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【7章】星明かりのファンファーレ 2


「んと、その……か、髪の毛きれいだなと思って。その……」オレは口ごもった。

「えー、そーお?」ラーニャの口角が上がった。

「うん、すごくキレイ。さっき絹糸みたいだなって思ったの。糸の宝石みたいだなぁって……」

「やだぁ、うれし〜。いちおー毎日ちゃんとお手入れしてるからねっ」ラーニャが言った。「あたしが今よりずっと小さい頃にね、ママがよくお櫛で髪とかしてくれたの。『うんとキレイな髪になりますように』って!」

「そう、なんだ……うん、すごくキレイ」

「えへ、ありがとお〜。ママが昔あたしの髪よく梳いてくれたおかげかなぁ?」

「かもね。ラーニャのお母さんのおまじないが効いたのかも」

「あはは、おまじないかぁ。そうかもっ」

 ラーニャはやっぱり花が咲くようにからからと笑った。この明るい笑い声にシンクロするかのように、彼女の髪の毛まで笑っているようにも見えた。

 ラーニャが楽しそうに笑う中、ふと頭に浮かんだ言葉をオレは心の奥にしまった。

 この言葉を実際に口に出すのは少々はばかられた。もし彼女に拒否/拒絶されてしまったとき、自分の心の行き場がなくなると思ったから。

 オレは心の奥底にしまい込んだ願いを、表に出さないよう見て見ぬふりをした。この胸の奥深くには叶えようもない望みがわだかまっていた。この言葉が外に出ようとするのを必死で抑えながら、オレはラーニャと一緒にひと気のない廊下を歩いた。

 寮の外には夜が広がっている。窓の上のほうには星があって、月と一緒に夜空を彩っていた。どうやら、今夜は半月らしい。

「景色きれいだね。夜の海みたい……」

 オレはひとりごとのように呟いた。ぽつりと呟く直前、ラーニャが今の言葉に反応するかどうかまでは考えていなかった。

「ねー、きれいだねぇ」ラーニャが言った。「あたし、この寮から見る景色けっこう好きだなぁ〜」

「うん、わかる気がする。さえぎるものがなくていいよね」

「そおそお〜。景色が一段とキレイに見えるよねぇ」

 オレはラーニャと一緒に窓の向こうにある景色を見た。窓越しに覗く向こうの景色は、あちらの世界では到底みられないくらい壮観だった。

 この世界の夜空はこんなにも美しい。

 窓辺に月明かりが差し込み、オレたちの足元を照らした。石の光と月の光の境界がお互いに溶け合っていた。

「あ、そおだ」

 夜が溶けた廊下を歩いている途中、ラーニャは何か思いついたように言った。彼女の足の動きもまたぴたりと止まった。

「ね、ミリア。屋上行ってみなぁい?」

 彼女からの提案は突然だった。ラーニャの動きに釣られて、オレもまた自室へ向かう足をぴたりと止めた。

「屋上……この寮って屋上あるの?」

「あるよぉ、めっちゃあるよぉ〜」ラーニャが言った。「ほら、この辺りって他に高ぁい建物ないじゃあん?」

「あ、うん。ここの周り畑ばっかりだし……」

「そうそう〜。だからね、屋上からだと星空が360°みぃ〜んなばっちり見えるのっ」ラーニャは両手を広げた。「とくに今日みたいによく晴れた夜ってね、お星さますぅ〜っごいキレイなんだよぉ?」

「そう、なんだ……きっと幻想的な景色なんだろうね」

 オレは再び窓の向こうに眼を向けた。あの星空がさらにキレイに見える……そう思うだけで、この心はどうしたって浮き立った。とってもわくわくした。

「ね、どーお? 屋上いっしょに行ってみよっかぁ?」

「……行ってみたい、かな」オレは言った。「うん、すごく行ってみたいっ」

「けってーいっ。じゃあじゃあ、階段のぼって屋上にれっつごー!」

「お、おーっ」

 オレは先を行くラーニャに手を引かれながら、ごきげんそうな彼女と一緒に屋上に向かった。この子はいつもこちらの手を引いてくれる。そう、いつだって——。

 まるで、宝ものを探しに行く子どものような心地だった。

 オレの気持ちはもう、屋上から見える景色へと向いていた。寮の屋上へと向かう途中、ラーニャが何か思い出したように「あっ」と言った。

「いちおー言っておくと、ここの屋上いつもは立ち入り禁止だからねぇ」

「えっ」オレは戸惑った。

「万が一、だれか柵を越えたら危ないからなんだって」ラーニャが言った。「うちの寮の決まりなの。もしバレたら寮母さんの雷ばりばりぃ〜だから注意だよぉ?」

「あの、立ち入り禁止なら行かないほうがいいんじゃ……」

 オレの心に臆病風が吹きすさぶ中、ラーニャはぴんと立てた人差し指を自分の唇に当てた。

「だから内緒。このこと寮母さんに知られないようにね?」

「な、なるほど……?」オレはやっぱり戸惑った。

「やっぱ行くのやめとくぅ?」

 ラーニャは口もとに笑みを浮かべたままたずねてきた。彼女のイタズラな笑顔は言葉よりもずっと多くのものを伝えている気がした。

 この子の笑った顔はこんなにもおしゃべりだった。

「……うぅん、行くよ。わたし行きたい」オレは言った。「向こうの景色いっしょに見たいから、ラーニャと一緒に」

「んっふふ、おっけー。ミリアわるい子だねぇ」

「や、ラーニャが誘ったんじゃん……」

「今日のことはあたしたちだけのヒミツね、ほかの人に知られちゃったらマズいから」

「ん、わかった……」

 ラーニャは相変わらずイタズラな笑みを浮かべていた。ひょっとしたら、この子は意外とルール破りが好きなのかもしれない。前に「夜に盗み食いしたら怒られた」って言ってたし。

 オレたちは約束を交わしたのちに、こっそり忍び足で屋上に向かった。

 寮の廊下は相変わらず静かだった。まるで、オレたち以外に誰もいなくなってしまったかのよう。ときおりドアの向こうから話し声が聞こえる以外、この廊下内は人の気配がまるで感じられなかった。

「ほら、こっちこっち。この階段のぼったとこだよぉ」

 少し先を行くラーニャがオレを手招きした。どうやら、この上に向かう階段をのぼった先に屋上があるらしい。

 オレは彼女に招かれるままに階段をのぼった。

「静かにねぇ、しずかに〜」

「う、うん……」オレはそっと足を動かした。

 ラーニャの声は囁きに近かった。先ほどのように自分の唇に人差し指を当てながら、彼女は階段先にもうけられたドアをそっと開けた。

 屋上からの景色は驚くほどキレイだった。

 先ほどまで上に天井があったせいか、屋上に出たとたんに開放感があった。今はもうどこにも空をさえぎるものがない。

 オレは頭上にある景色をじっと眺めた。先ほどラーニャが言ったとおり、屋上から見る景色は360°パノラマだった。こんなにも空が近くて遠い。こんなにも空が遠くて近い。

「わぁっ……」

 思わず呟いた声が夜に吸い込まれていった。夜の闇がオレの声を吸い込み、代わりに声に反響するように星々がきらめいた。

「ね、きれいでしょお?」

 となりにいるラーニャがたずねてきた。暗くてあまり顔が見えないけれど、オレは彼女の表情がなんとなく想像できた。きっと、あの太陽みたいな笑顔でいるはずだから。

「うん、きれい……すっごく」

 オレの心はいつもよりずっと素直だった。きっと、この夜空に当てられたのかもしれない。あの満天の星空がオレの心を素直にさせた。

 空を見上げたまま、オレはただ立ち尽くしていた。

 この屋上から覗く景色は、お風呂場の大窓から覗くのとはまた違っていた。ぼうっと突っ立っていると、あの夜空の向こうに吸い込まれそうだった。

「あたし、ここからの景色だぁい好きなんだぁ〜」ラーニャが言った。ほんとは入っちゃダメなんだけどね、この屋上。ほら、周りに柵とかなぁんもないでしょお?」

「……うん、たしかに。ちょっと危ないかも」オレは辺りを見回した。

「バレたら寮母さんの雷ばりばり〜だけど、あたし実はちょくちょくこの屋上来るの。この景色見たいから」

「悪い子だね、ラーニャ」オレは笑った。「さっきわたしのこと悪い子呼ばわりしてたけど……」

「あはは、そーかもっ。あたしたちどっちも悪い子だねぇ?」

「そだね、ふたりとも」

 オレとラーニャはお互いに笑い合った。もうすっかり夜が深まったせいか、すぐ隣にいるラーニャの顔も少しおぼろげだった。どうやら、この目はまだ夜の闇に慣れていないらしい。

 ふと、頭に巻いてある布切れが窮屈に感じた。

 オレは頭のタオルを外して、自分の髪を外気にさらした。布に巻かれて窮屈そうにしていた糸の束を自由にしてあげた。

 タオルを外して髪をほどいた瞬間、オレの背中に糸が触れるような柔らかい感触がした。この長い髪はほどかれるのを待っていたらしく、あの不自由な布を外した瞬間に自由を手にした。不思議と頭が軽くなったような気がした。髪が少し乾いたのかもしれない。

 だんだんと視界がハッキリし出したころ、オレは自分が開放的な気持ちになっているのに気付いた。

 きっとこの空のせいだ。この星空が人の心を開放的にさせる。いつもだったら隠しちゃうような本心も、どうしてか今なら言えるような気がする。この心は今こんなにも素直だった。

 オレは隣にいるラーニャのほうを見た。彼女の目には上空にある星空が映し出されていた。

「ね、ラーニャ」

「うん?」

「えっと……その、髪さわってもいい?」

「え、いいけど……」

「ありがと。失礼するね?」

 どこか戸惑ったようすのラーニャもよそに、オレは隣にいる彼女の髪の毛に手で触れた。まだ少しだけ湿度を含んだ髪の毛は、たった今とったばかりの糸のような感触だった。

 手ざわりが気持ちいい。

 ずっと触ってたくなる。指に吸い付くような手ざわりだった。

「髪きれいだね、ラーニャ」

「あは、さっきも言ってたよぉ?」ラーニャは笑った。

「さっきも今もキレイだなって思ったの、ほんとうに……」オレは言った。「ほんとに糸の宝石みたい。なめらかで、つるつるで……絹糸みたいにキラキラつやつやしてる」

「もぉ〜、褒めすぎぃ。あんまり褒められると、ラーニャちゃん調子のっちゃうよぉ?」

「いいよ、そうして。わたしもどんどん褒めたげるから」

「やだやだぁ、背中かゆくなっちゃうぅ〜」

 ラーニャはくすぐったそうに身をよじった。どうやら、この子はあんまり褒められ過ぎると照れちゃうらしい。はぁい、大変かわいらしい一面いただきましたぁ〜。

「いちおー言っとくけどぉ、ミリアの髪もキレイだからねぇ?」

 ラーニャはこちらの髪に手を伸ばしてきた。彼女は手のひらでオレの肩から垂れ下がったひと房の髪を持ち上げた。

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