【6章】ミリアちゃんのカニ歩き〜っ♡ 3
や、べつに関係なさそうだけどね。
この子の雰囲気がふんわりほわほわ♡なのと、批判的意見は別に関係ないかもですけれども。
さておき、どうやらラーニャはオレの俊敏な横スライドに疑問を持っているようだった。そうそう、これがミリア印のカニかにカニ歩き〜っ♡(なーんちゃって☆)
「わ、わたしは今やるのっ。老後のためにっ!」
「そ、そっかぁ。んでも、それ歩きにくくなぁい?」ラーニャが言った。
「だ、だいじょぶっ。わたし、こう見えてバランス感覚いいほうだし……」オレはカニ歩きを続けた。「と、とにかくっ、わてくしこのまま引き続きサイドウォークしますゆえっ。どうかお気になさらず!」
「そっかそっかぁ〜。んふ、んっふふ……」
後ろのほうから忍び笑うような笑い声が聞こえた。そよ風が草木を揺らすときのような静かな音が辺りに溶け出した。
背後が気になったからといって後ろを振りかえるわけにもいかず、オレは浜辺にいるカニさんの気持ちになったまま横歩きを続けた。きーぷおんカニ歩きっ。きーぷおん、きーぷおん!
ラーニャが笑っているような気がする。
あの子のくすくす笑う姿がオレの頭に浮かんだ。想像の中にいる彼女は、あの邪気のない素直な笑顔を浮かべていた。
「はぁー、おっかしぃ。ミリアはおもしろい子だねぇ」
「そ、そう……」
どうやら、ラーニャはやっぱり可笑しくて笑っていたらしい。きっと、オレのカニ歩きがプロの動きだったからに違いないね。違います。
オレは横スライドを続けたまま、お風呂場のドアにたどり着いた。
ちなみに、さっき救出したアクセサリーはラックに置いてきた。このカニさんリスペクトの俊敏な横スライドにかかれば、ひとと話しながらネックレスを放り置くことも問題なし。日々のカニさんトレーニング♡の成果が発揮された瞬間だった(?)。
オレはドアを開けて浴室に入った。後ろにはラーニャがついてきている気配があった。振り返ったら懲役、振り返ったら懲役——。
「あ、いい匂い……」
お風呂場の中はいい香りがただよっていた。昨日の夜、ラーニャと一緒にお風呂に入ったときも嗅いだ爽やかな香りだった。
「残り香が香ってるねぇ。あたしこの香り好き〜」
「わ、わたしも……い、いい香りだよね?」オレの目は泳いだ。
「前にも話したかもだけど、ここの浴槽ラマイラの実うかべてるんだよぉ」ラーニャは向こうを指差した。「ほら、あそこっ。水面にぷかぷか浮いてるのがラマイラの実。浮き袋みたいでかわいーでしょお?」
「そ、そだね。クラゲみたいで可愛いか、もっ……?!」
ラーニャがオレの視界に入ってきた直後、全身に雷が落ちるような緊張がはしった。ちょっ、懲役刑ぃ——————っ!
オレは慌てて首の骨を右向きに折ろうとしたものの、訴訟を未然に回避しなきゃな事態にはならなかった。というのも、ラーニャは胸から下を覆い隠すように大きめのタオルを巻いていたから。
生成色のタオルの先っちょからは、先ほども少し見た彼女の足がにゅっと出ていた。
「タオ、ル……」オレは呟いた。
「うん、タオル?」
「や、その……ラーニャ、タオル巻いてるんだなと思って」
「やだぁ、なにそれぇ〜」ラーニャがはにかんだ。「タオルくらい巻くよぉ。あ、残念だったぁ?」
「ちがっ、違くてっ。そういう意味じゃ……!」
「あっはは、ミリア焦り過ぎぃ〜。冗談だよぉ」
「むぅ……」
禁錮を未然に回避したのも束の間、オレはラーニャからからわかれた。彼女の明るい笑い声がお風呂場の中に反響した。
「ほんとはマナー的によくないんだけどねぇ、身体にタオル巻くの」ラーニャが言った。「昨日お風呂いっしょに入ったとき、ミリアが気まずそうにしてたから。ひとの身体みるのも見られるのも抵抗あるのかなーって思って」
「そう、なんだ……ごめんね、気ぃつかわせて」
「いーえー、ぜぇんぜん。今あたしたちしかいないからいいかなーって、ね?」
「そ、そだね。ひとのことよく見てるんだね、ラーニャ……」
「えー、たまたまだよぉ」ラーニャが言った。「ほら、現にミリアも今タオル巻いてるじゃあん?」
「これは、そのぉ……ひっ、ひとに見せれるほど立派なものじゃありませんゆえ……」
「あはは、なにそれぇ。あたしも別に自分の身体に自信あるとかじゃないけどぉ?」
「や、それは、そのぉ……ごにょごにょ」オレは口ごもった。
「んっふふ、まぁたごにょごにょ言ってるぅ。ミリアはほんっと愉快だねぇ、おもしろい子だねぇ〜」
「ど、どうも……」
オレはラーニャと一緒にシャワー室へと向かった。バスルームは光の石で薄ぼんやりと照らされているだけに、直視さえしなければタオルを外しても問題なさそうだった。
オレとラーニャは近くにあるイスに隣り合って座った。
シャワーから出る水を身体に浴びると、日中の疲れも一緒に洗い流されていくように感じた。ひょっとしたら、水には癒し効果があるのかもしれない。
「お嬢さぁん、お背中お流ししましょうかぁ〜?」
オレのすぐ隣にいるラーニャがたずねてきた。彼女はすでに泡立ったタオルを手に持っていて、早くも背中を流す準備を終えているようだった。
昨夜に引き続き、オレは胸の前で手を振って遠慮を示そうとした。
「や、だいじょぶ。自分でできるか——」
オレは途中で言葉を切った。ラーニャからの申し出を断ろうとした瞬間、彼女の目の奥に寂しさを見つけた気がしたから。あの太陽の光が雲でさえぎられそうな気がしたから。
まるで逃げられずに観念したかのように、オレは中途半端に上げた両手を下ろした。
「……そだね、お願いしよっかな」
「んっふふ、すなおで大変よろしい〜」ラーニャが言った。「んじゃあ、お背中ながしまぁ〜す。あ、後ろ向いててねぇ」
「は、はひぃ……」
オレはラーニャに言われるがままに彼女に背中を向けた。背中を上下左右に行き来する感触がやけに鮮明で、オレは緊張と戸惑いがないまぜになるのを感じた。心臓ばっくんばっくんっ♡
あ、でも気持ちいい。ひとさまに背中お流しいただくの気持ちよくってよ?
ラーニャの手つきは優しかった。オレの背中を洗っている最中、彼女の手の動きはどこまでもソフトだった。まるで、大切なものにそっと触れるかのような優しい手つき——。
「……ラーニャ、背中ながすの上手だね」
「でしょでしょお〜。妹にも昔よくやったげたからねっ」ラーニャは言った。「パパとママがお仕事のときとかはね、あたしが代わりに妹のお世話したげたんだぁ。ほら、あたしおうち帰ったらお姉ちゃんじゃあん?」
「そう、だね……ラーニャ、昔っからお姉ちゃんしてたんだ?」
「そおそお〜。もう今はだいぶ落ち着いたけど、パパのお仕事が一時期ちょお〜忙しいときあったからねぇ。ママはそのお手伝いっ」
「お父さんとお母さん、ラーニャのこと信頼してるんだね。妹さんの世話を任せるくらい……」
「人手が足りなかったからねぇ、あのときは」ラーニャが言った。「そ・れ・にっ。ほらぁ、かわいい妹ほっとくわけにいかないじゃあん?」
「それはそうだね。ラーニャの可愛い妹ちゃんだもんね?」
「そーゆーことっ。妹の背中ながすのもお姉ちゃんの仕事ってことで〜」
「そだね、大切な仕事。ちょっと羨ましいかも……」オレは呟いた。
「え、なにがぁ?」
「その、兄弟姉妹がいるってどんな感じなのかなぁって。わたし、ずっとひとりっ子だったから……」
「えー、そうなんだぁ。ミリアひとりっ子だったの?」
「え、あっ……そ、そだね。そうだったと思う」オレは焦った。
「そっかそっかぁ〜、前の記憶ちょびっと戻ったんだねぇ」
「そ、そうみたい。あは、は……」
オレの空笑いが辺りに溶け出した。幸いなことに、ラーニャはオレの家族構成についてあまり追及して来なかった。
あっぶな。
つい流れでうっかり口にしちゃった。
オレこの世界じゃ記憶なくなってる設定だったのに。自分の設定うっかり忘れて、ひとりっ子だったこと白状しちゃったんだけど。
きっと、ラーニャお姉ちゃんの背中流しが上手なせいだね。この優しい手つきがうっかり白状♡の原因になったに違いないよ。まったくもぉ、ラーニャってば背中流しスキルが高いんだからぁ。まったくもお〜っ、ぶもお〜っ!(牛さん♡)
やがてオレの背中を洗い終えたラーニャは、シャワーの水で泡たちを洗い流してくれた。さよなら、泡さんたち。みっしょん・こんぷりーと。
「はい、おーしまいっ」ラーニャが言った。「お背中きれいになりましたよぉ、お嬢さまあ〜?」
「ん、ありがと。次わたしが背中ながしてあげる」
「えっ、あたしはいーよぉ」
ラーニャは自分の胸の前でぶんぶんと手を振った。遠慮を示す彼女らしいジェスチャーだった。
オレは小さなタオルを手に取り、近くにあった石けんで泡立てた。もうすでにオレの心は彼女にお返しをする準備を始めていた。返報性の法則こんばんわ。
「そう遠慮しないで、わたしもお返ししたいから。だめ?」
「えぇー、その聞き方ずるぅい」ラーニャは苦笑いをした。「んじゃあ、せっかくだしお願いしちゃおっかなぁ〜♪」
「うん、任せて。ラーニャはいつも他人にやってあげる側だと思うから」
「あはっ、そうかも〜。あたしも今夜やってもらう側デビューだね?」
「そだね、デビュー。ほら、後ろ向いて?」
「はぁ〜い」
ラーニャは身に付けていたタオルを外して、オレに言われた通りこちらに背中を向けた。
この子がくるりっと後ろにターンする途中、彼女の胸の辺りに半球状の何かが一瞬だけ見えた気がしたけど気のせい。もう完っ全にオレの気のせい。直視したら有罪、直視したら有罪——。
なけなしの道徳心で有罪判決を回避したあと、オレはラーニャの背中を泡立ちタオルで洗い始めた。あわあわばぶるず〜っ♡
「ラーニャ、手の加減どう? 背中痛くない?」
「んーん、気持ちいいよぉ」ラーニャが言った。「ミリアも背中ながすの上手だねぇ。すっごい優しい手つき〜」
「さっきのラーニャのマネ。いい先生が目の前にいるから」
「あはは、そっかぁ。先生は今とっても気持ちいーでーすよぉ〜」
「そう、よかった」オレは言った。
「ふんふふん〜♪」
ラーニャはごきげんそうに鼻歌を歌い始めた。どうやら、この子はオレがこうして背中を流すのを気に入ってくれたらしい。彼女のごきげんなハミングが浴室の中に反響した。
澄んだ歌声が夜に溶ける中、ごきげんラーニャちゃんが背中ごとこちらに寄りかかってきた。
「あ、こら。こっち寄りかからないで、ちゃんと洗えないでしょ?」
「えー、だあってぇ〜」ラーニャがぐずった。
「ほら、しゃんとして。背中ぴしっ」
「あはは、ミリアお母さんみたぁ〜い」
「そうかも。ずいぶん若いママさんだね?」オレは笑った。
「きっと良いママさんになるだろーね、ミリアはっ。ちびっ子に優しいやさしーミリアお母さん!」
「ど、どうかな……」
オレが彼女を子どもを叱るときのように注意すると、ラーニャはこちらにもたれかかっていた状態からぴんと背筋を伸ばした。この子の背中の感触が今でも胸の辺りにじんわりと残っていた。有罪。
ラーニャと過ごす時間は楽しい。時間があっという間に過ぎてく。
さっきまでの緊張がウソのよう。さっきまでの戸惑いがウソのよう。いつの間にか、オレはラーニャとのバスタイムを手放しで楽しんでいた。この胸の奥で絡まっていた糸がほどけていく気がした。
この時間がずっと続けばいい……そう思った。




