【4章】ミリアにお仕事案内? 4
あ、さっきの司書さん。さっきラーニャが「ここの館長さん」って言ってた女性だ。
「あ、エルンさぁん」ラーニャが言った。「ごめんなさぁい、騒がしくしちゃって〜」
「ラーニャ、先ほど『図書館でははしゃがないように』と……」
「ちがうよ違うよぉ、あたしが騒がしくしたわけじゃないよぉ〜」
ラーニャは心外だ言わんばかりに、胸の前で両手をぶんぶんと振った。かわいく否定を示す彼女らしいジェスチャーだった。濡れ衣を着せられる少女の図。
「あたし今日はねぇ、この子に図書館案内したげてるの」ラーニャはジェスチャーをした。「さっきこの子といっしょに本読んでたら、いつの間にかみんな集まって来ちゃって……ほら、ミリアって読書するの好きでしょお?」
「いえ、知りませんが……」
とつぜんオレの情報を開示された館長さんは、目に見えて明らかに戸惑っているようだった。や、そりゃそうでしょって感じですけども。
館長さんの視線がこちらを向いた。彼女の凛々しい眼差しにオレは少し緊張してしまう。
「……あなたがミリアさん?」
「は、はいっ」オレは背筋を伸ばした。
「私はエルンです。この図書館の館長をしてます」
「み、ミリアです。どうぞよろしく……」
「はい、こちらこそ」
自分の胸に手を当てながら会釈をしたあと、エルン館長はこちらに微笑みかけてくれた。まるで、この心にくすぶる緊張を彼女が解きほぐそうとしてくれているかのようだった。
人だかりの中から男の子が1人ひょこっと顔を出した。大人たちの間からこんにちは。
「エルンさぁん、このお姉ちゃんスっゴいんだよっ。こぉ〜んな難しい本もスラスラ読めちゃうの!」
男の子は先ほどオレが読み上げた本をエルン館長に差し出した。彼女は彼から手渡された本をまじまじと見た。
「ほぉー、この本を……」
どうやら、あの本はエルンさんも知っているものだったらしい。彼女は本の表紙をしばらく見つめたあとで、少し離れたところに座るオレのほうを見た。
「ミリア、あなた読書が好きだそうですね?」
「え、あ……は、はい」オレは言った。「まぁ、ぼちぼち……それなりに……」
「そうですか。ちなみに、これまで図書館で働いたことは?」
「と、図書館はないんですけど、本屋さんならアルバイトで少しだけ……」
「あるばいと?」エルンさんが聞き返してきた。
「あっ、と。以前ちょっとだけ、本に関わる仕事をやったことあります。短い期間でしたけど……」
「なるほど。ところで、今お仕事は何を?」
エルンさんの質問は止まらなかった。まるで、採用面接のシーンで志願者の経歴を洗いざらい聞き出す面接官のよう。
とつぜんの質問攻めに少しだけ戸惑いながらも、オレは目の前にいる女性から目が離せなかった。いま明後日のほうに顔を向けてしまうと、あちらに悪い印象を与えかねないような気がしたから。あの凛とした青い眼差しからは、どうしても目を逸らせなかった。
「や、今は特に。つい先日こっちの村に住み始めたばかりで……」
「ほぉー、それは好都合」エルンさんは微笑んだ。「ミリア、うちの図書館で働くつもりはありませんか?」
「えっ」
オレはエルンさんの思わぬ発言に驚いた。まったく予想もしていなかった言葉が彼女の口から飛び出した。
「先日ちょうど職員が1人辞めたので、人手が欲しいところだったんですよ。あなたがウチで働いてくれると助かります」
いつの間にか、エルンさんはごきげんそうな顔を浮かべていた。先ほどの凛とした雰囲気とは一転、いまの彼女は冷たい氷を溶かすお日さまように温かい雰囲気をまとっていた。
今はもう、あの青い眼差しに冷気ではなく温もりが宿っていた。
「や、でも、わたし図書館の仕事やったことないですし……」
「仕事は実際に働きながら覚えればいいでしょう」エルンさんが言った。「私たち職員もサポートしますから、そう身構える必要はありませんよ。どうぞご心配なく」
「そう、ですか……」
オレはすっかりエルンさんに言いくるめられてしまった。こちらと向こうの経験の差がハッキリと現れた瞬間だった。
すぐ隣に座るラーニャがオレの腕に、自分の腕をむぎゅっと絡ませてきた。腕の感触に気付いたオレが右隣に顔を向けると、彼女はいつも以上に明るい笑顔を浮かべていた。
「いーじゃん、ミリアっ」ラーニャが言った。「あたしすっごく良いと思う、ほんとーにっ!」
「そ、そうかな……?」オレは戸惑った。
「図書館のお仕事、ミリアにぴったりだと思うなぁ〜。ほら、館長さんもこう言ってくれてるし?」
「もちろん、すぐにとは言いませんけどね」エルンさんが言った。「あなた自身の気持ちの問題もあるでしょうから。ぜひ検討してみてください、ミリア」
「……」
オレは少し俯きながら黙り込んだ。いま頭の中では色んな考えが野山を駆け回るように駆け巡っていた。どうやら、この心は思いがず巡ってきたチャンスに戸惑っているようだった。
いま視線の先には1冊の本がある。先ほど向こうの本棚から持ってきた本だった。
この本がこちらに何か訴えかけている気がした。あの解読不能な文字列は相変わらず意味不明なのに、どうしてか今は何かを語りかけているように思えた。図書館の仕事、図書館の司書——。
どれくらいの時間が過ぎただろう。きっと、そう長くはなかったはず。
オレが考えごとを始めてからそう時間は経ってないはずなのに、もうずいぶんと長い時間にわたってそうしていたように感じた。相対性理論が示すとおり、時の流れはやはり相対的なものらしい。
このわずかな時間のあいだに、どうやらオレの脳は光速の世界を旅してきたらしい。
神経ネットワークを介した電子の受け渡しは、限りなく光速に近いスピードで行われていた。まるで、自分の身体にある細胞ひとつ1つが超光速航行でミクロな宇宙を旅したかのよう。この小さな脳は矮小銀河そのものだった。
もう、この心は決まっていた。
オレは意を決して顔をバッと上げた。この選択が自分にとって正しいものになると信じて。
「あ、あのっ。わたしやります、ここで働きたいですっ……!」
しぜんと、オレはエルンさんを見上げるような格好になった。
こちらより少し高い位置にいる彼女と目が合った。彼女の眼差しには温かい青が見え隠れしていた。青と橙のかくれんぼ。
「そうですか、良かったです」エルンさんが微笑んだ。「後日また詳しい話をしましょう、ミリア。いまはどちらにお住まいで?」
「ラーニャの……えっと、この子がいる寮に一緒に住まわせてもらってます。ここから少し離れたところにある……」
「んっとねぇ、村の西のほうにある女子寮だよぉ」ラーニャが助け舟を出した。「ほら、西門を抜けて少し歩いた場所にある。つい最近2号棟ができたばっかのとこあるでしょお?」
「……なるほど、ここからそう遠くはありませんね。ミリア、明日こちらに来れますか?」
「は、はい。大丈夫です」オレは言った。
「仕事の詳しい話は明日にしましょう。今日はどうぞ読書をお楽しみください」
「あ、ありがとうございますっ……」
オレは少しの緊張感と確かな手応えを感じていた。これから自分がこの図書館でいちスタッフとして働くことを思うと、期待と不安がないまぜになった気持ちを感じずにはいられなかった。
この心は今からもうすでにワクワクしていた。
まるで、自分の心がスキップしているかのよう。この胸の奥にある何かがオレの心をぽんと弾ませた。
「あ、あのっ。これからよろしくお願いしますっ」
オレは今いちどエルンさんの顔を見上げた。彼女は相変わらず微笑みを浮かべていた。あの青い眼差しは想像よりずっと優しかった。
「はい、こちらこそ。あなたと一緒に働けるのを楽しみにしてますよ」
「は、はいっ」オレの声は弾んでいた。
「明日の朝、開館時間の少し前にここに来てください」エルンさんは言った。「スタッフとの顔合わせも兼ねて、お仕事の簡単な説明をしようと思いますので。仕事着も明日お渡ししましょう」
「わ、わかりました。明日の開館時間前に……」
「えぇ、お願いします。それでは、また明日」
エルンさんは別れの挨拶を言い残して、受付カウンターのほうに戻っていった。オレは彼女の後ろ姿を少し離れたところから見ていた。
明日からはあの女性が上司になると思うと、なんだか足元がフワフワするように感じた。
こんなにも身体が落ち着かないのはなんでだろう。こんなにも心がそわそわするのはどうしてだろう。まるで、細胞ひとつひとつが浮き立っているかのような心地だった。喜びと期待と緊張と不安のミックスジュースの出来上がり。や、ミックスする材料多くない?
エルンさんが向こうに消えていったあと、先ほどの男性がこちらに声をかけてきた。
「お嬢ちゃん、明日からここで働くんだねぇ。いやぁ、めでたいめでたい」
「おねーちゃあん、ここの司書さんになるのー?」男の子が言った。「じゃあじゃあ、図書館にある本ぜぇんぶ読み放題だねっ。もっともぉ〜っと物知りさんになっちゃうねぇっ」
「そ、そだね。ちゃんとお仕事はしなきゃだけど……」オレは言った。
「おねえちゃんスゴぉいっ。本のえきすぱーとだぁ〜!」
「や、まだエキスパートじゃ……」
どうやら、子どもたちは図書館のお仕事に興味しんしんらしい。大人たちも子どもに混じって「図書館の仕事はうんぬん」と話していた。
お仕事談義で盛り上がるみんなをよそに、オレは右隣に座るラーニャのほうを見た。
太陽と目が合った。こちらと視線を交わした直後、彼女はいつも通りの明るい笑顔を浮かべた。まるで、幸せなにらめっこでもしているかのような心地だった。
「よかったねぇ、ミリア。お仕事みつかって〜」
「う、うん。こんな形で採用されるとは思わなかったけど……」オレは戸惑うばかり。
「あはは、びっくりだねぇ。ちょうど仕事の空きがあってラッキーだったね?」ラーニャが言った。「さっきも言ったけど、ここのお仕事ミリアにぴったりだと思うよぉ。あたし、図書館で働くミリアの姿しっくり来る気がするぅ〜」
「そう、かな。とりあえず、明日みんなに迷惑かけないようにしないと……」
「もぉ〜、ここは喜ぶところでしょおー?」
「え、あ……そ、そっか。うん、そうだね」
どうやら、ラーニャとオレは全く違うことを考えていたらしい。状況的には、彼女の考えのほうが適切なようにも思えた。この臆病な心は今の喜びよりも明日の不安を優先してしまっていた。
オレはラーニャに釣られるように口もとを緩めた。
こんなぎこちない笑顔で明日だいじょぶかな。うちに帰ったら笑顔の練習とかしとかなきゃかなぁ〜?(心配)
この臆病な心はやっぱり明日の心配をしていた。オレなんかよりもずっと素直に喜べるラーニャが羨ましい。この子からはこの先も色んなことを教えてもらえる——そんな確信めいた予感があった。
オレは机の上にある本に視線を落とした。
先ほどと違って、この本はもうこちらに何も語りかけていなかった。まるで、つい先ほどの出来事が束の間の夢だったかのよう。
図書館の窓から見える空はもう、だんだんと赤くなり始めていた。




