【7章】神さまからの贈り物 2
「オ……わ、わたし帰るっ」
すぐさま風呂場から離れようと思って、オレはその場で勢いよく立ち上がった。視界は目隠しのせいでいまだに真っ暗なままだった。
「えっ。ちょ、ちょっと待ってっ——」
ラーニャの焦ったような声が後ろから飛んでくるとともに、オレは引き留められるかのように手首をぎゅっと握られた。手首を握られた拍子に少しだけバランスを崩して足がもたついた。おっとっと。
「ミリア、お風呂はいりに来たんじゃないの?」
「そう、だけど……」オレは言った。
「ほら、ここにずっといたら身体ひえちゃうよぉ」ラーニャが言った。「今からお部屋もどったら、もう今日はお風呂はいれなくなっちゃうかもだし……ね、あっちで一緒にシャワー浴びよ?」
「……」
理路整然と話すラーニャに対し、オレは何も言葉を返せなかった。
たしかに、今から部屋に戻ってもどうしようもない。今さら自分の部屋に戻ったんじゃ、わざわざ時間をズラしてまでお風呂に入りに来た意味がない。
ラーニャの言うことは至極まっとうだった。オレの言ってることのほうがおかしい。
だって、まさかこんなことになるとは思わなかったんだもん。てっきり、ひとりっきりでお風呂に入れるって思い込んでたんだもん。かるだもん(?)。
「さ、はやく早くっ。あたしもう身体ひえてきちゃったぁ」
こちらからの返事を待たずして、ラーニャはオレの手首をグイグイと引っ張った。この場から離れて一緒にお風呂場の奥へと向かうよう促すジェスチャーだった。
「や、でもぉ……」
いまだ往生際の悪いオレはなおも、お風呂に入るのを躊躇してしまう。
視界は今もなお相変わらず暗いままだった。なんか今のオレ、お母さんと一緒にお風呂はいるのが恥ずかしくて駄々こねる子どもみたくなってなぁーい?
「あ、さむっ。あたし今めっちゃ寒い!」
ラーニャはブルブルと震える動きをした。彼女のわざとらしい震えが手を伝ってオレのもとにも伝わってきた。
「あたし、このままだと風邪ひいちゃうかもだな〜?」ラーニャが言った。「もしかしたら、明日からの仕事に差し支えちゃうかもぉ。ミリアがさっさとお風呂はいってくれないせいでぇ〜」
「わ、わかった。わかったからぁ……」
オレはいよいよ観念して、ラーニャに手を引かれる形でお風呂場の奥へ向かうことにした。少女の芝居じみた言動に言いくるめられる少女(?)の図。
「んっふふ、すなおでよろしー」
ラーニャの声はとっても満足そうだった。まるで、お目当てのものをやっと手に入れた子どものような声だった。
ひょっとしたら、彼女はオレからYESを引き出せたのが嬉しいのかもしれない。すぐにでも部屋に戻ろうと考えていたオレは正直ちょっと複雑な気持ちだった。
「ミリア、なんでこの時間にお風呂なの?」
シャワーがある場所へと向かう道すがら、先を歩くラーニャがオレにたずねてきた。
ちなみに、オレは下を向きながら歩いてるのでセーフ。なにがセーフなのかは分からないけど、とにかくセーフったらセーフ。訴訟を未然に回避。
「えと、その……ひっ、人が少ない時間のほうが良いかなーって……」
「ふぅん、そーなんだぁ?」ラーニャが言った。「ひょっとして、ミリアって他人に身体みられるの抵抗あるタイプ?」
「や、そういうわけじゃないけど……」
オレはラーニャに手を引かれながらしどろもどろに答えた。歩くたびにタイルの上にある水滴が跳ねて、ぴちゃぴちゃと水々しい音が辺りに響いた。
どうやら、このお風呂場の水滴はタイルホールでダンスを踊るのが好きらしい。知らないけど(適当)。
オレとラーニャはシャワールームにあるイスに腰かけた。どうやら、彼女もオレのすぐ隣で髪の毛を洗ったりするつもりらしい。光の石と月の光で照らされた室内が薄暗いのはせめてもの救いだった。
「あ、あの、ラーニャ……?」
「んー?」彼女の声は明るかった。
「えと、その……ど、どうして暗くしてお風呂はいってたの?」
「えー、それ聞いちゃう? 聞いちゃうぅ〜?」
「あ、や、もしイヤだったら別に……」
「んっとぉ、んっとねぇ〜。もしかしたら笑われちゃうかもなんだけどぉ……」ラーニャが言った。「あたしねぇ、薄暗くしてお風呂に入るのが好きなの。なぁんかリラックスできるような気がして……ほら、あそこ。大窓から外の景色が見えるでしょ?」
ラーニャはお風呂場の奥のほうを指差した。彼女の指先をたどって向こうを見ると、窓越しに見える外の景色がオレの視界に入り込んだ。
窓の上のほうでは半月と星々が浮かんでいた。
「あそこでお風呂に浸かってるとね、すっごく不思議な気持ちになるの」ラーニャが言った。「まるで、お外の景色と自分が溶け合うような気がしてね。あっちとこっちの境界線があいまいになる感じがして好きなんだぁ」
「そう、なんだ……」
「ごめんねぇ、そのせいでさっきびっくりさせちゃったね?」
「あ、いや、大丈夫だよ」オレは言った。「その、ひとがいたのには驚いたけど……」
「変な趣味だって自分でも分かってるんだけどねぇ。なんでか分かんないけど好きなの」
「そんなこと……変なんて、変だなんて思わないよ。すてきな趣味だと思う、ほんとうに」
「んっふふ、ありがとお。ミリアはいい子だねぇ、頭よしよししたげるっ」
ラーニャは自分の言葉どおり、オレの頭をそっと撫で始めた。まるで、ちっちゃい子の頭を撫でるかのような優しい手つきだった。彼女の手の感触が頭を通じて伝わってきた。
ひょっとしたら、ラーニャは今オレの姿に小さい子どもの面影を見ているのかもしれない。
そう思ってしまうくらいに、彼女の手つきは優しかった。ラーニャの優しさは他人のお世話をする過程で養われたのだろうか。この子の面倒見の良さは誰かの役に立つ過程で養われたのだろうか。
「あ、そだ。あたし背中ながしてあげる〜」
ラーニャは何か思いついたかのように、近くにあるボディタオルを手に取った。あのタオルは彼女が部屋から持ってきたものなのかもしれない。
オレは両手を胸の前でパタパタと振って遠慮を示した。『遠慮』というよりは否定/躊躇に近かったかもしれない。
「や、だっ、大丈夫だよ。自分で洗えるし……」
どうやら、オレは彼女に背中を洗ってもらうことに若干なり抵抗があるらしい。や、そりゃそうでしょって感じですけれども。
「もぉ、まぁた寂しいこと言う〜」ラーニャが言った。「そう遠慮ばっかしないのぉ。あ、ほんとにヤだったらやめとくけどね?」
「や、その、イヤなわけじゃなくて……たんに申し訳ないなって」
「えー、なんでなんでぇ。ぜんぜん申し訳ないことないよぉ」
「そう、かな……」オレは少し俯いた。
「そーだよぉ。ほらほらぁ、自分じゃ背中洗いにくいでしょお?」
「そう、そうだね……じゃあお願いしていい、ラーニャ?」
「んっふふ。はぁい、お任せあれ〜」
こちらから了承/肯定を引き出せたのが嬉しいのか、ラーニャは満足げなようすで花が咲くように笑った。ひと気のないシャワールームに彼女の含み笑うような声が響きわたった。
ラーニャは近くにあった石けんをボディタオルで泡立てた。
「あわあわ〜♪」
彼女は石けんを泡立てながら歌を歌った。きっとこの歌の作詞・作曲はラーニャだね。どうやら、この子は世話焼きなうえにシンガーソングライターでもあるみたい。まるちわーかー。
オレは彼女が石けんを泡立てる姿を横目で見ていた。
ラーニャの手元にあるボディタオルがみるみるうちに泡で満たされた。シャワールームにシャボンの香りが広がり、この優しい匂いがリラックスを連れてきた。
「さ、後ろ向いてぇ。あわあわしますよぉ〜♪」
「う、うん……」オレは言った。
オレはラーニャにうながされるまま彼女に背を向けた。ごきげんそうに鼻歌を歌う彼女がオレの背後に回った。
まだ実際に身体に触れられたわけでもないのに、なぜか背中に彼女の手が触れたような気がした。これは完全に気のせい。ぜんぶ『気』が悪い。終身刑(?)。
どうやら、オレの背中はラーニャの手が触れる準備を始めたようだった。
「くすぐったかったら言ってねぇ。ガマンのーせんきゅーだよぉ?」
「は、はひ……」オレは言った。
相変わらず、オレの口から漏れ出る声は情けない。このシチュエーションにオレの言語野がプレッシャーを感じているようだった。感じてません。
オレの正面には鏡がある。鏡の下には小さな光の石が置いてあった。
鏡の向こうにはあの子がいる。ちょうどオレの身体がラーニャの姿と重なったおかげで、鏡越しに彼女の身体を見るような状況にはならなかった。訴訟を未然に回避(2回目)。
「こうしてるとさー、なぁんか小さいころ思い出しちゃうなぁ」
ラーニャはオレの背中をボディタオルで洗いながら言った。心なしか、彼女の声にしては珍しく夜に溶けるような落ち着いたトーンだった。
「小さい頃って?」
オレはすぐに彼女に聞き返した。鏡の向こうにいるラーニャは、どこか感傷にひたるような顔を浮かべていた。
「いっしょにお風呂はいってるときにね、昔こうして妹の背中よく洗ってあげたなーって」
「ラーニャ、妹さんいるんだ?」オレはたずねた。
「そー、あたしよりうんと年下でね。もうすっごい可愛いの!」ラーニャが言った。「いっつも時間あるときはね、あの子が好きなおままごと一緒にしてあげてたの。あたしが仕事あるときはできなかったんだけどね?」
「おままごと……」
「そう、あたしも小さい頃よくやったな〜。ミリアはおままごと好きだった?」
「オ……わ、わたしは、あんまりやったことないかも」
「えー、そうなんだぁ。鬼ごっことかのほうが好きだったタイプぅ?」
「や、そうじゃないんだけど」オレは言った。「その、あんまり機会に恵まれなかったっていうか……」
「そっかそっかぁ。今って女の子でも色んな遊びするもんねー?」
「そ、そだね……」
ラーニャはそれ以上あまり深くは聞いてこなかった。ひょっとしたら、彼女なりに気をつかってくれているのかもしれない。
「あたしねぇ、あの子が楽しそうにしてると嬉しくなるの。ほんとうにっ」ラーニャが言った。「うちの妹ってね、もうすっごい分かりやすくって。楽しいときはいいんだけどね、つまんなとき顔によく出るの。あの子の表情みてたら感情まるわかりでね?」
「そ、そうなんだ。妹さん表情ゆたかなんだね?」
「そうそう、ほんとにっ。ミリアが今度うちに来たとき、あの子にも会わせたげるねぇ。あ、うちの妹『ルル』って名前なんだけど——」
ラーニャは嬉しそうに自分の妹さんについて話していた。彼女の表情がゆるゆると緩んでいるところを見るに、どうやら本当に妹さんのことを溺愛しているらしい。
ラーニャ、すごく楽しそう。きっと姉妹仲が良いんだろうね。
妹かぁ。兄弟姉妹がいるってどんな感じなんだろう。オレは生まれてずっとひとりっ子だったから、自分と年の近い家族がいるのが少し羨ましい。
ひょっとしたら、妹さんがいるからなのかな。ラーニャの面倒見がいいのは。
たしかに、この子お姉ちゃんっぽい雰囲気あるかも。困ってる人をほっとけないのもそう、いろいろ手ぇ焼いてくれるのもそう。ラーニャがお姉ちゃんだからって考えれば納得いくかも。
こうして妹さんのことを嬉しそうに話すのも、きっと彼女の家族仲のあらわれなんだろうね。
ラーニャは最初から最後までずっと楽しそう。この子の楽しそうな話しぶりから、家族仲の良さがよく伝わってくる。彼女の表情は今日の月明かりよりもずっと明るい。
たしか昼間にお父さんお母さんの話もしてたから、きっと家族みんなで仲良く暮らしてるんだろうね。まだラーニャのご家族に会ったことないから分かんないけど、そもそも家族との仲よくなかったら話題に出さないだろうし。家族のことを積極的に話す彼女の姿が何よりの答えだと思う。




