【1章】ミリアの初仕事♡ 3
くだんのコスメ屋さんを通り過ぎたあと、目的の図書館まではもう間もなくだった。
この先は道がふた手に分かれている。まっすぐ行けば図書館へと向かう道に。左手に折れればラーニャが働く薬草屋さんに。彼女とのお別れの時間ももう間もなくだった。
「じゃあ、あたしこっちだから〜」
ラーニャが曲がり角の直前で立ち止まった。彼女が立ち止まった場所には薬草屋さんに至る道があって、これから分かれ道を左に曲がろうする人を手招きしていた。
「うん、いっしょに来てくれてありがとう」
「いーえー、あたしも途中まで一緒だったから〜」ラーニャが両手でガッツポーズを作った。「お仕事がんばってねえ。キリカも言ってたけど、ミリアが笑ってられるならおっけーだよぉ。ふぁいとっ!」
「ありがと。ラーニャもお仕事がんばって」
「はぁい、ありがとお。また後でねぇ〜」
「うん、またね」
オレとラーニャはお互いに手を振り合った。彼女と別れるのがこんなにも名残惜しいのは、たんにオレが実は寂しがり屋だからだろうか。それとも——。
お互いに別れの挨拶を交わし合ったあと、ラーニャは道の奥に吸い込まれていった。
この交差点は人恋しさを連れてくる天才だった。曲がり角を曲がっていったラーニャの背中を見送ったあと、路地にひとり残されたオレは図書館に向かって歩き出した。
先ほどまでの賑やかさがウソのよう。
先ほどまでの時間が夢の中の出来事のように感じた。あの子と別れたあとの時間はこんなにも静かで寂しい。
あのT字路から図書館まではそう遠くなく、しばらく歩いていると目的地が見えてきた。今日から自分の職場となる図書館は、昨日と変わらない佇まいでオレを迎えてくれた。
「……」
オレは図書館の前で立ち止まった。心なしか、やっぱり初仕事で心身ともに少し緊張しているようだった。
この図書館は相変わらず大きい。
向こうの世界でもそうそう見ないくらいの大きさだった。きっと、この村のシンボルのような場所なのかもしれない。
昨日ラーニャから聞いたかぎりだと、蔵書量は数万冊にものぼるとのこと。受付のスタッフさんが何人もいたことから、ここで働いている人も規模に合わせた相応の数がいるに違いない。
今日から自分もその中の1人。緊張しないわけがない。
もう立ち止まる時間はじゅうぶんだった。オレは目の前にある図書館に向かって歩き出した。そのとき——。
「おや、ミリア?」
オレが足を前に踏み出した直後、どこからか聞き覚えのある声が。昨日も図書館で聞いたことのある澄んだ声だった。
「あ、エルンさん。お、おはようございますっ……」
オレはすぐさま頭を下げた。エルンさんもまたこちらに会釈を返してくれた。
「はい、おはようございます」エルンさんが言った。「昨夜はよく眠れましたか、ミリア。緊張などは?」
「い、いえ。おかげさまでぐっすりと……」
「なによりです。私も昨晩は熟睡でした」
「そ、そうでしたか。よくお休みになられたようで良かったです……」
「えぇ、ほんとうに。睡眠は百薬の長ですから。でしょう?」
「そ、そですね。熟睡がいちばんの薬かもです」
「じっさい、眠りが浅かった日は朝起きるのがツラくてツラくて……」エルンさんがため息をついた。「とくに肌寒い日の朝などは、ベッドから起き上がるのもイヤになります。ほら、私なにより睡眠を大切にしたいタイプでしょう?」
「は、はい、わかります。眠りが浅いと翌朝からだ重いですもんね……?」
や、知りませんけど。あなたが睡眠大切にしてるの知りませんでしたけども。ほら、わたしエルンさんが睡眠フリークなこと今はじめて知りましたでしょう?
オレの戸惑いを知ってか知らずか、エルンさんはにっこりと微笑んだ。
「あなたは話が分かるお人ですね、ミリア。気が合いそうです」
「ど、どうも……」オレは頭を下げた。
「今日はあなたの初仕事ですが、そう緊張せずとも大丈夫です」エルンさんが言った。「うちのスタッフはみな良い人ばかりですから、きっとみなさんあなたを快く迎えてくれますよ。どうぞご心配なく」
「は、はい。ありがとうございますっ……」
オレは彼女と隣り合って歩きながら、図書館の入口を抜けて室内に入った。昨日も嗅いだ本の匂いがこちらを出迎えてくれた。
まだ開館時間前ということもあってか、館内は外と違ってまだ少し薄暗かった。オレは何かに導かれるかのように図書館の天井を見上げた。天井からは昨日も見た光の石がいくつもぶら下がっていた。
ひょっとして、エルンさん今オレの緊張やわらげようとしてくれてたのかなぁ?
やっぱり、この村の人たちはみんな優しい。エルンさんもそう、ユノンさんもそう。もちろん、あの太陽みたいな女の子だってそう。出会う人出会う人みんな良い人ばっかり。
オレはエルンさんの少し後ろをついて歩いた。
スタッフルームにはもうすでに人がいて、従業員同士で何か話しているようだった。2人とも見覚えのある顔だった。
あ、昨日の司書さん。昨日あの受付にいた女性だ。あの男の子はまだ見たことないけど……きっと、ここのスタッフさんなんだろーね。あの女性の司書さんと仲良さげに話してるし。
「おはようございます、みなさん」
エルンさんのよく通る声が館内に響きわたった。彼女の挨拶を合図に、ほかのスタッフさんも一斉にこちらを振り向いた。女性が1人と男子が1人。
「おっはよーございまぁーす」
「おはようございます、エルンさんっ」
スタッフさん2人とも、ほぼ同時に挨拶をした。女性のほうは少し間延びした声だった。
「昨日お話ししたとおり、今日からうちに新しいスタッフが加わります。さ、ミリア?」
オレはエルンさんから挨拶をするよううながされた。ほかのスタッフさんから注目を浴びながら、オレは緊張を振り切って少しだけ前に出た。
「み、ミリアです。今日からお世話になりますっ」オレは言った。「とっ、図書館の仕事は初めてですけど、精いっぱい働くのでよろしくお願いします……!」
オレは挨拶を終えると同時に頭を下げた。頭上にパチパチとささやかな拍手の音が振りそそいだ。どうやら、ほかの司書さんたちはオレを拍手で迎えてくれたらしい。
「よろしくねー、ミリア。私はサヒナ」女性の司書さんが言った。
「ぼくはリエシタです。こちらこそよろしく、ミリアっ」男性の司書さんも続いた。
司書さんたちは男女ともにそれぞれ自己紹介をしてくれた。女性の司書さんがサヒナさんで、男性の司書さんがリエシタくん。うん、しっかり覚えた。
「お互いに挨拶も済んだところで、かんたんに仕事の説明をしましょうか」エルンさんが言った。「まず初めに、ミリアには受付の仕事を覚えてもらいます。あなたも先日うちにいらしたとき、ここの受付で彼女たちが働いてるのをご覧になったでしょう?」
「は、はい。あそこで本の貸出・返却を受け付けるんですよね?」オレは受付コーナーを指差した。
「えぇ、おっしゃる通りです。そう難しい業務ではありませんが、とても大切なお仕事ではあります。ここでは本の持ち出しも許可してますからね」
「その、もし紛失でもしたら大変ですよね……」
「察しがいいですね、ミリア。まさしく、あなたの推測どおりです」エルンさんが言った。「もし万がいち本が紛失したときは、ここの受付記録をもとに該当書籍を捜索します。記録がないと何の本が失くなったのかすら分からなくなる——。そうでしょう?」
「そ、そうですね。大切なお仕事ですねっ……」
「あなたの指導役はサヒナにやってもらおうと思います。よろしいですね、サヒナ?」
「はいはーい」
サヒナさんは片手を上げてエルンさんの呼び声に答えた。ひらひらと蝶のように動く手が彼女のパーソナリティーを物語っているように思えた。
サヒナさんの視線がエルンさんからこちらに移った。
「よろしくねー、ミリア?」
「はい、こちらこそ。よろしくご指導くださいっ」
「あっはは、ご丁寧にどうもー」サヒナさんが言った。「まーまー、テキトーにやってこーねー。肩のチカラ抜いて、ね?」
「は、はい……」
サヒナさんはやっぱり片手をひらひらと動かしながら答えた。初対面で失礼だとは思いつつも、なんだか適当そうな印象の女性だと思った(※ほんとに失礼)。
「指導役が適当では困るんですが……まぁ、いいでしょう」エルンさんがため息をついた。「ひとまず、ミリアはサヒナに業務をひと通り教えてもらってください。もし分からないことなどがあれば、私やリエシタにも遠慮なくどうぞ」
「はい、わかりました。あらためてよろしくお願いしますっ」
オレはみんなに向かって再び頭を下げた。
「あっはは、ミリアは律儀な子なんだねー。私と違って」
「まだ知り合って日は浅いですが、ミリアは良い子だと思いますよ」エルンさんが言った。「あなたも見習ってください、サヒナ。あなたに指導役を任せたんですから、この子をしっかりと指導するように。いいですね?」
「はいはーい、お任せされましたー」サヒナさんが言った。
「んん、大丈夫でしょうか……」
軽やかに笑うサヒナさんと違って、エルンさんは渋い表情を浮かべた。どうやら、彼女は指導役の女性に対して一抹の不安があるらしい。
「とにかく、ぼちぼち仕事を始めましょうか」エルンさんが言った。「ミリアは今日サヒナと一緒に動いてください。判断に迷ったときは彼女に指示を仰ぐように。よろしいですね?」
「はい、わかりましたっ」
オレは少しの緊張と高揚を覚えながら意気込んだ。どうやら、この心は図書館での初仕事に少なからずワクワクしているらしい。きっと、この高揚感はウソじゃない。
しぜんと、オレは意気込むように両手でガッツポーズを作っていた。ふんす。
「とりあえず、まずは受付業務から教えよっかー。こっちおいでー、ミリア」サヒナさんが手招きした。
「はいっ」
オレは彼女に手招きされるまま、サヒナさんのもとへと向かった。先を行く彼女の少し後ろをついて歩きながら、オレはやっぱり少しの緊張と高揚感を覚えた。
どきどきとワクワクが心という容れ物で一緒になっていた。
サヒナさんの指導はやっぱり、かなりの部分テキトーだった。




