【5章】楽しい時間は光のごとく 2
オレはお店の看板を見上げた。なにが書いてあるかやっぱり理解できた。
このお店の看板には『ユリタス』と書いてあった。文字が読めるわけじゃないのに、単語の意味が脳にスッと入り込んでくる不思議。なんなんだろ、この謎の能力。
オレの心にわだかまる疑問もよそに、ラーニャとユノンさんは相変わらずお喋りに花を咲かせていた。
「ねぇねぇ、ユノンさぁん。ちょっと聞いてっ」ラーニャが言った。「さっきねぇ、ミリアのお仕事が決まったの。この子もう明日から図書館で司書さんとして働くんだよぉ?」
「あらぁ、おめでたいっ。じゃあ、うんっとお祝いしてあげないとねぇ」ユノンさんは胸の前で両手を合わせた。「おふたりとも、もし晩ご飯まだったらウチで食べてってちょうだい。めでたいことはみぃんなで祝わなきゃだから、ね?」
「わぁい、やったぁ〜。よかったねぇ、ミリア?」
「え、あ……う、うん」オレは戸惑った。「だけど、またご馳走になるなんて……」
オレは反射的についつい遠慮してしまった。昨日に引き続き今日もまた、ひとにご馳走してもらってばかりいるのは少し気が引けたから。今日は嬉しさよりも申し訳なさのほうが強かった。
なんか、こっちの世界に来てから色んな人のお世話になってばっかり。まだオレみんなに何も返せてないのに——。
「なぁに言ってんの、ミリアちゃん」ユノンさんが言った。「せっかくの祝い事なんだから遠慮しないの。ね?」
ユノンさんは慣れたようすでウインクをした。ばちこーんっ☆
どうしてか、ルイゼナの顔が一瞬オレの頭をよぎった。あのお姉さん然とした女性に続き、ユノンさんもオレの中で「ウインクが似合う女性」にカウントされた。晴れてランキング入り(?)。
あんまり過剰に遠慮し過ぎるのもどうかと思い、オレは素直に彼女の好意を受け取ることにした。
「あ、ありがとうございます。ごちそうになりますっ……」オレは軽く頭を下げた。
「さぁさ、ふたりとも中に入ってちょうだいっ」ユノンさんは入店をうながした。「夕食どきだから少し混んでるけど、どこでも空いてるとこ座ってねぇ。あ、お水は好きに飲んでちょうだいね?」
「はぁい。ありがとお〜、ユノンさぁん」ラーニャが言った。
オレとラーニャはユノンさんに招かれるままお店の中に入った。室内は外よりもずっと活気があって、おしゃべりの声と食器同士の触れ合う音がごっちゃになっていた。
オレたちは空いた席に座って、テーブルに置いてあるメニューを見た。
「ね、こないだのラビニア定食どうだったぁ?」ラーニャがたずねてきた。
「おいしかったよ、すっごく」オレは言った。「あのお野菜ステーキみたいにジューシーで……その、また食べたくなる味だった」
「でっしょお〜。あたし、あれだぁい好きなんだぁ」
「今日もあれ食べるの、ラーニャ?」
「んー、今日は別のにしよっかなぁ」ラーニャが言った。「ほら、せっかくならお祝いっぽいもの食べたいじゃあん?」
「お祝いっぽい料理……んん、なんだろ」
オレはメニューを見ながらうんうんと頭を悩ませた。料理の絵がないだけに、どのメニューがどんな内容なのかちっとも想像できなかった。
どうやら、あの図書館で役立った謎スキルもここでは形無しらしい。
文章の意味が理解できたとて、どんな料理なのかを想像するまではできない。このお店に来て初めて見るメニューは、端っこから端っこまでずっと謎の料理名で埋め尽くされていた。
「……どれがどんな料理か全然わかんないぃ」オレは降参した。
「あはは、だろうねぇ。あたし翻訳したげよっかぁ」ラーニャが言った。「これはお肉がメインの料理でぇ、こっちはお野菜が美味しいよぉ。あたしは今日これにしよっかなって思うけど、ミリアはどーお?」
「わ、わたしも同じので……」
「おっけー。すみませぇーん、注文お願いしまぁす」
ラーニャは近くにいたスタッフさんに声をかけた。2人のあいだで謎の言葉(たぶん料理の名前)が行き交った。
オーダーを受けたスタッフさんは注文内容をメモに書き留めたあと、こちらに軽く挨拶をしてから調理室のほうへと吸い込まれていった。どうやら、あのカーテンの向こう側が厨房になっているらしい。
「ごっはん〜ごっはん〜っ。楽しみだなぁ〜♪」
ラーニャは両手で頬杖をつきながら、ごきげんそうに頭を小さく揺らした。どうやら、この子は嬉しい気持ちが仕草によく表れるらしい。彼女のジェスチャーは言葉よりもずっとおしゃべりだった。
るんるん気分のラーニャを見ていると、彼女に釣られてオレのほうもなんだか楽しくなってきた。るんる〜んっ♪
「ラーニャ、今日はありがとう。図書館すっごく楽しかった」
「いーえー、どういたしましてぇ」ラーニャが言った。「あたしも楽しかったよぉ。普段あんなに本いっぱい読むことないしさ〜」
「図書館近くのカフェも良かったよね。テラス席でゆっくり本読めて……」
「でっしょおー。あそこ今この時期あったかくってちょうどいいんだぁ〜」
「日陰でちょうどいいくらいだったね。風も気持ちよかったし」
「ねー、ほんと。また今度いっしょに行こうねぇ」
「うん、ぜひ。また一緒に行きたいな」
「んっふふ、今日のミリアは素直さんだねぇ」
「え、あ……そ、そうかな?」オレは戸惑った。
「たぶんね〜」
ラーニャは相変わらずごきげんそうに頬杖をついていた。猫の手のようにくるんっと弧を描いた指が愛らしい。どうしてか子猫の姿がオレの脳裏を一瞬よぎった。
オレは何かから逃げるように店内の景色に目を向けた。『なにか』が何かは分からない。
お店の中にはたくさんの人がいて、各々テーブルで思い思いの時間を過ごしている。かちんっ、とジョッキ同士が触れ合う小気味いい音が鳴った。
どうやら、向こうの席でぷち宴会が開かれているようだった。あのテーブルについている人みんな仕事仲間なのか、各自ジョッキを持ってグビグビとお酒を飲んでいた。
あの量のお酒を一気に飲む胃の強さたるや。
向こうの席にいる男性はお水を飲むように、ジョッキに入った黄色い液体を飲み干した。あっぱれ。
こちらの世界にもお酒を飲み交わす文化はあるらしく、老いも若きもみんな楽しそうにワイワイと騒いでいた。この村の陽気な雰囲気にぴったりの賑やかさだった。みんな楽しそう。
「あれぇ、ラーニャとミリアじゃなあい?」
聞き馴染みのある声がオレたちのもとに届いた。どうやら、キリカとスィラのお腹も腹ペコ虫が鳴いたようだった。
「あ、スィラぁ。キリカも〜」
ラーニャがいの一番に手を振った。彼女のあとに続くようにオレも手を振ると、スィラたちもまた手を振りかえしてくれた。期せずして手を振り合戦(午後の部)が始まった。始まってません。
「ふたりとも今お仕事帰りぃ?」ラーニャがたずねた。
「そーそー、さっき途中でばったり会っちゃってさぁ」スィラが言った。「私もキリカもちょうどお腹すいてたし、どっか食べに行こっかって話しててね。まさかラーニャたちがいるとは思わなかったけど」
「ねー、偶然だねぇ。あ、ふたりともこっち座るぅ?」
「あ、いーい? ごめんねぇー」
スィラたちが座る席を空けるためか、ラーニャは自分が今いるイスから1つズレて座り直した。しぜんと、オレとラーニャが隣り合う格好になった。
オレはラーニャとキリカにサンドイッチされた。今朝も見たポジショニングだった。
「ミリアたち、もうご飯オーダーした?」キリカがたずねてきた。
「あ、うん。さっきラーニャが頼んでくれたよ」オレは言った。「その、わたしはメニュー見てもよく分かんなかったから……ぜんぶラーニャにお任せしちゃったけど」
「あはは、そうだったんだ。ミリアの場合、字だけ見てもよく分かんないだろうね」
「まぁでも、ここのお店ならだいじょぶでしょー」スィラが言った。「ここで食べるご飯なぁんでも美味しいもんね。私あれ好きだな、ラビニア定食っ」
「あたしもあたしも〜。あたしもアレだぁいすきっ」ラーニャが言った。「昨日ここ来たときもね、ミリアと一緒に食べたんだよぉ。ミリアも『すっごい美味しかった』って!」
「わかるわぁー。あれ病みつきんなっちゃうよね?」
「ねー、ほんとぉ」
スィラとキリカが加わったことで、オレたちのテーブルは先ほどよりも賑やかになった。ほかのテーブルにも負けないくらいの活気だった。
や、べつに誰かと競ってるわけじゃないですけれども。
ほら、アレだよアレ。いまのは単なる言葉のアヤでございますのよ。くれぐれも、言葉尻をとらえるのはおよしになってくださいませね〜?(願)
「ねぇねぇっ、ふたりとも聞いて聞いてっ。ミリアが明日から司書さん!」
「え、なんて?」スィラが聞き返した。
ぽかんとするスィラと同じように、キリカもまた頭に疑問符を浮かべていた。ふたりぶんのハテナが彼女たちの頭上に浮かんでいた。
「ラーニャ、その説明だと伝わんないかも……」オレは言った。
「あはは。んっとねぇ、さっきミリアと一緒に図書館いってきたんだけどぉ〜……」ラーニャが言った。「ふたりで本読んでるときにね、館長さんがミリアに声かけてくれたの。『うちの図書館で働きませんか?』って!」
「え、すごいじゃんっ。あそこの館長さんって今エルンさんでしょ?」
「そおそお〜。あたしもうホントびっくりしちゃってぇ、まさか司書さんにスカウトされるなんて思わないでしょお?」
「おもわない思わなーい、私もいま聞いててびっくりしたもーん。『え、うそでしょ?』みたいな」
「でっしょお〜?」ラーニャが言った。
「ラッキーだったね、ミリア」キリカが言った。「図書館のお仕事、読書好きのあなたにぴったりじゃない?」
「そ、そだね。うん、ラッキーだったと思う……」オレは言った。
「んでねんでねっ、今日そのお祝いしようってことでご飯たべに来たの」ラーニャが言った。「さっきここのお店の前とおりかかったら、ユノンさんが『お祝いにごちそうしてあげる』って言ってくれてね?」
「そりゃお祝いしなきゃだわー。すみませぇーん、こっちにもビールひとつー!」
スィラは近くを通りかかったスタッフさんにお酒を注文した。どうやら、この世界にもビールという名前のドリンクがあるらしい。ドイツ人が喜びそう(偏見)。
「や、わたしお酒はちょっと……」
向こうの世界では未成年のオレは、スィラの提案をやんわりと断った。お酒の誘いを断れる現代っ子らしいスキルが発揮された。飲みニケーションの強制よくない。時代錯誤。
食事のお誘いには乗っても、お酒の誘いは乗らずに遠慮。お酒は大人になってから楽しみましょお〜。
「なぁに言ってんの、ミリア。あれは私が飲むお・さ・けーっ♡」
「え、あ……そっか、ごめん」オレは早とちりを謝罪した。
「スィラはお酒好きなんだよ、ミリア。意外かもだけど」キリカが言った。「この子ってば、祝いごとのたんびにお酒のんでてね。うちの寮でスィラほど飲む人ほかにいないんじゃないかな?」
「そ、そうなんだ……?」
「だってさ、楽しいときってもっと楽しくなりたいじゃーん?」スィラが言った。「ミリアもお酒のむときは、私いつでも付き合うよー。ほら、誰かと一緒に飲むほうが楽しーしさ?」
「そ、そだね。どこかで機会があれば……」
オレはその機会が来ないであろうことを予感しつつ、意外とお酒好きらしいスィラの話に調子を合わせた。あいまいな言葉でお茶を濁す未成年の図。有罪。
いま思ったけど、この子って何才なんだろう……?
ふと湧いた疑問は店内の喧騒にかき消された。この女の子がどこの誰で、年齢がいくつなのかすらもオレは知らない。
「とりあえず、お仕事が決まって良かったね。ミリア」
キリカは自分の手元にあるコップをこちらに傾けた。彼女の行動が何を示しているかは、この世界の文化に疎いオレでもよく分かった。
「あ、うん。ありがとう……」
オレも彼女の動きにならって、自分の手元にある透明なコップを傾けた。かちゃんっ、とグラス同士が触れ合う軽やかな音が鳴った。
オレが手元のコップを傾けた拍子に、中に入っている氷たちが爽やかな音を立てた。からんっ。
「あたしもあたしも〜。はぁい、かんぱーいっ」
「か、かんぱい……」オレは言った。
乾杯合戦にラーニャも加わった。乾杯りたーんず。
向かいの席にいるスィラとも乾杯した直後、ちょうど彼女のもとにビール入りのジョッキが届いた。ベストタイミングだった。
「もっかい乾杯しよ、ミリアっ」スィラがジョッキを掲げた。「私、このジョッキの音もうホント大好きっ。はい、かんぱ〜いっ♡」
「は、はひ……」オレは戸惑った。
結局、オレはスィラと合計2回も乾杯することになった。乾杯をおかわりされたのは人生で初めての経験だった。んっとぉ、乾杯ってそう何回もするものなので〜?(謎)
人生経験の少ないオレは、あるがままに身を任せた。
というか、スィラ空きっ腹でもビール飲めちゃうんだ。どうやら、あの子には酒豪の血が流れているらしい。やだこわい。
やがて各自のテーブルに食事が運ばれてきた。ユノンさんが運んできたご飯からは香ばしい匂いがただよっていた。お腹が空いていたオレはもう待ちきれず、あつあつご飯を次から次へと食べ進めた。
食事中も楽しいおしゃべりは尽きなかった。
ご飯から何から全てが温かい。ラーニャたちと一緒に夜ご飯を食べている最中、みんながオレを祝ってくれたことが嬉しかった。
まるで、みんなの輪の中にまた入れてもらえたような気がしたから。昨日は誰ひとり知り合いがいなかったこの不思議な世界で、ラーニャを筆頭にみんなの仲間として迎え入れてもらえたような気がしたから。
オレは涙がまた込み上げてくるのをこらえつつ、だれにも気付かれないよう目尻を指でぬぐった。
みんなとの楽しい食事の時間はあっという間だった。




