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【2章】薬草屋さんのラーニャちゃん 4


 イリスさんに言われたとおり薬草を飲み込むと、ふしぎと心の綾がほどけていくような気がした。

 この薬草の香りのせいなのか、この店の雰囲気のせいなのか。どうやら、この身体に張り巡らされた副交感神経は思ったよりもずっと単純らしい。

「……なんか、さっきより緊張が和らいだ気がします」

 オレが頭に浮かんだ素直な感想を口にすると、正面にいるイリスさんがにっこりと微笑んだ。年上の女性らしい落ち着きのある笑顔だった。

「あなたは薬が効きやすい子なのかもね、ミリアちゃん」イリスさんが言った。「この薬草はね、かなり即効性があるものなの。用量には気を付けなきゃだけど……まぁ、このくらいの量なら大丈夫でしょう」

「あ、ありがとうございました。貴重な薬草を……」オレは頭を下げた。「あの、さっきどうしてわたしが緊張してるって……なんで分かったんですか?」

「あなたの顔を見れば、ね。緊張してる人はそれらしい顔をするものだから」

「そう、なんでしょうか……すごいです」

「あら、どうもありがとう?」

 イリスさんは胸に手を当てながら軽く頭を下げた。まるで、どこかの国の貴族女性がするかのような仕草だった。

「イリスさんはねぇ、相手のお顔みたら症状が分かるんだって!」ラーニャが言った。「うちに来るお客さんが飲むお薬、みぃ〜んなイリスさんが調合してるの。村いちばんの薬草師さんなんだよぉ?」

「え、すごい。その、顔つきだけで判断できるものなんですか……?」オレはたずねた。

「だいたいはね。もし分からないときはお客さんとヒアリングするの」イリスさんが言った。「人によって症状も細かく違うから、みぃんな一緒くたにするわけにもいかなくってね。ほら、うちの薬草はオーダーメイドも多いから」

「わ、ますますすごいです。オーダーメイドなんて……」

「あらあら……あなたすっごく褒めてくれるのね、ミリアちゃん?」

「や、すなおに思ったことを言っただけで……その、正直な感想です」

「やだ、すてき。私、この子のこと気に入っちゃったかも」

「えっ」

 イリスさんは自分の頬に手を添えながら、どこかうっとりしたような顔を浮かべた。彼女の笑顔は毛並みのいいペルシャ猫を思わせるほどあでやかだった。

「あなたキレイな目ね、ミリアちゃん」イリスさんが言った。「うちの薬草みたいに澄んだライトグリーン……とってもすてき」

「ど、どうも……」オレはたじろいだ。

 気づけば、イリスさんはオレの顔を覗き込んでいた。

 ち、近いっ。あんまり近寄られると、さっき緊張ほぐし薬飲んだ意味なくなっちゃいますゆえっ。どっ、どうぞお引き取りを〜っ!(?)

「イリスさぁん。この子ねぇ、記憶なくしちゃってるみたいなの」ラーニャが言った。「なにかいいお薬とかあればと思ったんだけど……ね、どうかなぁ?」

「あらそう、記憶をね……」イリスさんが言った。「残念だけど、それは私の専門外。ごめんなさいね、ミリアちゃん」

「い、いえっ。どうぞお気になさらずっ……」オレは慌てて手を横に振った。

「うぅ〜ん、やっぱりないかぁ。残念だねぇ」

 ラーニャは珍しくしょんぼりしたようすだった。どうやら、彼女は記憶の回復に役立つような薬草を望んでいたらしい。オレの記憶を取り戻す手助けになるようなお薬を。

 とたんに、この胸にオレンジ色の感情が込み上げてきた。

 ひょっとしたら、この子はここに来るまでに考えててくれたのかも。オレの今の状況が少しでも良くなる薬草がないかって。そうだったら、もしそうなら——。

 きっと、きっと……この心はきっと喜ぶに決まってる。そうに決まってる。

「記憶喪失、ね。薬草でどうにかするのは難しそうだけど……」イリスさんが言った。「ひとまず、これ持ってってごらんなさい。神経の働きを良くする効果があるって言われてるから」

「え、でも……」オレはためらった。

「ほぉら、遠慮しないの。気休めにしかならないかもしれないけど」

「あ、ありがとうございます……」

 オレはイリスさんから再び薬草を手渡された。今度の薬草は先ほどのものより少しだけ量が多く、中身がこぼれないよう薄い包装紙で包まれていた。

 薬草を手渡すときのイリスさんの手つきは、まるで大切なものを慈しむかのようだった。

「毎晩、食後にお水と一緒に飲みなさいね」イリスさんが言った。「ほら、空きっ腹で飲むとお薬の効果が薄れちゃうから。もし分からないことあったらラーニャに聞いてね?」

「わ、わかりました。そうします……」

「あなたも大変ね、ミリアちゃん。私にできることがあれば何でも言ってちょうだい、きっと助けになるから」

「え、あ……ありがとうございます。ほんとうに……」

 イリスさんは少し悲しそうな顔でオレの手を握った。彼女の感情が手のひらを通じてこちらにも伝わってくるようだった。

 イリスさんが今かけてくれた言葉は、彼女の手の温もり以上に温かかった。どうやら、この村には他人の涙を誘うのが得意なエキスパートが揃っているらしい。や、何そのエキスパート集団?

 また涙腺がゆるみそうになるのを抑えながら、オレはイリスさんの手をぎゅっと握り返した。

「あ、そだ。ねぇ、イリスさぁん」

「ん、なぁに?」イリスさんが聞き返した。

「ミリア、うちのお店で働けたりしないかなぁ?」ラーニャが言った。「ほら、うちって簡単にできる仕事もちょこちょこあるし。お手伝いからでもどうかなあって思ったんだけど……ね、どーお?」

「うぅーん、そうねぇ。正直いまは人手が足りてるから、残念だけど……」

「そっかぁ〜」

 ラーニャとイリスさんは2人そろって少し悲しそうな顔を浮かべた。まるで、彼女たちの感情は表情とリンクしているかのようだった。

「何度もごめんなさいね、ミリアちゃん」イリスさんが言った。「ほんとうは雇ってあげたいんだけど……ほら、こんな良い子なかなかいないでしょうし」

「そだよぉ、ミリアは良い子だよぉ〜」ラーニャがカットインした。

「あ、薬草の配達とかなら……うぅん、でもぉ……」

 どうやら、イリスさんは雇用うんぬんのことで頭を悩ませているようだった。今日はじめて会った人にこんなに気を遣わせてしまうのは申し訳ない。

 イリスさんが悩ましそうに小さく唸る中、オレは胸の前で両手をぶんぶんと振った。

「や、そんな……お気持ちだけで充分ですから、ほんとうに」

 オレが断りを入れたあとも、イリスさんは悩ましそうな顔をしていた。どうやら、彼女は仕事に空きがないかを今も考えてくれているらしかった。

 部屋いっぱいに悩ましげな空気が立ち込める中、入り口にあるドアが開いて誰か人が入ってきた。

「おはよう、イリス。お、ラーニャも一緒かい?」

 どうやら、お客さんが入ってきたらしい。彼の口ぶりから察するに、いま店内に入ってきた男性はラーニャたちとも顔馴染みらしい。

「おっはよー、ペイジェさぁん」ラーニャが言った。

「あらあら、いらっしゃあい。今日はどんなご用で?」

 ラーニャとイリスさんは2人そろってお客さんを迎えた。オレはひとまずペイジェさんという男性に向かって軽く頭を下げた。

 お客さんが店内に入ってくるやいなや、イリスさんは相手男性のヒアリングを始めた。彼女の話を聞く姿勢は心理カウンセラーさながらだった。ペイジェさんという男性も彼女とテンポよく話していた。

「……お客さん入ってきちゃったし、あたしたちももう行こっかぁ?」

 ラーニャが囁くように小さな声で耳打ちしてきた。オレは一度うなずいたあと「うん」と答えた。

「イリスさぁん、あたしたちそろそろ行くねー?」

 ラーニャが店内のカウンターに立つイリスさんに声をかけた。

「はぁい、いってらっしゃい。気を付けて」イリスさんが言った。「ごめんなさいねぇ、ミリアちゃん。お仕事の話はまた次の機会にでも、ね?」

「い、いえ。そんな……」オレは薬草袋を握った。「あの、お薬ありがとうございましたっ」

 イリスさんはカウンターの近くに立ったまま軽く手を振った。オレとラーニャも彼女の動きにならうように手を振り返した。声のないコミュニケーションは言葉よりもずっとお喋りだった。

 オレとラーニャはイリスさんたちに見送られる形でお店を出た。

 外の空気は店内と違ってスッキリとしている。薬草屋さんというだけあって、あのお店には終始どこか薬味っぽい香りがただよっていた。

「うぅーん、ダメだったかぁ。当てが外れちゃったねぇ」

「えっと、お仕事のこと?」オレはたずねた。

「んー、どっちもっ。ミリアの記憶が戻るキッカケになればと思ったんだけどねぇ」ラーニャが言った。「あと、お仕事のことも。ミリアと一緒に働けるかなあって思ったんだけど……んん〜、人手が足りてるんじゃ仕方ないかぁ」

「そだね、無理にお仕事させてもらうのも向こうに迷惑だし……」

「まーまー、お仕事は他にもいっぱいあるから。きっとミリアにぴったりの見つかるよぉ」

「うん、ありがとう。ほんとに……」オレは言った。「わたし、さっきラーニャがああ言ってくれて嬉しかった」

「えー、全然だよぉ。あたしもミリアと一緒に働けたらなって思ったもぉん」

「お仕事の話もそうだけど、その……」オレは言い淀んだ。

「うん?」

 オレはいま頭に思い浮かんだことを言おうか一瞬ためらった。この心の迷いが外に出ようとする言葉にブレーキをかけた。

 結局、言葉は外に出ることなく心の内側で反響するだけだった。まるで、目に見えないコンサートホールの中で音が反響するかのように。

 この子がオレのために脳のスペースを空けててくれたことが嬉しかった。さも当たり前のように、彼女自身の頭のなかに居場所を与えててくれたことが嬉しかった。

 たとえ、その気持ちが彼女のパーソナリティーから来るものだったとしても。この子の世話好きな性格がそうさせたんだとしても。あのときオレ自身が感じた気持ちはウソじゃない。きっとウソじゃない。

 オレはこのくすぐったくなるような気持ちを心の奥にそっとしまい込んだ。まるで、大切なものを宝石箱の中にそっとしまい込むかのように。

 きっと、この気持ちは心にしまっておくほうがいいと思うから。大切に、大切に——。

「……うぅん、なんでもない」

 オレは自分に言い聞かせるように首を横に振った。この気持ちを言葉にするのはもったいないと思ったから。この子への気持ちはそう簡単に安売りしちゃいけないと思ったから。

 言葉は難しい。想っているだけじゃ伝わらないのに、いざ言葉にすると安っぽく聞こえる。

 ただ、心がじんわりと温まる感覚だけがリアルだった。この胸がとびきりの熱を持つ感覚だけがやけに鮮やかで、ひとの気持ちはつくづく理屈と相入れないんだと思った。

「えー、なになにぃ。気になるじゃあ〜ん」

 大通りへと戻る道すがら、ラーニャはオレに先ほどの続きを話すよう促してきた。オレはピンと立てた人差し指を自分の口もとに持ってきた。

「ないしょ。いつか教えてあげる」

「やだやだぁ、いま教えてってばぁ」ラーニャが言った。「教えろ教えろぉ〜、いま教えろだよぉ。隠し事のーせんきゅー!」

 ラーニャにせっつかれながらも、オレはかたくなに口を閉ざした。この言葉が外に逃げ出してしまわないように、この感情が外に漏れ出してしまわないように——。

 オレたちは言う言わないを繰りかえしながら、大通りに戻ったあと図書館に至る道を歩いた。


 この子の気遣いはどんなお薬よりもよっぽど効きそうだと思った。


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