振り返した。
「はーい、ミリアさんもっ」
オレとリエシタくんはお互いに手を振り合った。だんだんと小さくなる彼の背中を見送ったあと、オレも寮に向かうべく反対側の道を歩き出した。
「ミーリアーっ」
どこからか聞き慣れた声がした。オレは声の発信元をたどろうと、辺りをきょろきょろと見回した。道の先にこちらに手を振りかける少女の姿があった。
「え、あ……ら、ラーニャ?」
「やっほー、お仕事おつかれさまぁ」ラーニャが歩み寄ってきた。
「お、おつかれさま……」オレは戸惑った。「どうしたの、こんなとこで?」
「や、あたしもお仕事さっき終わったからさ〜。ほら、ミリアと一緒に帰ろっかなーと思ってぇ?」
合流するやいなや、ラーニャはオレの手を取ってくれた。彼女の体温が手のひらを通じてこちらにも伝わってきた。この子の手はいつだって、よく晴れた日のお日さまみたいにあたたかい。
「そっか……ありがとう、迎えに来てくれて」
「いーえー、ぜぇんぜん」ラーニャが言った。「ねねっ、今日の初仕事どうだったぁ?」
「うん、楽しかったよ。ほかの職員さんもみんな良い人ばっかりで」
「そっかそっかぁ〜。よさそうな職場みっけられて良かったねえ?」
「うん、ほんとに。あと今日は本の探し物も手伝えたし」
「探しもの?」
「そう、女の子が本を探しててね——」
オレはラーニャと一緒に寮へと至る道を歩き出した。街中は今朝よりもずっと賑やかで、オレたちと同じように仕事帰りらしき人の姿もチラホラ。
道の端からは楽器の音も聞こえてきた。
管楽器が夕焼けた空を彩っている。弦楽器が夕暮れた街を彩っている。あの楽器もそう、あの音色もそう。
この村の夕暮れ時は相変わらず心地良い。まるで、1日の疲れが音楽に乗ってどこかに飛んでいくかのよう。仕事の疲れを忘れさせるメロディが辺りに鳴りひびいていた。
「——でね、そのときエルンさんがもう呆れたみたいな顔しててね?」
「うんうんっ、んでんでぇ?」ラーニャがあいづちを打った。
「わたし、もう慌てて『だ、大丈夫ですっ、ここに本ちゃんとあります!』って叫んじゃって」
「あっはは、ミリア初日から大活躍だねぇ〜」
「サヒナさんも悪気はないみたいなんだけどね。なんかこう、どっか憎めないキャラっていうか……」
「ひょっとしたら、エルンさんもそう思ってるのかもねえ」ラーニャが言った。「だからミリアの指導役にサヒナさん指名したんじゃなあい? ほら、ふたり足してちょうどいいみたいな?」
「うん、わたしもそれ思った。『お互いに影響され合うの期待してなのかな?』って」
「ミリアは元々しっかりさんだからねぇ。よくも悪くも、その先輩から影響うけちゃいそお〜」
「そうかもね、よくも悪くも」
オレとラーニャはお互いに顔を見合わせて笑い合った。ここにいない人をネタにして盛り上がる少女たちの図。話題のタネにしてごめんなさぁい、サヒナさぁん。
ラーニャはオレの初仕事の話を楽しそうに聞いてくれた。彼女の上手なあいづちはお喋りを彩るスパイスだった。
こうしてラーニャと話す時間は楽しい。まだ話してる途中なのに「もっと話したい」って思っちゃう。きっと、この子が聞き上手&話し上手だからだろーね。そうに決まってる。
まるで、いちど手をつけると止まらなくなる甘いお菓子のよう。
まだ口の中にお菓子が残っているのに、もう次のひと口が欲しくなってしまう。この甘いひと時を次々と消化しようと心が躍起になっている。この子とのおしゃべりは誘惑だった。
「ラーニャは今日お仕事どうだった?」
「んっとねぇ、あたしはいつも通りだったよぉ。平常運転っ」ラーニャが言った。「今朝はまず薬草調合のお手伝いでしょお、ほかの子と一緒に採集にも行ったしい〜。あと安眠用の香草作りもしたかなぁ」
「安眠用の……そっか、お薬屋さんだもんね。そういうのもあるよね」
「そおそお〜。今朝ちょうど不眠ぎみなお客さんが来ててね、よく眠れる薬草ないかって依頼だったんだあ」
「いろんな要望ありそうだね、薬草屋さんって。大変そう……」
「まあねぇ。あとほら、イリスさんってこの村いちばんの薬草師さんじゃあん?」
「うん、前に言ってたね」オレは言った。「あのとき、わたしもイリスさんから緊張を和らげるお薬いただいたし……」
「あー、あったねぇ。イリスさんスゴいでしょお〜?」
「うん、すごい。だけど、イリスさんのお手伝いするラーニャもスゴいよ。尊敬する」
「えー、そっかなぁ。もっと褒めてくれてもいーよぉ?」
「もう言わない」
「あぁん、いじわるぅ。すなおじゃないのはこの口かあ〜?」
ラーニャはオレのほっぺたを掴んで左右に引っ張った。そんなにみょいーんって引っ張ったら、わてくしのほっぺたチーズみたいに伸びちゃいますよー?(伸びない)
ラーニャと戯れ合っていると、もう気付けば大通りも中腹に差しかかっていた。
先ほどまでとは打って変わって、おだやかな街並みはとたんになりを潜めた。道の両サイドには商店が立ち並んでいて、表で露店を出している人の姿もチラホラ。辺りに鳴りひびく楽器の音色も一層にぎやかだった。
ふと空を見上げると、夕暮れた空がオレの視界に入り込んできた。
東の空はまだ少しだけ青く染まりつ、西の空は相変わらず赤く焼けていた。頭上にある空では青と赤がお互いに溶け合っていた。
オレが元いた世界と比べて、こちらの世界は時間の流れが遅い。なにかと人の心を急かす時計がないせいか、時間がゆっくりと流れているように感じる。あちらとこちらで体感時間が1.5倍くらいは違っているように感じた。
文明ってなんなんだろう。
文明社会ってどうしてあんなに時間が早く流れるんだろ。あんなにたくさんの人があんなに生き急いでるのはどうして?
良い悪いは一旦おいといて、都会で暮らしてると時間のスピードが田舎と全く違う気がする。まるで、時計の針が加速しながら進んでるみたいな。以前まで自分もその一部だったから、余計そう感じるのかもしれないけど。
正直、オレはこっちの世界の時間の流れが好き。ゆっくりと移ろうこの景色が好き。
向こうの世界では生き急いでた気がするけど、こっちの世界ではちゃんと生きてる気がする。ちゃんと自分の人生を生きてるような感じがする。
あの雲の流れもそう、あの夕焼け空もそう。
風景ひとつひとつをしっかり味わってる感じがいい。ゆっくりと移ろう景色をちゃんと楽しんでる感じがいい。
もちろん、こうしてラーニャとおしゃべりしてる時間だってそう。向こうの世界で最後に誰かとゆっくり話したのはいつだっただろう。そもそも、そんな時間があったのかすらもう思い出せない。
「あ、そおだ。ねぇ聞いて聞いてっ」ラーニャが言った。「あたし今日のお昼ランチ食べてるときにね、ほかのスタッフの子と話してたんだけどお——」
ラーニャは先ほどと変わらず楽しそうに喋っていた。今度はオレがうんうんと相槌を打ちながら彼女の話を聞く番だった。『話す』と『聞く』の代わりばんこ。




