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【6章】ミリアちゃんのカニ歩き〜っ♡ 1


 夜。

 みんなと一緒に食事を終えたあと。

 食後の軽いエクササイズも兼ねて、オレたちは雑談をしながら寮へと戻った。おしゃべりは別腹、食後の甘いひと時。

 部屋の窓から覗く外の景色は、もうとっくに暗くなっている。どうやら、あの赤い空はもう1日の仕事を終えたらしい。夜が茜の空を地平線に追いやって、東の空から紺藍の空を連れてきた。

 窓の向こうでは星が瞬いている。

 あの暗い川の中にいくつもの星々を見つけられた。夜空に浮かぶ星が月と一緒にこちらを見下ろしている。

 こっちの世界は夜空がキレイだ。生まれてからずっと都心部で暮らしてたせいか、向こうの世界じゃこんな景色ほとんど見たことない。まるで、オレの頭のうえで星の川が流れてるみたい。

 夜の海で光の魚があちこちに泳いでいる。頭上に浮かぶ星の目がこちらを見下ろしていた。

「……」

 光の石で薄明るく照らされた部屋の中で、オレは窓の向こうにある夜の景色に目を奪われていた。あの眺めには人の心を魅了してやまない何かがある気がした。

 辺りは静かだった。これといった雑音も特にない。

 せいぜい虫の鳴き声が聞こえてくるくらいで、部屋の中はほとんど無音に近い静けさに包まれていた。

 この世界には車の駆動音もない。エアコンの作動音もなければ、扇風機の羽が回る音すらない。この部屋に夜が溶けきっているのがよく分かる。換気扇のような電化製品が一切ない世界は、こんなにも夜の静けさで満ちあふれていた。

 とくに言葉もなく、オレはただ満天の星空を眺めていた。まぁ、いまは喋る相手もいないんですけれども。

 ひとの心と脳を調べている研究者いわく、人間には自然の景色に感動する心が備わっているらしい。バイオフィリアは人間が生まれ持つ普遍的な心理傾向の1つなんだとか。

 たとえば、夜空に浮かぶ星の海を眺めたとき。

 たとえば、数億年かけて削られた岩壁に手を触れたとき。ひとは自然の壮大さに感動せずにはいられないらしい。

 なにかに心打たれることとパーソナリティーとの関連を調査したデータによると、知的好奇心が強い人ほど感動する気持ち——畏敬の念を抱きやすかったのだそう。

 ひとことで言うと、好奇心お化けは感動屋さんでもあるっぽい。

 じっさいに、ものごとに興味/関心を抱きやすい好奇心ゆたかな人ほど、大自然や神さまなど「自分より大きな存在」との繋がりを感じやすかった。この繋がりは感動/奇跡体験とも関連している。

 言い換えると、好奇心おうせいな人は神秘的な体験をしやすい。もちろん、彼ら/彼女らは感動もしやすい。

 宇宙創生のような神秘的なものに心惹かれる理由は、外の世界を知ろうとするモチベーションが強いから。心の内から湧き上がる衝動が自然の神秘を解き明かそうとする。

 こうした知的好奇心——開放性の高さが外に向かう興味を方向づけている。生まれつき興味のアンテナがあっちこっちに向いている人は、きっと「なぜ?」や「どうして?」などの疑問をも抱きやすい。あらゆる疑問は世界を知るためのスタートラインだから。

 まるで、好奇心おうせいな子どものよう。

 どうやら、このタイプの人たちは自分が気になったものを放っておけないらしい。子供心と好奇心。

 お化けの正体を解き明かしたい気持ちも、UFOの存在を確かめたくなる気持ちも。みんな根っこにあるのは知的好奇心——開放性の高さが未知のものへの興味を決定づけている。

 ひとは感動せずにはいられない、この世界の広さを知ったときに。

 この世界の仕組みを解き明かそうとする気持ちは、ものごとに感動する気持ちをも同時に連れてくる。知的好奇心は世界を覗き見る小さな小さな窓でもあり、とびきりのサプライズを運んできてくれる配達人でもあるらしい。

 夜の闇が辺りを包み込む中、オレは言葉もなく窓の向こうにある景色を眺めていた。

 この気持ちはきっとウソじゃない。向こうの世界じゃ得られなかった感動が今ここにある。あの空を見て心動かされないなんてウソだ。そうに決まってる。

 さっきのスィラ、ずいぶん楽しそうだったよね。すっごく楽しそうだった。

 キリカが飲んだのはビール1杯だけだったけど、すぐ顔赤くなったうえに目ぇとろんってしてた。はぁい、酔いどれタコさんの出来上がりぃ〜♡

 かたや、スィラのアルコール代謝スキルは天井知らず。底なしの肝臓。

 あのお店を出るころにはお酒だいぶ飲んでたけど、ただシンプルに陽気になるだけなのが彼女らしい。ごきげんドランカーこんばんわ。

 スィラが酔っ払うところ初めて見たけど、ご飯が運ばれて来てからも終始ずぅっと楽しそうだった。どうやら、あの子はアルコールをものともしない酒豪の血を引いてるっぽい。かの有名なアセトアルデヒド閣下も、スィラ女王の前では形無しであ〜る。やだこわい。

 ラーニャも楽しそうで良かった。あの子が楽しそうにしてることが嬉しい。

 図書館からの帰り道、あの子が「ミリアが嬉しそうであたしも嬉しい!」って言ってくれたのと同じように。オレもラーニャが嬉しそうにしてると嬉しい。

 この気持ちはきっとウソじゃない。そうに決まってる。きっと、きっと——。

 部屋でひとりオレがポエム発表会(笑)を開催していると、向こうにあるドアからコンコンっと軽やかな音が聞こえた。や、だからオレの心に勝手に入り込んで(笑)を付けるなと何度も言っ——

「ミリアぁ、いるぅ〜?」

 ラーニャの声だった。オレの心のひとりごとは彼女の明るい声にさえぎられた。

「はぁーい」

 オレは夜の香りただよう窓辺から離れて、彼女の声がしたドアのほうへと向かった。

 部屋のドアをガチャっと開けると、視線の先にはいつも通りの彼女の姿があった。どうやら、このひまわりは夜にも花を咲かせるらしい。

 片手でドアレバーを掴んだまま、オレは空いたほうの手を上げて彼女に挨拶をした。

「や、ラーニャ」

「やっほ〜。ごめぇん、お邪魔だった?」ラーニャも片手を上げた。

「うぅん、だいじょぶだよ。どうかした?」

「お風呂いっしょに行こかなって〜。ほら、あたしもこれから入るしぃ?」

「え、あ……お、お風呂っ?」オレは戸惑った。

「うん、いっしょに入ろ〜。ミリアもまだでしょお?」

「まだだけど……えっと、そのぉ……」

 オレは逃げるように顔を逸らした。目をそむけた先にはラーニャの手があって、彼女が着替え一式を持っているのが見えた。あのパジャマの袖や襟などには、この村でよく見る模様が刺繍されていた。

 わずかな沈黙が流れた。どこか居たたまれない空気にも感じた。

 オレは相変わらず少し俯いていた。頭の中では先日のお風呂場での記憶がよみがえり、モラル的に直視がはばかられる光景が再生された。思い出したら訴訟、思い出したら訴訟——。

 オレの視界の端っこにいるラーニャは、ちょこんと首をかしげて不思議そうな顔をしていた。や、かわいいけども。

「あ、ごめぇん。ひょっとして、お風呂ひとりで入りたかったぁ?」

「や、そうじゃないよっ」オレは慌てて言った。「そうじゃない、けど……」

「けど?」

 ほんの一瞬ためらったのちに、オレはラーニャの誘いを受けることを選んだ。

「……うぅん、なんでもない」オレは顔を上げた。「誘ってくれてありがとう。準備するから少し待っててもらえる?」

「ん、おっけー。よかったぁ、断られなくって〜」

 ラーニャは安心したように笑った。ひょっとしたら、彼女はオレに誘いを断られないか不安だったのかもしれない。

「や、断らないよ。せっかく誘ってもらったんだし……」

「んふふ、そっかそっかぁ」ラーニャが言った。「ミリアは律儀な子だねぇ。よい子のミリアちゃんだね〜」

「ど、どうかな……」

 オレはラーニャを部屋に招いた。お風呂に向かう準備をしている途中、彼女は立ったまま待ってくれていた。着替えを袋の中に入れて——準備完了っ。

 手荷物が少ないせいか、お風呂の支度はすぐに済んだ。

「お待たせ。じゃあ行こっか?」

「うんっ」ラーニャは笑った。

 オレはラーニャと一緒に部屋を出た。後ろ手にドアを閉めたあと、オレはひと気のない廊下を歩き出した。すぐ隣を歩く彼女は鼻歌を歌っていた。

「〜♪」

 ごきげんなハミングが夜の廊下に溶け出した。どうやら、この子の陽気さは昼か夜かはあまり関係ないらしい。

 廊下の窓は夜の景色を映し出している。等間隔に並んだ窓の向こうは、藍という藍をじっくり煮詰めたかのような眺めだった。あの淡い月の光だけが唯一、この暗い世界を薄明るく照らしていた。

「あの、さっきのご飯おいしかった」オレは言った。「わたし、あんなに肉汁たっぷりのお肉たべたの久々かも。いつも野菜が多いから……」

「ねー、ほんとぉ。あたしも普段は野菜が多いかなぁ〜」

「たまにはお肉もいいね。なんか元気になれる気がする」

「わっかるぅ〜。やっぱさ、お祝いのときはお肉なきゃだよぉ」ラーニャが言った。「うちの村にもお祭りあるんだけどね、お祝い事だからやっぱり色んな食べもの出るの。お酒もみぃんなにたっくさん振る舞ったりね?」

「お酒も……その、スィラが喜びそうだね?」

「あはは、そおかもぉ。あの子ほんっとお酒のむの好きでしょおー?」

「そう、だね。あれだけ飲んで元気なのが不思議なくらい……」

「スィラのお腹さいきょーだからねぇ。あたし、あの子がべろんべろんに酔ってるの見たことないかも〜」

「元々お酒に強い人っているよね。ルイゼナもそうなのかな?」

「たぶんね〜。あの子のお父さんもお酒好きみたいだしぃ」ラーニャが言った。「あたし、お酒のむとすぅぐ鼻水じゅびじゅびしちゃうんだよねぇ。やっぱ身体の出来が違うのかなぁ?」

「かもね。体質って人によって全然ちがうみたいだし」

「お祭りのときとかにね、神さまにお供えした御神酒のまなきゃいけないときあるの。あたし、あのときがいっちばんイヤぁ〜」

「そっか、御神酒かぁ……」オレは言った。「えと、そのお酒みんな飲まなきゃいけないの?」

「んーん、大人だけっ。あたしたちより下の子とかは、普通にジュース飲んでるよぉ」

「わたしもジュースのほうが良いかな。お酒まだ飲んだことないし……」

「あは、そーなんだあ」ラーニャが言った。「あたしもジュースのほうがいいかなぁ〜。おいしーしっ」

「鼻水じゅびじゅびだったらね、ジュース飲むほうがいいよね」

「そーゆーことっ。まぁ、お祝いごとのときくらい我慢して飲むけどさ〜」

 ラーニャは珍しくぶぅぶぅと文句を言った。どうやら、彼女はお酒があんまり飲めない体質らしい。あの酒豪のスィラとは正反対だった。

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